芸予諸島:福島の綱引き合戦

2017年10月27日 | 小説:人生はコーヒールンバだな


大崎上島は安芸の国、その向こうにある大三島は伊予の国ぢゃ。
芸予諸島は魚もよう取れる。水運の要諦でもあるな。
大崎上島の木江と大三島の宗方の間にある小さな島の名前は福島と呼ぶのじゃが、この島が上島の物じゃあ、いやいや大三島のものじゃあ、といろいろいさかいが絶えんかった。
そこで、オロチの神様は、
「一つ、お互いの島から思い思いの強よかろうと思うもので作った綱を福島に渡して、両方からえいや~、と引っ張って切れたものが負け、といたすがよかろう」
とお告げされた。
そこで、大崎上島の衆は鉄の鎖を、大三島の衆はかづらの縄を福島にかけて、せ~の、と綱引きをした。
うんうんと、いくらか時間がたったときに、大崎衆の鎖が切れて、その勢いで、福島が大三島側にとっぷりと動いたというではないか。

こうして、福島は伊予の国のものになったんじゃ。

(大崎上島町 木江ふれあい郷土資料館の館長さんに聞いた話を基にしています)


大崎上島:恋地トンネル:オロチと娘の恋の行く末

2017年10月27日 | 小説:人生はコーヒールンバだな


むか~しむかしの話じゃ。

大崎上島の西の端、大串という村にじいさまとばあさまが住んでおった。
その家にはかぐや姫もかくやという、えらい美人の娘さんがおらした。

村だけでなく、島中の若い男衆はこの娘さんに言い寄っておったが、身が硬いというかなんというか、娘さんはどの男にもなびくことはなかったんじゃ。

そんな騒ぎを耳にしたのが、島一の高さの山に住むオロチの神様じゃった。
「それほどの美しい娘なれば、一度会いに行かねばなるまい」
と、身を美男子の姿にかえて、娘に会いに行ったそうな。
娘は、見たこともない美男子に一目ぼれしてしもてな。
毎晩毎晩その方の現れるのを待ち焦がれ、夜な夜な楽しい日々を過ごしていたとな。
ある晩、夜中になって娘さんの部屋から話し声がするのを不審に思ったじいさまが、娘の部屋を覗いてみたところ、えらい美男子と娘が楽しそうに話をしとるではないか。
「娘に男がついたとは、これはわしも一安心ぢゃな」
と思ったのだが、姿見鏡に映っておったのは、娘と大蛇
であった。

じいさまはびっくりこいて
「ぬしは、なにさまじゃ!」
と叫んでしもた。
神様は大蛇に姿を戻して娘をさらって山に戻っていった。

翌日、村の若い衆が娘のさらわれた先を探すのだが、そこには、大蛇が木々をなぎ倒したあとが、山の上まで続いておった。
さて、その大蛇の通った跡を「恋地」と呼ぶようになったのはだいぶ後の事じゃと聞いておる。

大崎上島の県道65号線に「恋地」という名のトンネルがあります。
そこには、こんな切ない話が伝わっているのです。

(大崎上島町 木江ふれあい郷土資料
館の館長さんに聞いた話を基にしています)


20㎝バックロードホーンエンクロージャーWP-720BHはハタガネを使わず、ねじ止めで作ろう

2017年05月08日 | 人生は音楽である

数年前に手に入れて、密閉エンクロージャーにはめたままにしていたFostex FE206En。
余りに低音がでないので、憧れのバックロードホーンに取り付けたいと思いエンクロージャーキットを探していましたが、構造がシンプルなのとお値段が手頃なこともあって、共立プロダクツの20cmバックロードホーンエンクロージャー組立キット:WP-720BHを求めました。

webページでは必要な工具として、下のものが挙げられています。

・プラスドライバー
・ハンダごて(20W~40W)
・ハンダごて台
・ハンダ
・ニッパー
・ワイヤーストリッパー
・ハタガネ(6本~8本)
・電動ドリル
・ドリルビットφ2.5、φ3.5、φ6mm
・ものさし(30cm&1m)
・鉛筆

ここで曲者なのが「ハタガネ」というものです。
板を貼り合わせる時に固定するために使うものなのですが、90㎝の長さのハタガネは一本二千円はします。これを6本としても1万円は超えてくる。
で、じゃあこれからスピーカーボックスをいくつも作るかと言うと多分ない。
あまりにもったいない投資だと思い、それならねじ止めで作れないかと思い共立さんに電話しました。
すると、設計の方が電話口に出られて
「いやぁ実は私も作るときはねじ止めしています」と吐露。
2㎜径×20㎜~30㎜長のフスマねじが良いですよということでコーナンで探し求めて使うことにしました。これが10本で100円ちょっと。
電動ドリルも新規に手に入れたのですが、ちょっとしたねじ止めや穴あけ用なら、今時2500円強でドリル刃とねじ回しのピット付きで手に入れることができますのでねじ込みで3000円位。
写真のように15㎜の半分の7.5㎜の位置に適時穴をあけて、木工ボンドで板材を合わせてからドリルで固定していきます。

非常に作業性もよく、2本のエンクロージャーはお昼二日程度で出来上がりました。

早速音出ししました。

これからエージングになりますが、シャープな音で憧れのバックロードホーンを楽しんでいます。

 


バリヒンドゥーの特色

2016年11月12日 | 人生は旅である。

インドネシア方面へのインド文化の流入は西暦一世紀位から始まっていると推察されている(亮仙, 河野1994 *1)。

はっきりとした記録に基づけば、8世紀後半から9世紀半ばにかけて、ジャワ島に栄えたシャイレーンドラ王国が、大乗仏教の大仏蹟をジャワ島中部のボロブドゥールに立てたことから、ヒドゥー伝来前に仏教が存在したことが確認される。
バリ島の本格的なヒンドゥー化は、西暦10世紀末にジャワのクディリ朝の支配下に入った時からと推定されている。

