いきけんこう!

生き健康、意気兼行、粋健康、意気軒昂
などを当て字にしたいボケ封じ観音様と
元気印シニアとの対話。

青べかと七五三飾り その2・浦安独特の七五三飾り

2007-06-14 11:59:25 | 散策
猫実(ねこざね)、堀江、当代島(とうだいじま)の3村が合併して浦安村となった。村の特徴を生業の違いでいうと「猫実は漁師、堀江は商店、当代島は半農半漁」になる。
明治21(1888)年に公布された「市制・町村制」が施行された翌年4月1日に浦安村は発足したが、どの村も保元(ほげん)2(1157)年頃には集落が出来ていた、として村の歴史が始まっている。度重なる利根川の水害や火災に見舞われ村の記録が失われてしまい、それ以前の歴史は定かでないから、と浦安町史に記されている。

旧村には鎮守さまと呼ばれる神社がある。猫実村は、豊受(とようけ)神社、堀江村は清瀧(せいりゅう)神社、稲荷神社が当代島村にある。
神社の配置は村を守る方角に建立され、三社ともに、時間経過などで社殿の破損が激しくなった時代に、氏子の寄付で再築=遷宮(せんぐう)が行われ、今日に至っている。そして、三社の境内には富士塚が築かれている。

境内が華やかな豊受神社、こじんまりとしている清龍神社、ひっそりと静まりかえっている稲荷神社。これが、散策で受けた鎮守様の印象。

そして、青べか物語を通読して感じた浦安の住民気質を、誤解を恐れずに極論すれば、宵越しの金を持たないが、舟板1枚下は地獄と考え信仰心が篤いこと。

浦安の人達の信仰心の深さは、町に存在した講社(こうしゃ)の多いことに表れていると思う。信仰を同じくする信者の集団を講(こう)と称して、それを構成する信者を講中(こうちゅう)とか講仲間といっている。

昭和44年に発行された浦安町史・上に記載されている講社は18余講もある。
富士講、三山講(さんやまこう)、清心元講(せいしんもとこう)、庚申講(こうしんこう)など18の講社が記載され、その他にもあった様子が伺える。

特定の神社に参拝して、家内安全、家業の繁栄を祈願することが多い神道的な講は、富士、三峰、三山など。有力な寺院を中心に結成される傾向の強い仏教的な講に、子安講、大師講、善光寺講などがある。
庚申講、大六天講、清心元講などは民間信仰の講といわれている。ちなみに、浦安には6つ寺院があって各町内に散らばっている。町内の人とお寺は密接な関係にあり冠婚葬祭に限らず、町内の人たちはお寺をさまざまな機会に利用している。

七五三飾り(写真)は、清心元講の講中が1枚の紙を切って作った浦安独特のもので、七は飾りの総数、五は左右の飾りを除いた数、三は中央の飾りと左右にある飾りの数を表している。神棚に祀っている御神体に合わせて飾りを作っている。昭和40年前後に清心元講の行者に教わった作り方を踏襲している。
浦安には400人位の講中がいるので、毎年新しいものに更新している、と清心元講の世話をしている人から聴いた。名前などは承知していますが伏せます。

しめ飾りは、しめ縄と四手(しで)が対になっている。
稲妻型をした白い紙を四手と呼び、しめ縄に等間隔にたらすとしめ飾りになる。神棚のある家で正月に飾っているし、市販もされている。

四手は男女二人の手を意味し、仲睦まじい夫婦を表している。
では、七五三飾りは、大きいのは不動明王、小さいのが清心菩薩を表しているのだろうか? 
残念ながら聴き漏らしたので、機会を改めて教わりに行こう。

写真は、5月に散策で訪れた旧大塚住宅の床の間に飾ってあった七五三飾り。
以前はしめ飾りであったが、今年、初めて七五三飾りにしたので、訪問者の関心も高いと、ボランティア・ガイドは話してくれた。

しめ縄を七五三縄とも云うらしく、その由来などを調査している。

山本周五郎の「青べか物語」に描かれた浦安散策はなかなか終わりそうにない。




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