丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

夏のキャンプ

2009年12月16日 | 個人史
昔から胃腸がとても弱い。
小さい頃は「おやつ」なんてなかったこともあったが、ビオフェルミンを
おやつかわりになめていた。ヤクルトも愛用していた。
牛乳は今は大好きだが、小さい頃はお腹にやさしくなかった。
本当はコーヒー牛乳をとってほしかったのだが、あれははっきり言って
栄養価の低いただの飲料にすぎないので、妥協してフルーツ牛乳を毎日
購入していたときもあった。前に書いたように中学校ではミルク給食で、
毎日ミルクを飲んでいたが、これもお腹にあまりよくなかった。
それでも、クラスに欠席者が出た時には休みの生徒の分ももらって
飲んだりして、必ずその日はお腹を壊していた。

征露丸がかかせなくて愛用して持ち歩いていた。これはけっこうきついものがある。
薬剤師の叔母にお腹の薬を調合してもらって愛用していた。これは実に
よく効いた。めったに叔母の家に行くこともなかったので、すぐに薬が
なくなってしまって困った。
高校帰りに駅のホームのベンチに倒れ込むこともあって、通りがかりの
先輩の顔見知りの女子に心配されたこともあった。

腹痛で病院通いはしょっちゅうのことで、触診には慣れて自分でもできるように
なった。だから盲腸になったときには自分でもすぐに気がついて覚悟を
決めることが出来た。
たいていの場合は大腸カタルという病気で、(大腸が何を語るのかは知らないが)
結婚してからは陀羅尼助を常備薬にして持ち歩いている。
大腸カタルの時はお腹が冷えてくるので、「手当て」が一番で、
冷えたお腹を暖かい手のひらで温めると落ち着いてくる。

大学以上になってくると神経性胃炎の時が多くなってきた。まだそんな病名が
出回っていない時に、自分で勝手に病名をつけたらこれがいつしか正式名称に
なっていた。

で、中学1年の夏休みに学校の校庭を使って一日キャンプが行われた時、
お腹を壊してしまった。学校行事を欠席してしまったのは後にも先にも
この1回だけだろう。校庭にテントを張って星空を眺めたり、飯盒炊飯を
したり、キャンプファイヤーをしたりと楽しみにしていたのに、実に残念。
翌年は何もなかっただけにことのほか残念。