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トルコ10日間のたび4日目は、デニズリ、アフイヨン、アクシェヒルを経てコンヤに到るコースでした。
ローマ帝国の温泉保養地として栄えたパムッカレはデニズリ県にあります。県都のデニズリには、「綿の宮殿」と呼ばれている石灰華段丘からなる丘陵地・世界遺産ヒエラポリス・パムッカレがあって、コンヤまではおおよそ410kmもの長旅になります。
トルコの内陸部はアナトリア高原と呼ばれ、標高500~1,000m位の高原が延々と続き、かってはシルクロードであった幅の広い道路が地平線に向かって延びています。エンジン音だけを響かせたバスは、コンヤへ向かってひたすら走ります。
バスの後窓から見える山の名は聞き漏らしましたが、ノアの方舟が流れ着いたという伝説で著名なアララト山は5,137mあり、トルコの最高峰を誇っています。トルコの東端イランとアルメニア国境の近くに聳えている山ですから、ここから観えたかどうか・・・。帰国した今となっては、皆目見当がつきません。
長旅の途中、トイレ休憩のため無料トイレのあるガソリンスタンドか土地の名産品を揃えた店舗に立ち寄ります。
色々な種類の土産物菓子を試食したお菓子の町、バラを原料にした香水「ダマスクローズ」の香りに嗅覚を刺激して、長距離バスの疲れを癒したバラの町などがあります。その近辺には石灰工場や沼があって、単線の貨物列車線路を複線にしている工事現場に見入ったりしながら、高原に点在する若者の収入源になっているサクランボ園などのスナップを撮っていると、長旅に飽きてアクビなんかしている暇な時間はないのです。長距離バスでの移動は、そう棄てたものではないですね。
そんな時に、バスはアクシェヒルの町を横断します。
バスの左側に、家の高さくらいあるロバに後ろ向きになって乗っている人物像を見つけたのですが、ガイドの説明に耳を傾けている内にみるみる小さくなってしまい、写真を撮るチャンスを逸してしまった。
ガイドの話によれば、ロバの頭を背に向けて乗ったのは、乗り手が間違ったのではなく、ロバの方が間違ったのだ。このように平然とうそぶいている人物は、ナスレッティン・ホジャとのこと。
パキスタン、イラン、トルコ一帯にかけて語り伝えられているこの「とんち話」の主人公は、、信仰を守る人「ナスレッティン」、学問のある人「ホジャ」、として尊敬されている。「トルコの一休さん」みたいな人物のようでした。
さて、アクシェヒルを通過して暫くすると、名前を知らない山と白い煙を吐き出すレンガ工場に気を取られます。
そこへ、トルコ国旗をボンネットに広げた軽自動車の一団(写真)が近づいてきます。バスの後窓から先頭の車を狙ってシャッターを切り、右手でその合図を送ると、運転席の二人は幸せに満ちた笑顔と一緒に手を振って答えてきます。写真を撮られたことが解ったのでしょう。
ところで、イスラム教徒の結婚パーテイは、男女別々に行われるのが普通。男は花婿の家に、女は花嫁の家に集まり、踊ったり、歌ったり、おしゃべりをして、お祝いのときを過ごす。地方によっては、花嫁は赤いベールをかぶって、集まった人たちに顔を見せない慣わしになっているところもある。ベールをとって顔を見ることが出来るのは、花嫁を迎えに来る花婿だけ(文・写真:吉田忠正「世界各地のくらし-29 トルコのくらし」)。
厳しい約束事ですね。花嫁と花婿は、それだけ皆から祝福される存在なのでしょう。
このような習慣を守っているトルコの結婚式と軽自動車の運転席から合図を送ってくれた二人の気持ちをオーバーラップさせてみます。
時速100km以上のスピードでコンヤへ向かっているバスを追い越そうとはやる気持ちを抑えていたことが推察されます。一刻も早く花嫁に逢いたくてバスを追い越しても、後に続く車のことを考えると危険が伴います。やがて、結婚を祝う車の一団は、視界から消えてしまった。
コンヤに入る少し手前で、ふた組目の結婚行列に出会いました。行列の人たちは白いハンカチのようなものを左手持っています。
トルコにも、日本と同じような縁起をかつぐ習慣があるのか気になり、ガイドに聞いてみます。
