家族全員がそろった夕食は何年ぶりだったろう。元から無口だった父でさえも、何となく機嫌が良さそうで、畑の話や今年の気候についてよく喋った。母も近所に起きた小さな事件なども話はしてくれたが、誰も気を遣ってか、由布の近況やこれからのことなどはあえて話題にはしなかった。もちろん聞かれても答えられはしなかったのだが。
食事が済むと、元は百合と祭りに行くから、と言って浴衣に着替えて出かけて行った。由布も一緒に来るかと誘われはしたが、お邪魔虫になるからということを口実にして断った。その替わり、帰りに百合を家に連れてくるように頼んでおいた。
暢も明日は日曜だけれど朝から部活があるからと言って早めに休んだ。もっとも、元と百合の邪魔をしないという心遣いなのはミエミエだったのだが。
手持ちぶさたの由布は、久しぶりに田舎のTVに映る番組を眺めて時間を潰した。祭りに出かけても良かったのだが、まだ今日は出かける気にはなれなかった。聞こえてくる祭り囃子の音を家の中でじっと聞くことがリハビリの一歩でもあった。不思議に以前よりかは体は硬くならなかった。少しは慣れてきたのだろうか。
9時過ぎにようやく元と百合が戻ってきた。
「百合ちゃん、久しぶり。元気にしてた?」
「お久しぶりです。由布ちゃんこそ元気でした?」
「うん、私は元気よ。でも綺麗になったわね。もうすっかり娘さんらしくなって」
「そんなことないです。まだまだ高校生気分が抜けなくって」
「私が知ってるのは中学生の百合ちゃんだから、すっかり見違えたわよ。高校生ですっきり大きくなったんじゃない」
「由布ちゃんはいつまでおられるんですか?」
「うん、月曜の昼前のバスには乗らないといけないかな」
「え、そうですか。ゆっくりお話ししたかったんですけど、明日は私、一日中用事があるんで……」
ちょっと悲しそうに百合がつぶやくと、元が替わって答えた。
「じゃあ、月曜に由布をバス停まで送っていけば?俺、月曜は朝から大学に行かないといけないから送っていけないし」
「元も忙しいんだ」
「ああ、今日も昼までバイトしてたし、明日も朝から一日中バイト。俺でさえ由布とろくに話する時間、取れそうにもないし」
「そう。じゃあ、今からじっくり話しないとね」
「それじゃあ、私、もう帰りますね。由布ちゃん、明後日またお会いしましょう。早めに来ますからゆっくり話しましょうね」
「そう。じゃあ、明後日ね。元、送って行きなさいよ」
「いいですよ一人で大丈夫です。家まで道も明るいし。それに送られて、送って、ってきりがなくなりそうだから」
「そう、じゃあそこまで一緒に」
「じゃあ、元ちゃんお休み。また後でね」
「ああ、気をつけてな。後でまた」
「何だ、何だ。夜中に長電話する気?」
「いえ、無事に帰ったことだけ知らせるだけで……」
「はいはい、好きにしてください」
そう言ってから、見送る元を残して百合を連れて出かけた。
「ほんとにもういいですから、ここで」
「うん、わかってる。今日は楽しかった?」
「ええ、とっても」
「いいな、若いって。青春してるんだな、君たち」
そう言って百合の浴衣の肩口をポンと叩いた。手のひらに何か違和感があった。何かゴミのような物が手にくっついた。
「う?何だろ?」
「どうかしました?」
「いや、百合ちゃんの肩の所にゴミがついてたみたいで……」
街灯の灯りで何がついたのか見てみた。百合ものぞき込んできた。見れば草のような物だった。
「どうやら草みたいね。でも何でこんな所に……」
ふと顔を上げると、百合の顔がみるみる内に真っ赤になっていった。
「すみません、もうここでいいです。お休みなさい」
そう言うと、いきなり百合は小走りで走り去ってしまった。由布はあっけにとられて後ろ姿を眺めていた。
