河合隼雄と中沢新一の対談本、
『ブッダの夢』
が、大変に面白く、続く、
『仏教が好き!』
を読んだら、もう10年以上やっているACIMに対しての、
ずっと抑え込んできた微妙な違和感が、くっきりと形を持ってきた。
そもそもその違和感のせいで、今書いている駄文がまったく進まない。
いや、全く進まないので、やっと違和感を持っていることを認める気になった。
ある意味、気づいてしまうとまずい問題だったのだけど、そしたらこういう本に出会う。
うまくできている。
その後に、なぜか手を出したのが養老孟司の『唯脳論』。
何年も前に買ってあったのに、難しくて手が出なかった。
ちょっと続けて本を読んで、読めそうな気がしてきたのかもしれない。
今回もわからない言葉がたくさんで(哲学用語とか歴史のこととか)スマホ片手に、
三日くらいかけて読んだのだが(私にしてはかなり速い速度だ)、
ついには興奮のあまり夜中に起きて考え出してしまったくらい、刺激的だった。
が、この本でACIMに対する違和感は決定的になり、
「……これ、ACIMを続けられるのか?」
と、本気で思った。
その違和感というのは、御父と神の子の関係性の部分、特に、
なぜ神の子は父権を横領して世界を作ろうとしたか、という部分に対してで、
実はずっと、
「どうもそのへん、実感がないというか、身に覚えがないというか……」
という感じだった。
ただ、ACIM自体が象徴としての言葉で書かれた、二重の象徴であること、
キリスト教的用語は、意図的にキリスト教的意識を解体するために使われていること、
そして特にこの辺りの、エゴの成立の問題に対する記述は、単なる比喩でしかない、
ということは、一応わかっているつもりだったので、
(「だからACIMは、論理上、砂上の楼閣でしかない」と、かつて言っていた人がいて、
とても印象に残っている)
「わかりました、ではそういうことで」
と、とりあえず丸呑みしていた感じだったが、今回ようやく、
「ああ、私の思考回路はなんだかんだ言って仏教ベースで、
そういう脳みそだから、このキリスト教的物語の比喩に心当たりがないんだ」
ということがはっきりわかった。
だとしたら、この比喩が意味する本来の意味を損なわず、
自分がしっくりくるような比喩に置き換えられるのか?
と考えていたら、案外あっさりと、
「あ、それでいいのか」
と落ち着いてしまった。
まだ本当にそれでいいのか、ちょっと自信がないけど、しばらく関連本を読んでみよう。
もちろん、日々の赦しは忘れずに。
ちょっとここ数日はハードな旅行をした感じだったけど、だから、こういう本はやめられないw
そして、やっぱり養老先生はすごい。
『ブッダの夢』
が、大変に面白く、続く、
『仏教が好き!』
を読んだら、もう10年以上やっているACIMに対しての、
ずっと抑え込んできた微妙な違和感が、くっきりと形を持ってきた。
そもそもその違和感のせいで、今書いている駄文がまったく進まない。
いや、全く進まないので、やっと違和感を持っていることを認める気になった。
ある意味、気づいてしまうとまずい問題だったのだけど、そしたらこういう本に出会う。
うまくできている。
その後に、なぜか手を出したのが養老孟司の『唯脳論』。
何年も前に買ってあったのに、難しくて手が出なかった。
ちょっと続けて本を読んで、読めそうな気がしてきたのかもしれない。
今回もわからない言葉がたくさんで(哲学用語とか歴史のこととか)スマホ片手に、
三日くらいかけて読んだのだが(私にしてはかなり速い速度だ)、
ついには興奮のあまり夜中に起きて考え出してしまったくらい、刺激的だった。
が、この本でACIMに対する違和感は決定的になり、
「……これ、ACIMを続けられるのか?」
と、本気で思った。
その違和感というのは、御父と神の子の関係性の部分、特に、
なぜ神の子は父権を横領して世界を作ろうとしたか、という部分に対してで、
実はずっと、
「どうもそのへん、実感がないというか、身に覚えがないというか……」
という感じだった。
ただ、ACIM自体が象徴としての言葉で書かれた、二重の象徴であること、
キリスト教的用語は、意図的にキリスト教的意識を解体するために使われていること、
そして特にこの辺りの、エゴの成立の問題に対する記述は、単なる比喩でしかない、
ということは、一応わかっているつもりだったので、
(「だからACIMは、論理上、砂上の楼閣でしかない」と、かつて言っていた人がいて、
とても印象に残っている)
「わかりました、ではそういうことで」
と、とりあえず丸呑みしていた感じだったが、今回ようやく、
「ああ、私の思考回路はなんだかんだ言って仏教ベースで、
そういう脳みそだから、このキリスト教的物語の比喩に心当たりがないんだ」
ということがはっきりわかった。
だとしたら、この比喩が意味する本来の意味を損なわず、
自分がしっくりくるような比喩に置き換えられるのか?
と考えていたら、案外あっさりと、
「あ、それでいいのか」
と落ち着いてしまった。
まだ本当にそれでいいのか、ちょっと自信がないけど、しばらく関連本を読んでみよう。
もちろん、日々の赦しは忘れずに。
ちょっとここ数日はハードな旅行をした感じだったけど、だから、こういう本はやめられないw
そして、やっぱり養老先生はすごい。