そめいよしのは、満開、親子しだれ桜は、共に散り始めていた。
金光院(こんこういん)から株分けされた”しだれ桜”の子樹がある福星寺(ふくしょうじ)
を4月10日訪れた。
福星寺は、金光院の住職が兼ねている。先日「はん・しだれ桜」の話を聴いている時に
話題になり、親子桜の開花状況の問い合わせがあっても、その度に見に行けない、と苦
笑いした。
この親子桜は、四街道市の保存樹木に選ばれているので、何かと気苦労が多いんだろう。
この寺は、吉岡村の旦那寺として、権僧都宥照(ごんのそう・す・ゆう・しょう)によって
1616年[元和(がんな)2年:将軍・徳川秀忠]4月創建され、390年を生き抜いてきた。
寺の入り口に立っている案内は「吉岡福星寺」となっている。
しだれの親子桜は、親(息子)樹が、樹齢約360年、子(孫)樹は60年、と推定されている。
米( )は、金光院のしだれ桜からみた関係を示す。
写真奥が「息子しだれ」で、360歳になる。「支え木」の手助けがないと、自分の枝を支
えきれない。でも、でもだ、はちきれんばかりに花を咲かせる生命力、幹から垂れ下が
った小枝に所狭しと咲き乱れる小さな花弁が群らがり、ふわ~と円弧を描いて膨らんで
いる雄姿は 「み・ご・と」の一言に尽きる。
デジカメの手を休めるくらい、見惚れてしまった。
金光院が全焼し焼失したのは、1551年[天文(てんぶん)20年]。再建された年を
1557年(弘治3年)と想定する。
家康が2回目の鷹狩りで宿泊したのが1615年(元和元年)だから、金光院が再建され
てから58年目のことになる。
金光院の再建記念に「しだれ桜」を植樹したとして樹齢58年。そうでない場合は、樹齢は若返る。
写真手前が孫しだれ。家康が褒めちぎった金光院の 爺さんしだれ に近い年恰好をし
ている(と元気印は考える)。
家康は、還暦を迎えようとしている 爺さんしだれ を晩秋にみて「これは、めずらい桜
だ」と褒め言葉を発し、「爺さんの肩」を手でさすり慰労した。この椿事を聴いた檀家の
人達は、爺さんを「お手かけの桜」と尊称するようになった(と元気印は、乏しき想像力
をフル回転させている)。
そんな家康も、2回目の東金方面の鷹狩りをした翌年4月11日に、74歳で他界した。
しかし、爺さんしだれも金光院から消滅したけれど、お手かけの縁起を担がれ、この寺
を創建した記念に、本堂前に爺さんから株分けして植えられた息子は、360年の歳月
を耐え抜いている。
爺さんしだれは元気印に、こうも語りかける。
家康公に褒められた時私は、30歳前後で、人に譬えると20歳代。青春の真っ盛りだった。
還暦を迎えたシニアの誰もが、かって体験した青春を堪能していたんですょ。甘酸っぱ
い喜怒哀楽に包み込まれて追憶の彼方にある青春時代も、その気になれば、何時でも
鮮やかに蘇るんです。
「元気印は、毎日を生き抜く”力のもと”にしているんでしょう。それを」
「花見も、今日で終わりですネ。観音さま」
ボケ封じ観音さまと名なし羅漢が、やっと戻ってきた。
金光院(こんこういん)から株分けされた”しだれ桜”の子樹がある福星寺(ふくしょうじ)
を4月10日訪れた。
福星寺は、金光院の住職が兼ねている。先日「はん・しだれ桜」の話を聴いている時に
話題になり、親子桜の開花状況の問い合わせがあっても、その度に見に行けない、と苦
笑いした。
この親子桜は、四街道市の保存樹木に選ばれているので、何かと気苦労が多いんだろう。
この寺は、吉岡村の旦那寺として、権僧都宥照(ごんのそう・す・ゆう・しょう)によって
1616年[元和(がんな)2年:将軍・徳川秀忠]4月創建され、390年を生き抜いてきた。
寺の入り口に立っている案内は「吉岡福星寺」となっている。
しだれの親子桜は、親(息子)樹が、樹齢約360年、子(孫)樹は60年、と推定されている。
米( )は、金光院のしだれ桜からみた関係を示す。
写真奥が「息子しだれ」で、360歳になる。「支え木」の手助けがないと、自分の枝を支
えきれない。でも、でもだ、はちきれんばかりに花を咲かせる生命力、幹から垂れ下が
った小枝に所狭しと咲き乱れる小さな花弁が群らがり、ふわ~と円弧を描いて膨らんで
いる雄姿は 「み・ご・と」の一言に尽きる。
デジカメの手を休めるくらい、見惚れてしまった。
金光院が全焼し焼失したのは、1551年[天文(てんぶん)20年]。再建された年を
1557年(弘治3年)と想定する。
家康が2回目の鷹狩りで宿泊したのが1615年(元和元年)だから、金光院が再建され
てから58年目のことになる。
金光院の再建記念に「しだれ桜」を植樹したとして樹齢58年。そうでない場合は、樹齢は若返る。
写真手前が孫しだれ。家康が褒めちぎった金光院の 爺さんしだれ に近い年恰好をし
ている(と元気印は考える)。
家康は、還暦を迎えようとしている 爺さんしだれ を晩秋にみて「これは、めずらい桜
だ」と褒め言葉を発し、「爺さんの肩」を手でさすり慰労した。この椿事を聴いた檀家の
人達は、爺さんを「お手かけの桜」と尊称するようになった(と元気印は、乏しき想像力
をフル回転させている)。
そんな家康も、2回目の東金方面の鷹狩りをした翌年4月11日に、74歳で他界した。
しかし、爺さんしだれも金光院から消滅したけれど、お手かけの縁起を担がれ、この寺
を創建した記念に、本堂前に爺さんから株分けして植えられた息子は、360年の歳月
を耐え抜いている。
爺さんしだれは元気印に、こうも語りかける。
家康公に褒められた時私は、30歳前後で、人に譬えると20歳代。青春の真っ盛りだった。
還暦を迎えたシニアの誰もが、かって体験した青春を堪能していたんですょ。甘酸っぱ
い喜怒哀楽に包み込まれて追憶の彼方にある青春時代も、その気になれば、何時でも
鮮やかに蘇るんです。
「元気印は、毎日を生き抜く”力のもと”にしているんでしょう。それを」
「花見も、今日で終わりですネ。観音さま」
ボケ封じ観音さまと名なし羅漢が、やっと戻ってきた。
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