高松店の個展イベントが昨日終了して現在ホッとしています。
ただ…6月の倉敷中央画廊の個展がある為
来週からは頑張ろうと思っています。
今日は是非一度は紹介したいと思っていた
天才『青山二郎』と言われる方の話しです。
私の祖父が古美術商をしていたとうい理由でも
個人的に興味を持った凄い方なのですよ。
では下記をご覧下さい。
『青山二郎』1901年~1979年(明治34年~昭和54年)
東京市麻布区(東京都港区)に生まれる。
生家は徳川家に重臣として仕えた青山家である。
古陶磁器研究家、装丁家、骨董評論家。
浜田庄司、柳宗悦などと日本民芸運動の設立に関わるが後に退く。
彼の口癖に
「俺は日本文化を生きているんだ」
その言葉で彼をご理解頂ければ幸いである。
青山の前で日本の美術や文化を語ってみようとすれば
たいていは一喝されるか、馬鹿にされる。
小林秀雄・白洲正子に骨董を教えたことでも有名。
中でも白洲正子は
「ほんもの」を見抜く眼を鍛えられた、
何度も泣かされ、胃潰瘍を起こす程だったと伝えられる。
また小林秀雄は
「僕たちは秀才だが、あいつだけは天才だ」
と語った。
何しろ
早くも十代後半から古美術を買っていた青山二郎。
骨董知識の無い十代の頃から、
多くの陶磁器の中の名品を当て、
買っていった天才であるから誰も叶わない。
小林秀雄・白洲正子・中原中也・河上徹太郎・三好達治・中村光夫・宇野千代 等
多くの弟子、友人の交友は後に青山学院とも呼ばれた。
戦前から戦後にかけて古美術・骨董の中心に日本的美学の掲載に大きな影響をもたらした。
現在私たちが目にする名品は
かつて青山二郎が百万の中から一を掘り出し発見したものなのである。
見えすぎる眼を持つ事との狂気、
もの言わぬモノが語り出す旋律と戦慄が共存する真の美の世界。
「自分が死ねば茶は廃れる」「一期一会」
の千利休に青山は基本的な視点とする。
ただし!
利休は誰にも理解されなかった…
という視点である。
このことで
現在の茶道だけにとどまらず
芸術全体と今の全てに於いてまでも様々な事を私は考えさせられる。
青山の言葉
「美は見、魂は聞き、不徳は語る」
「陶器を見るのではない。観じるのである。陶器の正体を観じる。」
その言葉からも
直感と六感、第三の眼を開く事!
それこそが崇高な美意識に目覚める事だと青山から私は理解する。
最後に青山二郎の言葉を幾つかご紹介します。
「陶器に就いてこれまで書いた事が無いのは、
私の見た眼と言うか、私の感じ方と言うか、
私の考えが一度も固定していた事がないからである。」
「眼に見える言葉が書ならば、手に抱ける言葉が茶碗である」
「一兎を追うものは誰でもするが、ニ兎を追う事こそが俺の本懐なのだ」
「人が見たらば蛙に化れ」(人は蛙と見てくれればいい。外観に惑わされず、本物の中の本物を発掘するのが青山二郎の志)
「画家が、詩人が美しい物をつくったは無い、美とは観たものの発見である。創作(創造・想像)である。」
天才『青山二郎』をもっとよく知って下さる事を願っています。
しかし、奥深い彼を理解する為には、理解する側にも奥深い心が必要ですが…。
参考資料
「天才 青山二郎の眼力」白洲信哉
フリー百科事典『ウィペディア』
『青山二郎全文集』ちくま学芸文庫
『眼の哲学・利休伝ノート』講談社文芸文庫
『いまなぜ青山二郎なのか』 白洲正子(著)新潮文庫
『青山二郎の話』 宇野千代(著)中公文庫
『日本人の目玉』 福田和也(著)新潮社
ただ…6月の倉敷中央画廊の個展がある為
来週からは頑張ろうと思っています。
今日は是非一度は紹介したいと思っていた
天才『青山二郎』と言われる方の話しです。
私の祖父が古美術商をしていたとうい理由でも
個人的に興味を持った凄い方なのですよ。
では下記をご覧下さい。
『青山二郎』1901年~1979年(明治34年~昭和54年)
東京市麻布区(東京都港区)に生まれる。
生家は徳川家に重臣として仕えた青山家である。
古陶磁器研究家、装丁家、骨董評論家。
浜田庄司、柳宗悦などと日本民芸運動の設立に関わるが後に退く。
彼の口癖に
「俺は日本文化を生きているんだ」
その言葉で彼をご理解頂ければ幸いである。
青山の前で日本の美術や文化を語ってみようとすれば
たいていは一喝されるか、馬鹿にされる。
小林秀雄・白洲正子に骨董を教えたことでも有名。
中でも白洲正子は
「ほんもの」を見抜く眼を鍛えられた、
何度も泣かされ、胃潰瘍を起こす程だったと伝えられる。
また小林秀雄は
「僕たちは秀才だが、あいつだけは天才だ」
と語った。
何しろ
早くも十代後半から古美術を買っていた青山二郎。
骨董知識の無い十代の頃から、
多くの陶磁器の中の名品を当て、
買っていった天才であるから誰も叶わない。
小林秀雄・白洲正子・中原中也・河上徹太郎・三好達治・中村光夫・宇野千代 等
多くの弟子、友人の交友は後に青山学院とも呼ばれた。
戦前から戦後にかけて古美術・骨董の中心に日本的美学の掲載に大きな影響をもたらした。
現在私たちが目にする名品は
かつて青山二郎が百万の中から一を掘り出し発見したものなのである。
見えすぎる眼を持つ事との狂気、
もの言わぬモノが語り出す旋律と戦慄が共存する真の美の世界。
「自分が死ねば茶は廃れる」「一期一会」
の千利休に青山は基本的な視点とする。
ただし!
利休は誰にも理解されなかった…
という視点である。
このことで
現在の茶道だけにとどまらず
芸術全体と今の全てに於いてまでも様々な事を私は考えさせられる。
青山の言葉
「美は見、魂は聞き、不徳は語る」
「陶器を見るのではない。観じるのである。陶器の正体を観じる。」
その言葉からも
直感と六感、第三の眼を開く事!
それこそが崇高な美意識に目覚める事だと青山から私は理解する。
最後に青山二郎の言葉を幾つかご紹介します。
「陶器に就いてこれまで書いた事が無いのは、
私の見た眼と言うか、私の感じ方と言うか、
私の考えが一度も固定していた事がないからである。」
「眼に見える言葉が書ならば、手に抱ける言葉が茶碗である」
「一兎を追うものは誰でもするが、ニ兎を追う事こそが俺の本懐なのだ」
「人が見たらば蛙に化れ」(人は蛙と見てくれればいい。外観に惑わされず、本物の中の本物を発掘するのが青山二郎の志)
「画家が、詩人が美しい物をつくったは無い、美とは観たものの発見である。創作(創造・想像)である。」
天才『青山二郎』をもっとよく知って下さる事を願っています。
しかし、奥深い彼を理解する為には、理解する側にも奥深い心が必要ですが…。
参考資料
「天才 青山二郎の眼力」白洲信哉
フリー百科事典『ウィペディア』
『青山二郎全文集』ちくま学芸文庫
『眼の哲学・利休伝ノート』講談社文芸文庫
『いまなぜ青山二郎なのか』 白洲正子(著)新潮文庫
『青山二郎の話』 宇野千代(著)中公文庫
『日本人の目玉』 福田和也(著)新潮社