運動は苦手だ。
脚力が全然無いので、とにかく足が遅い。50mを10秒で走ったのが記録。
持久力もない。冬は校庭7周半の1500m走を走らされるが、25人で走って後ろから2・3番目。当時は「骨川筋右衛門」と呼ばれるほどのガリガリで肥満とは縁遠かったのに、とにかく体力がなかった。
腕力もない。ボール投げでも少しも飛ばない。ジャンプ力もない。だからおよそ球技とは縁がない。野球でも外野が守れない。さらには外野フライでボールがどこに落ちるかの予測がまるでできていないので、高く上がったボールの真下にいる始末。ボールは放物線で落ちるので、真下には落ちてこない。だからいつでもボールを後逸してしまう。
ドラムのように手足を同時に使うことなどできないので、バスケットボールでドリブルシュートができない。ドリブルはできるけれど、前後運動の直後に突然上下運動に切り替えることができなくて流れが途切れてしまう。
ジャンプ力も背筋力もないのでバレーボールもむいていない。
水泳は先に書いたようにまったくのカナヅチ。
およそ体育など縁がなさそうなのだが、唯一得意だったのが体操及び器械体操。
ラジオ体操は完璧。小さい頃から夏のラジオ体操は皆勤だったので、音楽付きで完璧にこなせる。
余談だが、体育の教師でラジオ体操が下手なのがいる。仕方がないか。学生で体操が雑なのが運動クラブの部員だから。準備運動で毎日やらされているのに、実に雑にいい加減な体操しかしていない。まるでロボットのような。この運動がどこの運動なのかまったく考えないでただ機械的にこなすだけ。そんなのを毎日やっていて体が覚え込んでしまっているのが体育大学に入って体育教師になっているのだから、体育教師ほど体操が下手だ。もちろん体操が得意な体育教師もいるし、事実その教師にしっかり実地で教えられて僕の身についたのだが。
閑話休題
小学校で器械体操部に入っていたが、マット運動や跳び箱などはむしろ得意だった。東京オリンピックの体操競技で、「C難度」を越える「ウルトラC」と言うのができて、跳馬の「山下跳び」が有名になったが、地上転回を跳び箱の上で行うだけなのだが、それ自体は実は非常に簡単で、僕も中学時にはそれをこなすことができた。
マット運動では開脚前転でも手をつかずにできたし。足を閉じた伸膝前転も得意だった。地上転回もなんとかできたし、空転もまがりなりにできた。側転は得意中の得意で、五十肩で手が上がらなくなるまで少し長い廊下とかあればすぐにやってしまっていた。ただ後ろに回るのは、伸膝後転は得意だがバック転等は怖さが先立ってとうとう出来ずじまい。
跳び箱ではけっこうな高さまで跳べた。踏み切りが得意でタイミング良く跳べた。普通の開脚もそうだが閉脚跳びもやったし、V字形でも跳んだ。
器械体操系は得意なのに、学校に体操部があったのにも関わらず入れなかったのは鉄棒が怖かったから。高所恐怖症ということもあり、さらには前述のように鉄棒から手を離すことができなかった。手を離さなければ足かけ運動も前転・後転どちらもできたし、高鉄棒で1回振っただけで足かけで上ることもできた。後述するが蹴上がりも得意だった。でも鉄棒ではいわゆる「猫」という手を離した技ができなければ何もできない。そんなわけで体操部には入れなかった。
しかし体操だけはたとえ体操部といえど負ける気はしなかった。
1年時の体育大会での学年演技は「棒体操」というのを行った。肩幅より少し長いだけの棒を使って演技をするのだが、学年の代表5人が選ばれて、運動場前の体育館2階のベランダに上がって指導演技を行った。僕以外の後の4人はすべて体操部だったのだが、押されて僕が一番中央になった。一番間違えないでしっかりとできたから。実際本番で一つも間違えなかったのは僕だけだったとか。
前で行う時には左右逆に行う必要があるのだが、この時がきっかけだったのか、それともそれ以前からだったかは忘れたが、ラジオ体操でも指導用に左右逆に行う機会が多かった。高校の時は体育委員もやったから当然左右逆だし、教師になってからは体育大会で生徒の前でやることが多いので当然左右逆にやっていた。
まったく関係ないけれど、文字を書く時も左右逆の文字、いわゆる「鏡文字」を書くことができる。普通の人は両手を使って、利き手で正しく書きながら同時に反対の手で逆さ文字を書くのだが、僕の場合は最初から利き手だけで鏡文字が書ける。
9教科で実技教科の4教科のうち音楽は得意だったので、小学校4年の1学期だけ「4」だったがそれ以外9年間「5」ばっかり取っていたが、それ以外の実技3教科で「5」はとうとう取れなかった。まあ真剣に取り組んでいたので「3」または「4」で落ち着いてはいたが。体育でも真剣さでは「5」をもらってもよかったのだが、いかんせん水泳を一切さぼったのでそれは最初からあきらめてはいた。
