セミナーメモ「広告の終焉論。」広告はなくなりますか?

2010年06月06日 | 誰が日本の広告を変えていくのか
ネット広告の軽量化された明確な反応と、細かなセグメントに向けてパーソナルな販促情報提供ができるという事実。
(たま)だから、マス広告はダメなんだ・・ということはないでしょう?

セグメントされた趣味嗜好を形成するものは何か?


web2.0のただ乗り理論
(たま)んんん、それは、lisitingただ乗り論と言われていましたが、すでにgoogleはそこを脱却しています。

ブランドと言うシンボル(言語・記号)形成をネットが代替出来るのか 
(たま)お==っといきなりの暴言。

販売促進の麻薬。価格、便益中心の情報はブランドをつぶす。
(たま)ブランドは商品に価値の無いところに存在しえない。でしょ

広告のマクロ視点からの機能=マクロ経済機能、イデオロギー機能>>生き方の提案。広告が大衆の一般欲(大衆欲)を作っている。
(たま)すでに、大衆が存在しない(大多数でないという意味で)日本で、そんなこといってもなあ。インドとかアフリカにはまだあるかもねしれないけど。

広告が行動に影響を与える商品
飲料:ビールとお茶、最近ではペットボトルのお茶を消費する気にさせたのが広告である。
(たま)私個人的にはペットボトルのお茶は随分前から待っていたものであり、それは、潜在的な消費者の欲求を達成させたものであり、けっして欲求を創ったものではないと思います。あえて言えば、潜在欲求を顕在化するのは商品開発であって、その商品を大量生産に乗せるための技術の一つが広告だと、いえるように思います。

消費は良いものだという共有。新カテゴリーへのマクロ的な集合的欲望形成
成長(明日はよりよくなる)という確信。ブランドと言う消費シンボルの形成流通。
(たま)成長のベクトルは私たちの子供の時とはすっかり変わっていると感じるのは、まともな大人の義務だと思います。集団欲望については、すでに日本に大衆は無いにつづく。

マス広告があるから、ネット広告が刈り取りをすることができる。
(たま)それは全くその通りで、マス広告だけでは刈り取れないということ。

(たま)若者の草食動物化って、若者の自動車離れを危惧するのは、若者から真反対の意味合いで毛嫌いされる。

資本主義システムとは、自己表現と自由を主要原理とした人々の社会。過剰な意味と過剰な成長、自己決定欲望の工程と未来への確信
たま)で、資本主義システムは全世界レベルで動いていることを認識しなければならない。