いきけんこう!

生き健康、意気兼行、粋健康、意気軒昂
などを当て字にしたいボケ封じ観音様と
元気印シニアとの対話。

福星寺の親子しだれ桜

2005-04-10 17:29:59 | Weblog
そめいよしのは、満開、親子しだれ桜は、共に散り始めていた。
金光院(こんこういん)から株分けされた”しだれ桜”の子樹がある福星寺(ふくしょうじ)
を4月10日訪れた。

福星寺は、金光院の住職が兼ねている。先日「はん・しだれ桜」の話を聴いている時に
話題になり、親子桜の開花状況の問い合わせがあっても、その度に見に行けない、と苦
笑いした。
この親子桜は、四街道市の保存樹木に選ばれているので、何かと気苦労が多いんだろう。

この寺は、吉岡村の旦那寺として、権僧都宥照(ごんのそう・す・ゆう・しょう)によって
1616年[元和(がんな)2年:将軍・徳川秀忠]4月創建され、390年を生き抜いてきた。
寺の入り口に立っている案内は「吉岡福星寺」となっている。

しだれの親子桜は、親(息子)樹が、樹齢約360年、子(孫)樹は60年、と推定されている。

 米( )は、金光院のしだれ桜からみた関係を示す。

写真奥が「息子しだれ」で、360歳になる。「支え木」の手助けがないと、自分の枝を支
えきれない。でも、でもだ、はちきれんばかりに花を咲かせる生命力、幹から垂れ下が
った小枝に所狭しと咲き乱れる小さな花弁が群らがり、ふわ~と円弧を描いて膨らんで
いる雄姿は 「み・ご・と」の一言に尽きる。
デジカメの手を休めるくらい、見惚れてしまった。

金光院が全焼し焼失したのは、1551年[天文(てんぶん)20年]。再建された年を
1557年(弘治3年)と想定する。
家康が2回目の鷹狩りで宿泊したのが1615年(元和元年)だから、金光院が再建され
てから58年目のことになる。

金光院の再建記念に「しだれ桜」を植樹したとして樹齢58年。そうでない場合は、樹齢は若返る。

写真手前が孫しだれ。家康が褒めちぎった金光院の 爺さんしだれ に近い年恰好をし
ている(と元気印は考える)。

家康は、還暦を迎えようとしている 爺さんしだれ を晩秋にみて「これは、めずらい桜
だ」と褒め言葉を発し、「爺さんの肩」を手でさすり慰労した。この椿事を聴いた檀家の
人達は、爺さんを「お手かけの桜」と尊称するようになった(と元気印は、乏しき想像力
をフル回転させている)。

そんな家康も、2回目の東金方面の鷹狩りをした翌年4月11日に、74歳で他界した。
しかし、爺さんしだれも金光院から消滅したけれど、お手かけの縁起を担がれ、この寺
を創建した記念に、本堂前に爺さんから株分けして植えられた息子は、360年の歳月
を耐え抜いている。

爺さんしだれは元気印に、こうも語りかける。

家康公に褒められた時私は、30歳前後で、人に譬えると20歳代。青春の真っ盛りだった。
還暦を迎えたシニアの誰もが、かって体験した青春を堪能していたんですょ。甘酸っぱ
い喜怒哀楽に包み込まれて追憶の彼方にある青春時代も、その気になれば、何時でも
鮮やかに蘇るんです。

「元気印は、毎日を生き抜く”力のもと”にしているんでしょう。それを」
「花見も、今日で終わりですネ。観音さま」
 
ボケ封じ観音さまと名なし羅漢が、やっと戻ってきた。

  
コメント (1)
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