バリ島ヒンドゥーは、ヒンドゥー諸派の中でもシヴァ神を重視するシヴァ教とされるが、上記の環境の影響もあってか、仏教(といってもヒンドゥー仏教とでもいうべきもの)との併存が認められる。バリにある仏教徒の総本山にあたるのがシラユクティ寺院である。

バリ・ヒンドゥーの特色として上げられるのは、祭司の二層化とその役割である。

まず、聖職者としてバリ・カースト制度のなかでバラモンを形成しているのが、プダンダと呼ばれる第一階層の祭司である。
プタンダは、マントラをとなえるなど儀礼を通じてシヴァ神との同一性を実感することにより、儀式を司る。

シヴァ神との一体を目指すのは、人間は本来本質的にシヴァと同じでありながらそのことを忘れているために輪廻にや苦しみの存在があるとされ(p.66)、宇宙の創造原理ブラフマン(梵)と輪廻する生命の本体としてアートマンを立て、アートマンとブラフマンの本質は本来一つである「梵我一如」を説くヴェーダの信仰(バラモン教)を受け継いでいる。

また、プタンダの重要な機能は「聖なる水」を作り出すことにある。プタンダにはシヴァのプタンダであるプタンダ・シワと仏教のそれであるプタンダ・ボダがあり、大きな祭典のときなど、並列して儀式をおこなうこともある。

プダンダ


プダンダ・シワ(シワ教の祭司、写真左右の僧)。   プタンダ・ボダ(仏教の祭司、写真中の僧)2016年10月12日バリ・ボン村にて



祭司の二層目は、プタンダとはカーストも儀礼法も違う、非バラモンのプラマンクーという宗教的職能者である。

彼らは、マントラをとなえながら、花などを神に捧げるという単純な儀礼をおこなう。一般の住民が寺院に参拝するときに、礼拝の後に聖水と米を分け与えるのもプラマンクーの役割である。


プラマンクー  プラ・ブサキにて


*1亮仙, 河野,「神々の島バリ―バリ=ヒンドゥーの儀礼と芸能」,里山堂,1994/1/25

バリ島くつろぎの空間 「ビラ・ビンタン」


インドにおける宗教と、仏教とヒンドゥー教の生成

2016年11月11日 | 人生は旅である。
インドにおける宗教の起源は、インダス文明の遺跡や遺物にまでさかのぼることができる(西尾秀生2001*1 )。

インダス文明の遺跡から出土した多くの印章に刻印された動物や樹、蛇神や卍印などヒンドゥー教や仏教に現れるさまざまな「記号」が確かめられている。また、女性像が示す農耕民族特有の地母神の出土物や、火葬の痕跡など、インダス文明のヒンドゥー教や仏教への影響を確かめることができる。

紀元前十五世紀ころに中央アジアからインド西北部に侵入したアーリア人は、村を形成し火の祭りを行った。そして、紀元前十二世紀を中心に、神々に対する賛歌の集成である、『リグ・ヴェーダ』を始めとした四つのヴェーダ *2が編纂された。
これらのヴェーダには、賛歌の対象となる神々、賛歌の形である歌詠、祭詞、呪詞が含まれており、宗教の基本要素である、信仰の対象(神)、信仰の対象と私との関係性(信)、信仰の形(儀式)が揃わっている。

ヴェーダをよりどころにする宗教的活動をヴェーダの宗教と呼ぶこともあり、この宗教環境を「バラモン教」と近代ヨーロッパでは呼んだ。

バラモン教の生命観は、「業」に起因する「輪廻」にあり、輪廻からの解放である「解脱」を究極の目標とする。また、解脱の形は「宇宙の原理であるブラフマン」と「生命の本体であるアートマン」が合一することにある、とする。特に「業と輪廻」は、後のヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教での生命観に取り入れられて、現在に至っている。

仏教は、紀元前五世紀ころのバラモン教が正統とされた宗教環境の中では「沙門(異端の思想家)」の一人であるゴータマ・シッダルータによって起こされる。

西尾(2001)は、他に6人の沙門を紹介している(p.58-p.62)が、その中の一人 ニガンタ・ナータプッタはジャイナ教の開祖である。ジャイナ教は、業と輪廻と解脱を解くものであり、ゴータマの説いた原始仏教との類似点が指摘されている。

仏教成立後、紀元前四世紀から紀元後四世紀にかけて、ヒンドゥー教の聖典である二大叙事詩「マハーバーラタ」と「ラーマ―ヤナ」ならびにプラーナ文献が成立する。これをもって、ヒンドゥー教も聖典を基に体系化されていく。

仏教とヒンドゥー教は共に業と輪廻と解脱というヴェーダの信仰(バラモン教)の生命観を引き継いでいるが、根本的違いは解脱の主体の広がりである。両方ともに、解脱に至る道を「自らの行為によるもの」「精神的体験を通じた智慧によるもの」そして、「信仰によるもの」の3点を挙げている 。

そして、「信仰による解脱の道」すなわち他力救済が、バラモン階層に限定されていたそれまでの宗教観を一変させ、カーストを越えた汎宗教環境を生じせしめたと理解することができる。

インドで成立した仏教は東進して日本に至り、ヒンドゥー教はインドネシア・バリ島に定着した。

年表にすると、下のようになる。
"


*1 西尾 秀生,「ヒンドゥー教と仏教―比較宗教の視点から」,ナカニシヤ出版, 2001/1
*2 「リグ・ヴェーダ」、「サーマ・ヴェーダ」、「ヤジュル・ヴェーダ」、「アタルヴァ・ヴェーダ」