イスラム教が定めたラマンダ、断食があけた後の3日間は避けますが、日本でいうところの大吉、友引、仏滅のような縁起はなく、多くの人は週末を選んでいるようです。ふた組の結婚行事に出会った12月4日は、土曜日だったのです。
「元気印さん、トルコの結婚儀式は火曜日に始め木曜日に終えるか、金曜日に始め日曜日に終えるんですよ。花婿側からは皆で揃って村中を練り歩くんです。結婚の旗を掲げて、楽器で音楽を奏でながら花嫁を迎えに行くんです。結婚式の当日、花嫁は自宅で純潔のベルトを巻き家族に別れを告げます」。
助け舟を出してくれる、ボケ封じ観音さま。
トルコ国旗をボンネットに広げていたのは、結婚の旗を掲げていることを表しており、花嫁を迎えに行くところだった。
花嫁の家は花婿の家から遠く離れているので、徒歩では無理。ましてや、楽器で音楽を奏でながら迎えに行くなんて言語道断の話でしょうから、花嫁の家の近くに行ってから実行するのでしょうね。
「花嫁に逢ってからも、花婿は友人達に連れ出されて、髭をそり、入浴して衣装を着替えるなどの儀式があるため家に戻りません。夜の祈りをモスクで捧げてから自宅に戻ります。そして、説教者の宗教的な婚姻儀式が執り行われると、花婿は晴れて婚礼の部屋へ入り、色々な儀式をこなしてから、花婿と花嫁は、ふたりの新しい人生を築くスタートラインにつくんです」。
ボケ封じ観音さまが締めてくれたので、トルコの結婚にまつわる話は終りにします。
もう少し粘って、スナップを撮っていた時の余談を書きます。
二人の青年に記念写真を撮るように頼まれ、写真を送る先のメールアドレスをメモってくれたカッパドキア、トプカプ宮殿の見学に団体で来ていた小学生は、マルマラ海を背景にしてポーズをとっていた家内の両脇に寄ってきてツーショット、高校の女子学生達が一緒に記念写真を撮ろうと誘ってきたメヴラーナ博物館、キャラバンサライの遺跡を狙っているカメラの前に自転車に乗った少年が割り込み「フォト!、フォト!!」とポーズを決めたり、とにかく、トルコの人達は人懐っこくて写真が好きなんです。
しかし、カッパドキアの青年には、メールに添付して写真を送ろうと試みたのですが、トルコ語での入力がおぼつかなくて、未だに悪戦苦闘しています。困ったものです。
ローマ帝国の温泉保養地として栄えたパムッカレはデニズリ県にあります。県都のデニズリには、「綿の宮殿」と呼ばれている石灰華段丘からなる丘陵地・世界遺産ヒエラポリス・パムッカレがあって、コンヤまではおおよそ410kmもの長旅になります。
トルコの内陸部はアナトリア高原と呼ばれ、標高500~1,000m位の高原が延々と続き、かってはシルクロードであった幅の広い道路が地平線に向かって延びています。エンジン音だけを響かせたバスは、コンヤへ向かってひたすら走ります。
バスの後窓から見える山の名は聞き漏らしましたが、ノアの方舟が流れ着いたという伝説で著名なアララト山は5,137mあり、トルコの最高峰を誇っています。トルコの東端イランとアルメニア国境の近くに聳えている山ですから、ここから観えたかどうか・・・。帰国した今となっては、皆目見当がつきません。
長旅の途中、トイレ休憩のため無料トイレのあるガソリンスタンドか土地の名産品を揃えた店舗に立ち寄ります。
色々な種類の土産物菓子を試食したお菓子の町、バラを原料にした香水「ダマスクローズ」の香りに嗅覚を刺激して、長距離バスの疲れを癒したバラの町などがあります。その近辺には石灰工場や沼があって、単線の貨物列車線路を複線にしている工事現場に見入ったりしながら、高原に点在する若者の収入源になっているサクランボ園などのスナップを撮っていると、長旅に飽きてアクビなんかしている暇な時間はないのです。長距離バスでの移動は、そう棄てたものではないですね。
そんな時に、バスはアクシェヒルの町を横断します。
バスの左側に、家の高さくらいあるロバに後ろ向きになって乗っている人物像を見つけたのですが、ガイドの説明に耳を傾けている内にみるみる小さくなってしまい、写真を撮るチャンスを逸してしまった。
ガイドの話によれば、ロバの頭を背に向けて乗ったのは、乗り手が間違ったのではなく、ロバの方が間違ったのだ。このように平然とうそぶいている人物は、ナスレッティン・ホジャとのこと。
