丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

れいの話

2008年08月17日 | じつは
夏なので、涼しめの話を一つ。

あれは昭和25年のことだから、もう58年も前の話になります。

 当時僕の家と、母の実家は隣にあって、よく庭を通って出入りもしていたとか。 僕がまだ産まれていない時のことだから聞いた話でしかないけれど。
2番目の兄が産まれたのが昭和24年の11月。母の妹、叔母さんに長女が産まれたのが同じ年の12月。母にまだ祖母(僕にすれば曾祖母)が生きていたときのことで、そのおばあさんにとっては3人目の孫になります。4代目まで顔を見られれば、戦後まもなく頃なので幸せ者。近所の人が祖母に、これでいつ死んでもいいですね、などと言う物なら偉い剣幕でどなられたとか。まだまだ長生きするつもりだった。

ところが、人の人生などはわからないもの。

年が明けた昭和25年の1月2日。おせちも食べて気分良くお風呂に入った祖母がいつまでたっても上がってこなかったという。
心配になって見に行くと、すでに息を引き取っていたとか。叔父が医者をやっていたので専門家の立場で検視して、間違いなく死んでいたそうな。あれほど生に執着していたのに人の寿命はわからないもの。正月早々葬式を出すことに。

しかし、急死だった物だから、当人に死の自覚がなかった模様。その日から変なことが日常的に起こり始める。

まず、母の夢の中に毎日姿を現していたとか。
 映画を見に行く夢を見ると、隣に黙って座っていたり、買い物に行く夢では一緒に買い物をしていたり。ほとんど毎日のように夢に出てきていたとか。

おかしなことは実家にも起こっていた。

母の母、祖母の夢の中にある晩出てきて、「暗い、暗い」とつぶやいていたとか。
気になって仏壇を見に行くと、四十九日の間、つけっぱなしにしていなくてはいけないお灯明が消えていたとか。

そんなこんなが起こり続けて春になる。

滋賀の嫁入り先から叔母が娘を連れて里帰りをしてくる。
暖かくなった頃ということで、二人の赤ちゃんを並べて我が家の縁側で写真を撮ろうと言うことになる。

そして撮ったのがこの写真

なぜか写真の中心が変にずれていて、妙な物が写っている。
ごみだろうかと思ったそうだが、じっと見ていると人の姿に見えてくる。しかも和服を着たその姿は、亡くなったおばあさんにしか見えない。着物の着方も生前の姿とそっくりの様子。

これまでの奇妙なことと思い合わせて心当たりがある。

本人は急死だからこの世に未練一杯で死にきれなかったのかもしれない。

ということで父方の祖母の知り合いに祈祷師がいたということで、頼んでおがんでもらったとか。
すると数日後、母の夢枕に現れて一言。「おかげで良い所に行けました」
そしてその日からぷっつりと夢にも現れなくなったという。

この写真は気持ち悪いので母だけが持っているとか。

二人の赤ちゃんの反対側の隣には叔母がいるのだが、叔母の家ではやはり気持ちが悪いからと、上部を切り取った写真しか残していない。写真も古くなったので、原盤を元に焼き増しして貰ったもので、母が亡くなってからは原盤も無くなって、この写真しか残っていない。