脚力が全然無いので、とにかく足が遅い。50mを10秒で走ったのが記録。
持久力もない。冬は校庭7周半の1500m走を走らされるが、25人で走って後ろから2・3番目。当時は「骨川筋右衛門」と呼ばれるほどのガリガリで肥満とは縁遠かったのに、とにかく体力がなかった。
腕力もない。ボール投げでも少しも飛ばない。ジャンプ力もない。だからおよそ球技とは縁がない。野球でも外野が守れない。さらには外野フライでボールがどこに落ちるかの予測がまるでできていないので、高く上がったボールの真下にいる始末。ボールは放物線で落ちるので、真下には落ちてこない。だからいつでもボールを後逸してしまう。
ドラムのように手足を同時に使うことなどできないので、バスケットボールでドリブルシュートができない。ドリブルはできるけれど、前後運動の直後に突然上下運動に切り替えることができなくて流れが途切れてしまう。
ジャンプ力も背筋力もないのでバレーボールもむいていない。
水泳は先に書いたようにまったくのカナヅチ。
およそ体育など縁がなさそうなのだが、唯一得意だったのが体操及び器械体操。
ラジオ体操は完璧。小さい頃から夏のラジオ体操は皆勤だったので、音楽付きで完璧にこなせる。
余談だが、体育の教師でラジオ体操が下手なのがいる。仕方がないか。学生で体操が雑なのが運動クラブの部員だから。準備運動で毎日やらされているのに、実に雑にいい加減な体操しかしていない。まるでロボットのような。この運動がどこの運動なのかまったく考えないでただ機械的にこなすだけ。そんなのを毎日やっていて体が覚え込んでしまっているのが体育大学に入って体育教師になっているのだから、体育教師ほど体操が下手だ。もちろん体操が得意な体育教師もいるし、事実その教師にしっかり実地で教えられて僕の身についたのだが。
閑話休題
小学校で器械体操部に入っていたが、マット運動や跳び箱などはむしろ得意だった。東京オリンピックの体操競技で、「C難度」を越える「ウルトラC」と言うのができて、跳馬の「山下跳び」が有名になったが、地上転回を跳び箱の上で行うだけなのだが、それ自体は実は非常に簡単で、僕も中学時にはそれをこなすことができた。
マット運動では開脚前転でも手をつかずにできたし。足を閉じた伸膝前転も得意だった。地上転回もなんとかできたし、空転もまがりなりにできた。側転は得意中の得意で、五十肩で手が上がらなくなるまで少し長い廊下とかあればすぐにやってしまっていた。ただ後ろに回るのは、伸膝後転は得意だがバック転等は怖さが先立ってとうとう出来ずじまい。
跳び箱ではけっこうな高さまで跳べた。踏み切りが得意でタイミング良く跳べた。普通の開脚もそうだが閉脚跳びもやったし、V字形でも跳んだ。
器械体操系は得意なのに、学校に体操部があったのにも関わらず入れなかったのは鉄棒が怖かったから。高所恐怖症ということもあり、さらには前述のように鉄棒から手を離すことができなかった。手を離さなければ足かけ運動も前転・後転どちらもできたし、高鉄棒で1回振っただけで足かけで上ることもできた。後述するが蹴上がりも得意だった。でも鉄棒ではいわゆる「猫」という手を離した技ができなければ何もできない。そんなわけで体操部には入れなかった。
しかし体操だけはたとえ体操部といえど負ける気はしなかった。
1年時の体育大会での学年演技は「棒体操」というのを行った。肩幅より少し長いだけの棒を使って演技をするのだが、学年の代表5人が選ばれて、運動場前の体育館2階のベランダに上がって指導演技を行った。僕以外の後の4人はすべて体操部だったのだが、押されて僕が一番中央になった。一番間違えないでしっかりとできたから。実際本番で一つも間違えなかったのは僕だけだったとか。
前で行う時には左右逆に行う必要があるのだが、この時がきっかけだったのか、それともそれ以前からだったかは忘れたが、ラジオ体操でも指導用に左右逆に行う機会が多かった。高校の時は体育委員もやったから当然左右逆だし、教師になってからは体育大会で生徒の前でやることが多いので当然左右逆にやっていた。
まったく関係ないけれど、文字を書く時も左右逆の文字、いわゆる「鏡文字」を書くことができる。普通の人は両手を使って、利き手で正しく書きながら同時に反対の手で逆さ文字を書くのだが、僕の場合は最初から利き手だけで鏡文字が書ける。
9教科で実技教科の4教科のうち音楽は得意だったので、小学校4年の1学期だけ「4」だったがそれ以外9年間「5」ばっかり取っていたが、それ以外の実技3教科で「5」はとうとう取れなかった。まあ真剣に取り組んでいたので「3」または「4」で落ち着いてはいたが。体育でも真剣さでは「5」をもらってもよかったのだが、いかんせん水泳を一切さぼったのでそれは最初からあきらめてはいた。