家に戻って元の部屋に入ると誰もいなかった。汗を流しにお風呂にでも行ったのかもしれない。元の部屋はさすがに大学生の部屋の雰囲気がした。運動部に入ってはいないからそんなに汗臭い部屋ではなかったが、本棚に並んでいる本は、大学の農学部で学んでいることを示すような本ばかりだった。机の上には厚かましくも堂々と百合と二人で撮った写真を飾っていた。どうやら高校卒業の時に撮った物らしかった。卒業証書が入った筒を抱えて嬉しそうな、それでいて悲しそうな表情の二人が並んでいた。幼なじみで小さい時からいつも一緒にいて、小学校・中学校・高校と同じ学校に通ったのだが、大学で初めて離れることになったようなのだから。元は中学の頃から父の後を継いで農業をやりたいと言っていた。だから当然のように農業科のある大学に入ったようだ。元の口ぶりでは百合ちゃんは頭の良い子でないと入れない学校を目指していたのだから、たぶん医学系かの大学にでも入ったのだろう。お互いそれぞれの目標を持って自分たちの道を進んでいる。優柔不断な自分と違って立派だなと由布は思った。
机の引き出しを勝手に開けてみた。アルバムが入っていた。小さい頃、由布と二人で写っている写真がまず目に入った。そして、百合と三人で写っている写真が何枚も続いた。あの頃母の体調が悪くて、元の世話はほとんど由布がやっていた。大変なのを見かねて百合の母親が手伝ってくれた。これらの写真はすべて百合のお母さんが撮ってくれたものだ。中には3人が素っ裸でお風呂に一緒に入っている写真まである。元と百合が小学校に上がるまでは3人一緒にお風呂によく入れてもらったものだ。あれっ?小学生になってからも3人一緒に入ったような記憶もある。元とは彼が中学になっても時折一緒にお風呂に入ることもあったし、百合と二人で入ることもよくあったから、それらがごっちゃになってしまっているような気もするが。
写真はいつ頃か、暢と和馬が加わりだした。さすがに由布が大きくなってきたので一緒にお風呂に入っている写真はない。そして由布の知らない写真も加わりだした。高校生の元と百合が写っている。写真はいつの間にか暢と和馬を加えた4人だけの写真が増えてきている。自分で選んだこととは言え、その中に由布がいないことが寂しかった。暢や元の一番成長する時期に、自分が関わらなかったことに対しての後悔の気持ちが生まれてきた。
暢と和馬の中学校入学の写真がある。写真は5人になっていた。元たち4人に加えて、由布が会ったことのない女の子がその中にいた。衣川みどりという子だろう。ここには自分の居場所が無くなったような気がした。自分がいなくても彼らはしっかり生活し続けている。寂しさが一気にふきだした。最後のページにはどことなく二人だけで寄り添って写っている写真があった。どこかに旅行でも行ったのだろうか。何となく二人の距離感がそれまでと違っているような気がした。
ふと気がつくと、アルバムが入っていた引き出しのその下に箱が隠されていた。何だろうと思って取り出すと、コンドームの箱だった。あの子、こんな物持ってるんだ。その瞬間、先ほどの真っ赤になった百合の顔を思い出した。肩口についていた草。そういう意味だったんだ。あいつ、やるじゃない。なんだかおかしくなってきた。
風呂場に行くと、脱ぎ捨てた元の浴衣や下着があった。
「元!入って良いかな?」
「由布?ああ、いいよ」
ここが暢と違うところだ。何の迷いもなく、由布は服を脱ぎ捨て、風呂場に入っていった。浴槽に浸かっていた元は別に驚きもせずに裸の由布を迎えた。お湯を体にかけ、広々とした浴槽に元と向かい合って入った。
「久しぶりだね、由布とお風呂に入るって」
「そうね、あんたが中学のいつだったかな?3年の時に入ったかな?」
「3年の時は入ってない。それは覚えている」
「ふーん、覚えてるんだ。姉ちゃんと入って恥ずかしくなったとか」
「それはない。一緒に入るのが当たり前みたいなところあったし。別に由布の裸見ても何とも思わないし」
「何か残念みたいな気分ね。じゃあ、百合ちゃんだったら?」
「……」
「あっ、返事しないんだ。意識するようになったのかな?」
「そういうことじゃないよ。そりゃ、いくら小さい頃一緒によくお風呂に入った仲だって言っても、やっぱり他人だし。それに……」
「それに。何?何かじっくりそこんところ聞きたいな」
「いくら姉弟でも秘密って物はあるから」
「まあ、それは後で聞こうかな。話変わるけれど、元は知ってたんでしょ、暢の担任の先生のこと」
「ああ、由布の先輩のこと?」
「どうして黙ってたの?」
「別に黙ってたわけじゃないよ。それに暢の写真見ればすぐにわかることだったし」
「私と先輩と付き合ってたこと、元には話してたわね。だのに……」
