ひびこれこうじつ

とりとめなく、日々の覚書です。

『仏教が好き!』『唯脳論』

2020-05-10 15:30:28 | 
河合隼雄と中沢新一の対談本、
『ブッダの夢』
が、大変に面白く、続く、
『仏教が好き!』
を読んだら、もう10年以上やっているACIMに対しての、
ずっと抑え込んできた微妙な違和感が、くっきりと形を持ってきた。

そもそもその違和感のせいで、今書いている駄文がまったく進まない。
いや、全く進まないので、やっと違和感を持っていることを認める気になった。
ある意味、気づいてしまうとまずい問題だったのだけど、そしたらこういう本に出会う。
うまくできている。

その後に、なぜか手を出したのが養老孟司の『唯脳論』。
何年も前に買ってあったのに、難しくて手が出なかった。
ちょっと続けて本を読んで、読めそうな気がしてきたのかもしれない。
今回もわからない言葉がたくさんで(哲学用語とか歴史のこととか)スマホ片手に、
三日くらいかけて読んだのだが(私にしてはかなり速い速度だ)、
ついには興奮のあまり夜中に起きて考え出してしまったくらい、刺激的だった。

が、この本でACIMに対する違和感は決定的になり、
「……これ、ACIMを続けられるのか?」
と、本気で思った。

その違和感というのは、御父と神の子の関係性の部分、特に、
なぜ神の子は父権を横領して世界を作ろうとしたか、という部分に対してで、
実はずっと、
「どうもそのへん、実感がないというか、身に覚えがないというか……」
という感じだった。

ただ、ACIM自体が象徴としての言葉で書かれた、二重の象徴であること、
キリスト教的用語は、意図的にキリスト教的意識を解体するために使われていること、
そして特にこの辺りの、エゴの成立の問題に対する記述は、単なる比喩でしかない、
ということは、一応わかっているつもりだったので、
(「だからACIMは、論理上、砂上の楼閣でしかない」と、かつて言っていた人がいて、
とても印象に残っている)
「わかりました、ではそういうことで」
と、とりあえず丸呑みしていた感じだったが、今回ようやく、
「ああ、私の思考回路はなんだかんだ言って仏教ベースで、
そういう脳みそだから、このキリスト教的物語の比喩に心当たりがないんだ」
ということがはっきりわかった。

だとしたら、この比喩が意味する本来の意味を損なわず、
自分がしっくりくるような比喩に置き換えられるのか?
と考えていたら、案外あっさりと、
「あ、それでいいのか」
と落ち着いてしまった。
まだ本当にそれでいいのか、ちょっと自信がないけど、しばらく関連本を読んでみよう。
もちろん、日々の赦しは忘れずに。

ちょっとここ数日はハードな旅行をした感じだったけど、だから、こういう本はやめられないw
そして、やっぱり養老先生はすごい。