人生はコーヒールンバだな 7

2004年07月05日 | 小説:人生はコーヒールンバだな
素留木四郎(ゾル)と振旗忍三郎(にむ)の乗った全日空NH155便は、昼前の上海浦東空港に着陸した。
二人は、観光客として入国審査ゲートを通過する。

「ゾル警部補。もっと、観光客らしい格好できないんですか?」

と、にむ。
素留はいつものように皺だらけのベージュのコートに、いつものようにロシア製のカメラを首からぶら下げている。ポケットにはよれよれのKENT Milds softが一つ。手に持ったカバンは肩紐と取っ手のついた黒レザーだ。

「どこが、悪い」とゾル。
「だってぇ。その格好っていつもの捜査の時と一緒じゃないですか。日本の刑事が捜査目的で中国に入るなんて、出来ないことなんですよぉ。今日だって、届け出さずに観光客として来てるんですから、もっと、観光客らしい格好してもらわなきゃ。」
「そんなことはわかっとる。だから、今日は観光客らしく、ほれ、この通り下にはユニクロの赤のポロシャツを着とるじゃないか。ほれほれ。」
「でもぉ。それって、コート脱がなきゃわかんないじゃないですか。靴だっていつもののよれよれ黒の皮靴だしい。スニーカくらい持ってないんですか。」
「おまえ、そんなこといって自分のカッコを見てみろ。なんだ、そのアロハシャツは」
「え?これ、いいでしょう。ブルーベースで真っ赤なハイビスカスが胸に二つ。ほら、背中には極彩色のオームが一匹。去年の夏、沖縄に捜査に行ったときに、沖縄県警の美人警部にお土産にもらったんです。あ、ゾルさんヤイてるんでしょう。」
「あほ、いえ・・。まだ、2月だというのに。だいたい、ここはハワイじゃないんだから、そんな格好してたら目立ってしょうがないじゃないか。」

「そんなこと言ってるより、両替しましょう。」

二人はロビーの両替コーナーで円を元に両替する。

ここ、浦東空港から、上海市街に向かうには多くの人はバスかタクシーを使う。団体旅行の場合は観光バスを使うことが多いが、二人は個人観光客なのでそうはいかない。最近開通したばかりのリニアモーターカーに乗ることにした。上海リニアモーターカーは、ドイツからの技術導入で2003年12月に週末のみの営業が始まったばかりである。現在地下鉄2号線の龍陽路駅まで走っている。龍陽路駅で地下鉄に乗り換えて6つめの河南中路駅で降りる。そこは、租界地区である。

「何か腹に入れていきましょうよ」とにむ
「おれは、いい。さっき機内食喰ったばかりじゃないか。そういえば、お前オカワリしただろう。スッチーのお姉さん困ってたぞ。」
「あ、あのおねいさん。結構、え~感じでしたね。飛行機下りるときに、携帯電話番号聞いちゃいました。夜に電話してね、だって。あとで、電話してみよう・・」
「おまえ、docomoは、上海では通じないだろう」

二人は通りの店に入っていく。
北京ダックを一匹平らげて、目的の店に行く

その店はバンドの古いビルの地下にあった。入り口を入ったところにカウンター席で右に10席ほど。そのまま進めば4人がけのテーブルが4つ。突き当たりの壁の右側にドラムセットとアップライトピアノが置いてある。
店は半分ほど客が入っている。
4人がけのテーブルの3番目に席を取り、ボーモアの12年を頼むゾル。にむは青島ビールをたのむ。ぬるいのなんだのと、小太りとは言いきれない肥満のメガネ男のボーイを捕まえて文句を言っている。(にむは中国語が話せる)が、それは仕方ないことである。中国で冷たいビールを注文することは、鹿児島で吟醸酒を頼むようなものだ。

しばらくするとバンドが入ってきた。
「上海楕円楽団」と入り口のボードの書いていた。

ドラムは若い童顔男だ、Tシャツにジーパンといういでたち、筋肉質の三頭筋が、ちからづよいドラミングを期待される。
ピアノの男は調子のよさそうな風貌、細長い指が印象的だ。
ベースは長身の長髪のめがねをかけた神経質そうな男だ。
フルート奏者が厳しい目をして入ってきた。白髪交じりの丸い頭に鼻の下にひげを蓄えている。フルートを奏するには、邪魔になるのではないかと思われるのだが・・