「俺、知ってたんだ。由布が先輩と別れたこと」
由布は思わず元の顔を見た。誰にも何も言っていないのに。元は遠くを見るような顔で話を続けた。
「あの夏の日。日にちは忘れたけど、俺が帰ってきた時に由布が風呂に入ってること知ったから、久しぶりに一緒に入ろうかって思ってそこまで来たら、中から由布が泣いている声がしてきて、それで入れなくなっちゃったんだ。先輩と喧嘩でもしたのかな、って思って黙ってた。でもその日から由布の口から先輩の話がまったく出てこなくなった」
由布が暢と一緒にお風呂に入る時は、ほとんど昔話とか童謡とかを聞かせるくらいだったが、元とは年も近いこともあって、彼が中学になって時たま一緒にお風呂に入る時には、先輩の話をよく聞いてもらった。両親には言えない心に留めているだけの気持ちをどこかに吐き出したい気持ちもあり、その聞き手として元を選んだ。元には自分の本音を素直に言えるような、そんな信頼関係があった。
「それで、時間が経てば仲直りするだろうと思っていたんだけど、あれ以来急に由布はガリ勉になって、遠くの大学を受験するって言い出して。その時思ったんだ。先輩に思いっきり振られて、顔も見たくないようになって、先輩のいない場所に逃げ出したくなったんだってね。俺も覚悟を決めたんだ。今まで由布にばっかり甘えてきたけれど、これからは由布の負担になってはいけないって。それは俺の自立もあるけれど、暢のことも俺に任せておけ、っていう気持ちも。由布がどれだけつらい思いをしたのか知らないけれど、心の傷癒えるまで俺に任せておけ、ってそんな気持ちになった」
「そうだったの。ありがとう。お母さんに反対された時に元がきっぱり賛成してくれたの、嬉しかった。迷惑掛けるの、十分判ってたんだけど」
「いいって。おかげで俺もずいぶん強くなれたんだから。今まで気のゆるみがけっこうあったんだよな。誰にも頼らないって決めてから、おかげで高校じゃ無遅刻無欠席だったんだから。それで、話、元に戻すけど、暢が担任の先生の話を興奮してよく話すんだけど、由布はいつも『先輩』としか言わなかったから、名前よく覚えていないんだけど、暢の話と先輩のイメージがダブってきたんだ。で、その先生が、昔好きだった人を傷つけてしまったって話を聞いた時、ああ、やっぱりそうなんだ、って思った。春に授業参観が会った時に、後で先生に会って、暢の兄とは言わないで、由布の弟です、って名乗ったら、由布はどうしてる?って聞かれた。連絡ないですって正直に言ったら、もし連絡ついたら、ものすごく後悔しているって伝えてくれって言われた。由布を捨てるなんてどんなひどい奴かって思ってたんだけど、4年前は知らないけれど、俺が見る限り、今はとっても良い先生やってるって感じだった。何しろ暢がべたぼれだし。まあ、一度直接会って話してみろよ、お節介かも知れないけれど」
「そうね、考えてみる。これも何かの運命かもしれないし……」
本当は考えたくもなかった。でも考えてもみたい。複雑な心境だった。
「ところで、突然話変わるけど、百合ちゃんとはどんな関係なの?」
「えっ?どんなも何もないけど。由布の知っての通り」
「ただの幼なじみだけじゃないでしょ。わかってるんだから。いつからなの?」
「ええ?困ったな、いつからって言われても」
「この際正直に全部言っちゃいなさいよ。私のことだって、他の誰も知らないこと、元にだけは話してるんだから」
「わかったよ、全部話すから。そうだな、最初は小学校の卒業式の日かな」
「何それ?えらい早いじゃない」
「いや、別にどうってことはないんだけど。小学校卒業って言ったら、一応これからは電車やバスなんかも大人料金になるわけだし、もう子どもは卒業ってことで、お祝いにって、キスしたんだ」
「えっ!知らなかった。いつの間に。それってやっぱり口と口で?」
「他にどこにするんだよ」
「いや、ほっぺたとか、おでことか、手の甲とか……」
そう言うと、元は一瞬呆然とした顔をした。
「ああそうか、そんなところもあったのか。まったく考えもしなかった」
「小学生だったらふつうはそうでしょ。いきなり口と口なんて。映画とか見たことない?」
「そんな、子どもがキスする映画なんて見たことないし。普通は口でしょ」
「まあいいや。それで?」