パキスタン、イラン、トルコ一帯にかけて語り伝えられているこの「とんち話」の主人公は、、信仰を守る人「ナスレッティン」、学問のある人「ホジャ」、として尊敬されている。「トルコの一休さん」みたいな人物のようでした。
さて、アクシェヒルを通過して暫くすると、名前を知らない山と白い煙を吐き出すレンガ工場に気を取られます。
そこへ、トルコ国旗をボンネットに広げた軽自動車の一団(写真)が近づいてきます。バスの後窓から先頭の車を狙ってシャッターを切り、右手でその合図を送ると、運転席の二人は幸せに満ちた笑顔と一緒に手を振って答えてきます。写真を撮られたことが解ったのでしょう。
ところで、イスラム教徒の結婚パーテイは、男女別々に行われるのが普通。男は花婿の家に、女は花嫁の家に集まり、踊ったり、歌ったり、おしゃべりをして、お祝いのときを過ごす。地方によっては、花嫁は赤いベールをかぶって、集まった人たちに顔を見せない慣わしになっているところもある。ベールをとって顔を見ることが出来るのは、花嫁を迎えに来る花婿だけ(文・写真:吉田忠正「世界各地のくらし-29 トルコのくらし」)。
厳しい約束事ですね。花嫁と花婿は、それだけ皆から祝福される存在なのでしょう。
このような習慣を守っているトルコの結婚式と軽自動車の運転席から合図を送ってくれた二人の気持ちをオーバーラップさせてみます。
時速100km以上のスピードでコンヤへ向かっているバスを追い越そうとはやる気持ちを抑えていたことが推察されます。一刻も早く花嫁に逢いたくてバスを追い越しても、後に続く車のことを考えると危険が伴います。やがて、結婚を祝う車の一団は、視界から消えてしまった。
コンヤに入る少し手前で、ふた組目の結婚行列に出会いました。行列の人たちは白いハンカチのようなものを左手持っています。
トルコにも、日本と同じような縁起をかつぐ習慣があるのか気になり、ガイドに聞いてみます。
イスラム教が定めたラマンダ、断食があけた後の3日間は避けますが、日本でいうところの大吉、友引、仏滅のような縁起はなく、多くの人は週末を選んでいるようです。ふた組の結婚行事に出会った12月4日は、土曜日だったのです。
「元気印さん、トルコの結婚儀式は火曜日に始め木曜日に終えるか、金曜日に始め日曜日に終えるんですよ。花婿側からは皆で揃って村中を練り歩くんです。結婚の旗を掲げて、楽器で音楽を奏でながら花嫁を迎えに行くんです。結婚式の当日、花嫁は自宅で純潔のベルトを巻き家族に別れを告げます」。
助け舟を出してくれる、ボケ封じ観音さま。
トルコ国旗をボンネットに広げていたのは、結婚の旗を掲げていることを表しており、花嫁を迎えに行くところだった。
花嫁の家は花婿の家から遠く離れているので、徒歩では無理。ましてや、楽器で音楽を奏でながら迎えに行くなんて言語道断の話でしょうから、花嫁の家の近くに行ってから実行するのでしょうね。
「花嫁に逢ってからも、花婿は友人達に連れ出されて、髭をそり、入浴して衣装を着替えるなどの儀式があるため家に戻りません。夜の祈りをモスクで捧げてから自宅に戻ります。そして、説教者の宗教的な婚姻儀式が執り行われると、花婿は晴れて婚礼の部屋へ入り、色々な儀式をこなしてから、花婿と花嫁は、ふたりの新しい人生を築くスタートラインにつくんです」。
ボケ封じ観音さまが締めてくれたので、トルコの結婚にまつわる話は終りにします。
もう少し粘って、スナップを撮っていた時の余談を書きます。
二人の青年に記念写真を撮るように頼まれ、写真を送る先のメールアドレスをメモってくれたカッパドキア、トプカプ宮殿の見学に団体で来ていた小学生は、マルマラ海を背景にしてポーズをとっていた家内の両脇に寄ってきてツーショット、高校の女子学生達が一緒に記念写真を撮ろうと誘ってきたメヴラーナ博物館、キャラバンサライの遺跡を狙っているカメラの前に自転車に乗った少年が割り込み「フォト!、フォト!!」とポーズを決めたり、とにかく、トルコの人達は人懐っこくて写真が好きなんです。
しかし、カッパドキアの青年には、メールに添付して写真を送ろうと試みたのですが、トルコ語での入力がおぼつかなくて、未だに悪戦苦闘しています。困ったものです。
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