大阪府・千早赤阪村の「下赤阪の棚田」
【棚田百選の棚田】
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史跡赤阪城(大阪府千早赤阪村)の東斜面の棚田。
『太平記』には史跡赤阪城について、「彼赤坂ノ城ト申ハ、東一方コソ山田ノ畔重々ニ高シテ、少シ難所ノ様ナレ、」とある。
現在でも、東斜面は、曲線を持った狭い棚田が幾重にも連なり非常に古様を示し、『太平記』の叙述そのままに存在している。
斜面上の水田について「棚田」という表現は南北朝期まで遡れるが、それ以前は「山田」という表現に包括されていた。
楠木正成が最初に軍事拠点として鎌倉幕府軍と戦った赤坂城の東側面は累々とした棚田だったのである。
城郭発達史の上でも貴重な景観である。
(早稲田大学文学学術院 海老澤衷研究室HPより引用)
その東斜面の棚田で、田植えの前の「畦塗り」をしていた。
まさに「棚田と生きる」趣です。
撮影者:北野 賢一
撮影日:6月4日
投稿者:今井 英輔
【交通】
●鉄道・バス / 近鉄長野線「富田林駅」より金剛バス「千早ロープウェイ行」に乗り換え
「赤阪中学校前」下車徒歩10分
●車 / 阪和道美原北IC~国道309号線/千早赤阪村森屋~府道705号線 約40分
「下赤阪の棚田」への地図
【棚田百選の棚田】
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史跡赤阪城(大阪府千早赤阪村)の東斜面の棚田。
『太平記』には史跡赤阪城について、「彼赤坂ノ城ト申ハ、東一方コソ山田ノ畔重々ニ高シテ、少シ難所ノ様ナレ、」とある。
現在でも、東斜面は、曲線を持った狭い棚田が幾重にも連なり非常に古様を示し、『太平記』の叙述そのままに存在している。
斜面上の水田について「棚田」という表現は南北朝期まで遡れるが、それ以前は「山田」という表現に包括されていた。
楠木正成が最初に軍事拠点として鎌倉幕府軍と戦った赤坂城の東側面は累々とした棚田だったのである。
城郭発達史の上でも貴重な景観である。
(早稲田大学文学学術院 海老澤衷研究室HPより引用)
その東斜面の棚田で、田植えの前の「畦塗り」をしていた。
まさに「棚田と生きる」趣です。
撮影者:北野 賢一
撮影日:6月4日
投稿者:今井 英輔
【交通】
●鉄道・バス / 近鉄長野線「富田林駅」より金剛バス「千早ロープウェイ行」に乗り換え
「赤阪中学校前」下車徒歩10分
●車 / 阪和道美原北IC~国道309号線/千早赤阪村森屋~府道705号線 約40分
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