一曲目は ReturnToForever
Joe Farrellばりのフルート

女性が入ってた。黒のドレスに、どこまでも黒いロングヘア。きりっとした眉毛がみつめる先は多分木星だ。スキャットで曲に絡む。チックコリアの名曲「Spain」。フルートが印象的な曲である。
最後の曲が、同じくチックコリアの「100 Miles High」。

フルートソロアドリブに入ったときに、にむはゾルの耳元にささやく
「彼女ですよ、マテオの殺された理由を知っているだろうという女は。」
「うむ、なかなか、いい女だな。マテオと絡んだとは、上等だな。それだけで十分殺される理由になる。」
「呼んで来ますね」

にむは、店のボーイを手招きし、耳打ちをして、右の手で、メモを渡す。と同時に左の手で、股間をまさぐる。
もとい、
左の手でボーイのズボンの右ポケットに100元札を一枚ねじ込む。

しばらくすると先ほどの女が二人の席にやってきた。
「こんばんわ。」
長い黒髪を右手で押さえて、なれた腰つきでゾルの右横に座る。嫉妬の目線を発するにむ。
ゾルは目じりを15度ほどさげ、皺を2本増やして、聞いた。
「君の名前は?」
「網瞳です。」
「いい名前だな。で、昼はどんな仕事してるの?」
彼女がとても困った顔をして、ふぅっと目をそらして壁にかけられたハービーハンコックのサイン入りの額縁を見る。

すかさず、にむが
「私たちは人を探しています。」
と胸ポケットからマテオの写真を出す。そこには、網瞳にたこ焼きを食べさせてもらっているマテオが写っている。

あっ、という驚きを瞳孔収縮に確認したのはゾルだけだ。

彼女は、何事も無いように話す。
「マテオさんね。わたしのいつも出てるお店に良く来ているひと。いい人。」
にむは、声をひそめ、顔を近づけて話す。
「マテオは殺されました。」
1.40秒おいて、網瞳は答える。
「そうですか。ここでは良くある話だわ。」
と、まるで興味が無いようだ。ゾルの咥えた煙草にライターで火をつけながら彼女は続ける。

「上海は、世界中からいろんな人が集まる街。みんな、成功を求めてここにやってくるの。いろんな仕事。良いこと、悪いこと、そんなことはどうでもいいの。大成功をして、ここさらに内陸を目指す人、自分の国に帰る人、それぞれだわ。でも、みんな一緒。この街は通り過ぎていく場所なの。長くはいない。ここから、出て行けない人は、ここで死ぬ。」

彼女は、黒いドレスの腰から細長いメンソールの煙草を一本取り出して火をつけ一息吸い、左上に向けてほそく煙を吐き出す。バーの天井にすえつけられたクリプトン電球の青い鋭い光のなかで、煙は彗星の尾のように頼りなく輝く。それは、まるで、浦東地区にそびえたつテレビ塔のように頼りなくも見える。

にむは
「マテオのことを聞きたいのだけれど・・。」
女は応える。
「あなたたち、わたしの店にこない?」

3人はタクシーで網瞳の勤めるカラオケハウスに行く。

カラオケボックスに3人で入る。すぐにボーイが酒の用意を持ってきて、そそくさと部屋を出て行く。

「で、マテオの何が聞きたいの?」

にむは応える。

「マテオを殺したヤツを探しています。そのために、マテオがここ、上海で何をしていたのかを知らなければなりません。したがって、私たちはこの街にやってきたのです。あなたは、マテオのこの街での事を知っているはずだ。」

「知っているわ。彼が、何のために街(ここ)にやってきて、何をしていたか。」
と彼女のセリフと、カラオケボックスのドアの開く音がかぶった。

そこには、細身の長身の男が立っている。濃紺のスーツはベストのそろったスリーピースだ。
白髪交じりの初老といえる男は、あくまで優しい目つきと口元に微笑を浮かべながら静かに言う。

「ゾルさん、にむさん。今日は、ここまでです。」


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