いきけんこう!

生き健康、意気兼行、粋健康、意気軒昂
などを当て字にしたいボケ封じ観音様と
元気印シニアとの対話。

日比谷のゴジラ

2005-04-27 17:10:53 | Weblog
日比谷映画街の一角にゴジラがいた。藪用で日比谷公会堂へ行く途中昼食をした店の
2階窓から外を覗くと、小さなレプリカ像に携帯電話のカメラを向けている中年男性が
眼に入る。それがゴジラ(写真)だった。
身長2m位の立像で「最後のゴジラここに」の銘板が台座に埋め込まれていた。

盛上りを見せていた「拉致被害者救済活動」は、マスコミなどが取上げる機会が少なく
なってきたので「国民大集会」が開催される日比谷公会堂へ、応援に24日出掛けた。
公会堂のある日比谷公園近くの街中に、ゴジラを発見したのは、奇縁だった。

ジャズCDを銀座で探す楽しみを併せ持って出かけたが、13時から始まる集会にギリ
ギリ到着では、会場からあぶりだされる心配もあり、後回しにしたのがゴジラとの縁作り
になった。
公園の花段に咲いているチューリップ、キッス、ズレル、ピエロ、アンジェリケをデジカメ
に収める。みんな個性が違う、富山産。

公会堂前に人溜まりができている。12時20分頃チューリップ撮影を済ませ列の最後尾
に並ぶ。「ここが900名です」と整理係の人が本部に告げ、ブルーのリボンを配って行
った。
集会に毎回参加していると言う隣の中年女性は、前回(6回)の九段会館で会場に入れ
なかったので早く来ていた。開場が13時で開演14時だと、このときに知る。

彼女と雑談しながら列の後ろを振り返ると4~50人続いている。僅か5分足らずの間
に。怪我の功名。開演まで2時間近く待つけれども、早く来て正解だった。
集会の途中で司会者(桜井よしこ)から会場内に2,500名、野外会場に3,500名の人が会
場まで足を運んでくれましたと報告する。会場に万雷の拍手が湧き上がった。

拉致問題に対する関心が次第に薄れてきたので何人の方が来てくれるか心配だった。
こんなに沢山の支援者が来てくれました。本当に勇気づけられました。

佐藤勝巳(救う会会長)、横田早紀江両氏の挨拶に、会場の支援者達は拍手で応える。

それにしても、拉致家族が「救う会」を結成して、父母、子供、兄弟を取戻すために根気
強く外務省などへ訴えを継続しても何の反応もしない国は、どうかしている。

自国民の生命・財産を守るのは、一体誰なんだろうか?
拉致された国民を取戻すと決断して日朝会談に臨んだのは、何処の誰だったんだろう。

首脳会談で約束したことを、何一つ真摯に守ることすらしない、彼の国。
遺骨が捏造と判明した時点で、日本国としての意思表示をすべきなのに、沈黙したまま。
「迅速かつ誠意ある対応をしない場合、厳しい対応をとらざるを得ない」との制裁予告を
したのが昨年12月24日。それから4ヶ月が過ぎた。
しかし、自国民を取戻すはずの国が動かない。
彼の国は、全面解決した問題と澄まし顔なのにだ。

「小泉首相の決断を求める国民大集会」を主催した拉致被害者家族連絡会、全国協
議会、議員連盟の方々は言うに及ばず、集会の趣旨に賛同して馳せ参じた支援者達
が最も義憤を感じているのが、このような政府や彼の国の態度だろう。
元気印も同感だ。

「18年12月末までに、拉致家族、特定失踪者、拉致されたと見られる人達全員を取り
 戻します。今日、ここに決意表明を致します」

公安関係の注視を受けていると感じた、特定失踪者問題調査会代表(荒木和博)の決
意表明に感銘を受けた。

「このような集会は、今回限りで、終わりにしたい」

拉致家族、特定失踪者家族の心情を思うと、尚更その感が強くなる。
会場の支援者達は、誰もが力強い拍手で自分の意思を伝えた。
集会が終わる頃には、拍手で手が痛くなっていた。

拉致被害者の家族によるパネルディスカッションが、第2部にあった。
懐かしい我が子の思い出をキーワードに、各家族が語ってくれた。

「恵子は引っ込み思案の小柄な子供でした。列の一番前にいるんですかど、おしっこを
 したくても我慢して最後になってしまう。そんなことがなければ・・・」

「めぐみの友達は兄姉が多く、自分に兄姉がいないことを寂しがっていました。学校に通
 うバス停の近くにある神社で”私にもお兄さんやお姉さんんができる様に”と毎日祈願
 していました。
 双子の兄が出来た時は、”二人もおにいちゃんが出来た”と父の会社に来て大声で知
 らせ大喜びしていました」

「これは、るみ子がくれた腕時計です(会場にそれを見せながら)。それから30年経ちま
 したが停めるわけにはいかない。再会した時は”30年の間、何もしてあげられなか
 った。”ごめんなさい”としか言えません」

 悔しさを必死に堪えて心境を披瀝する増元さんの姿勢に、涙して聴き入る人が多かった。

「私は28歳になりましたが、母は1歳の時に拉致されました。空白の27年間をどう
 やって埋めればよいのか、今の自分には判りません。
 戻ってきた時は”お母さん”と呼んであげます」
 
 田口八重子さんのご子息の気持ちを察し、ハンケチで涙を拭いてしまった。
 満州から引き揚げてきたと言う左席の元老軍人、12時から並んでいた右席のおば
 さんも顔を拭っていた。年を取って涙腺が緩んでしまったからではない。

予定を45分超過して集会は、終わった。

「小泉首相の決断を求める国民大集会」で採択された「国民大集会決議」を市川修一さ
んの父親と横田めぐみさんの母親が持参して、今日(27日)細田官房長官に提出した。
(NHKテレビ)

日比谷公園を向いて眼を剥いていたゴジラは、拉致問題を解決しようとしない小泉総理
を怒っていたんだ。

 元気印さん、「国民大集会」議決に参加したこと、忘れないで下さいネ。

ボケ封じ観音さまは、何時も何処かで叱咤激励してくれる。

    
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