「うん。キスと言っても一瞬なんだけどね。なんかどぎまぎしちゃって。おまけに、ひょっとして子どもができたらどうしようなんて急に考え出して」
「何言ってるの。キスしたぐらいで子どもできるわけないでしょ」
「今だからそんなこと言えるけれど、まだ12歳だぜ。男と女が体を触れ合ったら子どもができる、って聞いてたし。世間で愛し合ってる男女がやってることって、まずキスじゃない。だから、3ヶ月間心配だった。3ヶ月たって、子どもが生まれる気配もなかったから安心したけど」
「何で3ヶ月なのよ」
「だって、由布が生まれたの、うちの親が結婚して3ヶ月後だろ」
「バカ。3ヶ月で生まれるわけないじゃない。私は別なの」
とは言ってはみたが、実は笑えなかった。自分も同じ事を中学3年まで思っていたのだったから。子どもが生まれる仕組みを友人から具体的に聞いて知ったのは3年になってからだった。しっかり友人には笑われたものだった。
「百合にもしっかり笑われてしまったよ。中学卒業の時は安心してゆっくりキスし合えたから」
「何々、卒業毎にキスし合ってたの?その間は?」
「だって、キスって本当に愛し合ってる恋人達がやるもんじゃない。俺たち、恋人なのかどうなのか、よくわからなかったから。まあ卒業の時はお祝いだから、特別にってことで」
「で、次は高校卒業の時?」
「まあね、それはその……」
「ふーん、実はいろいろあるんだ。いいから全部白状しな」
「いや、それでいいだろう。勘弁してよ」
「さっきね、元の机の引き出しの中から、いいもの見つけたんだよ。コンドームの箱。けっこう使った形跡があるんだけど。そこんところ、聞かせてもらおうかな。他に誰も聞いてないことだし」
「あれ、見つかっちゃったんだ。しょうがないな」
「そおいうことで、その先をよろしく」
元はすっかり覚悟を決めた。由布には何も隠し事はできないし、聞かれたことには答えてしまう性格だった」
「こんなこと話したら百合っぺに怒られるけど。まあいいか。ゆっくり怒られることにしよう」
「私が無理矢理喋らせたということにしていいからね」
「大学入試に合格した時に、百合っぺがお祝いしたいって言ってね。まあキスだけでもよかったんだけど、何でも良いからあげる、って言ったんで、俺、つい、百合がほしい、って言ったんだ」
「うわぁ、大胆!」
「やっぱりそう取るのかな。俺としたら別に深い意味も何もなかったんだけど」
「深いも浅いも、同じ事でしょ、普通」
「いや、変な意味じゃなく、百合がいてくれたらそれだけで十分だ、ってくらいの意味で言ったんだけど。でもあいつ、ちょっと考えてから、いいわ、って言って……。俺こそ、えっ?って気持ちだったけど、あいつ、しっかり春休みに二人だけの温泉旅行を準備していて、言われるままに連れて行かれた。で、二人で温泉に浸かって、念を押された。大学卒業するまでまだ子どもはできてほしくないから、だから避妊だけはしっかりしてほしいって。それだけ守ってくれるんだったらいつでもいいからって。そんなことで、一箱しっかり渡されて、その日が初めての日。それからも必ず避妊はしてる。うちの母ちゃんみたいに、大学辞めるようなことになってほしくないから」
「今日も?」
「あっ、ばれてるんだ。どうして?」
「そんな気がしただけ。後で百合ちゃんに聞けばわかる。で、あんたたち、これからどうするつもり?」
「うん、来年になれば俺たち二十歳になるだろ。そうしたら正式に婚約しようと思ってる。で、卒業と同時に結婚しようと決めてる」
「うちのお母さんとかは知ってるの?」
「世間話で、母ちゃん、百合っぺに早くうちの家に来て欲しいみたいなこと、しょっちゅう言ってる。あいつも、はい卒業したら、みたいな返事してるし」
「百合ちゃんちはどうなのかな。うちと違って家柄も良い家だし。釣り合わないとか言い出されないかな」
「うん、この前、こんなことがあったんだ」
…………
暢と和馬の中間考査のある前の日曜日だった。二人ともみどりの家で試験勉強しに行ってたので、元は百合の家のリビングで、お互いの大学の話なんかをのんびりと語り合っていた。百合の母親がケーキと紅茶を用意して、一緒に座り込んで、ごく自然な感じで、世間話でもするような調子で二人に話しかけてきた。
