丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

国語の教師

2010年01月12日 | 個人史
中学1年の国語の教師は、最初の授業で、吃音の者はいるかと聞かれた。
返事をしたところ、その1年間本読みはいっさい当たらなかった。
小学校の時につっかえながらも本読みをして、むしろ朗読が好きだったから、
当てられないことが不満だった。ありがた迷惑というか、親切の押し売りというか。

2年の時の国語教師は、苗字の漢字は小学校で習う漢字なのだが読み方が難しいという名前で、最近では女子フィギュアスケートの選手で同姓の選手がいて読める人も増えたのだが、国語の先生と姻戚関係でもあるのだろうか、非常に珍しい名前だから。
この先生の授業で、ある時、前回の授業と同じ内容を始められた。復習をされているのだろうかと最初は思っていたのだが何だか様子がおかしい。教室の中もだんだん不安になってきて、かなりの時間が経ってから、これ前回聞いてますと言ったら、どうしてもっと早く言わないかと言われた。どうりでこのクラスは質問してもみんなよく答えられるなと思ったと。

3年の時の国語の教師は男の教師なのだが、しゃべり方がやけに女性っぽい。それでいてつばきを飛ばしながらしゃべるので、一番前の席はつばだらけになったり。ついたあだ名が「つばき姫」。
この教師、何にもわかっていないなと感じた。
当時「愛と死を見つめて」という本が爆発的にヒットした。病気の若い男女の大量の文通の記録を本にまとめたもので、女性の方は若くして亡くなってしまうのだが、この純愛の記録がベストセラーになり、TVドラマになって大ヒット、吉永小百合で映画化されてまたまたヒット、歌が出来てその年のレコード大賞を取ったりの評判の本だったが、この国語教師はこの本を批判して、こんなのは何十年も残らないつまらない本だと切り捨てた。本当に名作と言えるのは何十年経っても評価の変わらない本だと。この教師、この本を読んだこと無いんだと。古典の名作と同列に並べてどうする気なんだろうと思った。