「ねえ、あんたたち、これから先どうするつもりなの?」
柔らかい口調ではありながら、冗談は受け付けないような、そんな真剣な口調で、一瞬元はどう答えて良いのか返答に迷った。その時、静かに百合が先に語り出した。
「わたし、大きくなったら元ちゃんのお嫁さんになりたいって言ってたわね。覚えてない?お母さん」
「覚えてるわよ、幼稚園のときかしら」
「小学校の時の作文にも書いたことあったわ。大きくなったら何になりたいか、ていう作文で、大きくなったら元ちゃんのお嫁さんになって、子どもは3人ほしい、なんて書いた覚えがあるわ」
その作文のことは元も覚えている。おかげでけっこうからかわれた物だった。
「どうして3人なんて行ったのかしら?」
「だって、兄弟の一人が、旅行やら仕事の都合とかでいなくなっても、まだ二人残っていたら寂しくなく待ってられるでしょ」
その答えに元はちょっと驚いた。それは今の元の姉弟のことを意味しているのではないだろうか。もっとも、その作文が書かれたのは暢が生まれた頃でもあり、ただ単に3人姉弟がうらやましかっただけなのかもしれない。今、百合が言った理由は、後からつけた理由じゃないだろうか。そんな気がしてきた。
「誰でも小さい時は、一番近くにいる人と一緒になりたいなんて、よく言う物よね」
「でも、わたし、あれから気持ち、まったく変わってない。今も同じ気持ち」
百合の母は今度は元の方を向いて言った.
「元君、あんたは?」
きっぱり答えた百合の返答に元自身もちょっと驚いて、なおさらどう答えて良いかわからなかった。それでも少し考えてからこんなことを言った。
「中学2年の時、進路学習でこんな話があったんです。自分の進路を考える方法の一つとして、10年後、20年後の自分の姿を想像してみよう、というのがあったんです。その時自分はどこで何をしているだろうか、そんなことを想像してみたら、漠然と、自分は何を目指しているのかがわかるって。で、俺もちょっと想像してみたんです。俺、やっぱり親の後を継いで畑仕事しているだろうなって。で、10年後の自分を思い描いたみたら、畑仕事をしているすぐ横で、百合ちゃんがやさしく見守っていてくれる姿が浮かんだんです。20年後も想像してみたら、庭で小さな子供達が走り回ってる様子を、縁側でお茶を飲んで眺めている自分の姿が浮かびました。そこでも、俺のすぐ横で、百合ちゃんがちょこんと座って、お茶を飲んでいるんです。そんなことを思い浮かべていたら、『幸せ』ってこんなことを言うのかな、なんて思ったんです。うまくは言えないんですけど」
元の言葉を聞いて、百合の母は静かに言った。
「二人の気持ちはよくわかったわ。元君、これからも百合をよろしくね」
「こちらこそ。俺の方こそ百合ちゃんに迷惑かけっぱしですけど」
なんだかその場で親に対して結婚の申込みをしてしまったような、そんな変な気分になって。元も百合もちょっと苦笑いをしてしまった。
…………
「とまあ、そんなことがあったんだけど、あいつのお母さんは、家柄とかそんな話はまったくしなかった。いつ、一緒になってもかまわないようなそんな感じで、それだけはまだご勘弁を、って。その時が来たら正式に話に来ますからって一応言っておいたんだけどね。俺たちはそれまで結婚とかそんな話はまったくしてなかったから、ちょっと意識し出しちゃったりして」
「でも、別に気まずくもなっていないんでしょ。だったらいいじゃない」
「うん。でもきちんとしないといけないな、って思ってはいる。だいたい、百合っぺが薬学部に入ったのも、俺の健康のことを考えてのことなんだし、あいつの気持ちにしっかり答えないといけないから。だから一応、俺の気持ちの中では決めてるんだ。二人どちらも20歳になったら、百合っぺにきちんとプロポーズしようって」
「どうでもいいんだけど、ねえ、元。その『百合っぺ』って言い方、そろそろ止めない?照れで言ってるのは分かるんだけど。もうそう言う呼び方するような年でも関係でもないでしょ」
「うん、由布の前だとなんとなく照れるんだよな。これから気をつける」
明日は早いと元は言っていたし、百合も朝から出かけると言っていたわりに、この日の夜はけっこう遅くまで二人は電話していたようだった。