TAZUKO多鶴子

ページ内の文章及び作品の著作権はTAZUKO多鶴子が有するものとし、他者がそれらを無断で転載することを固く禁止とします。

活けた花と無機物も愛でる日本の美…そして「花道」「華道」「いけばな」

2007-04-23 | TAZUKO多鶴子からの伝言
日本の美で『華道』を忘れてはいけない。
『華道』は
日本発祥の芸術と云われ、
現在は国際的にも広がっている
『花道』『いけばな』ともいう。
今では多くの流派があるそうだが
独断で極端にまとめていえば、
3次元空間と時間を加えた美を2次元空間に納めた極めた美。
だからからこそ
奥深い美を観じさせる『幽玄、侘び、寂び』
日本の美であるとTAZUKO多鶴子は観じている。
(もの言わずしてものを言う。
 絵画でいえば極めた線。
 そして又更には描かない線がある。
 精神に通じる線や無駄の無い線。
 また更にその先は無線の線。
 つまり描かずして描く。…禅問答のようである。)
それを理解すると
3次元空間で眺める『華やかな今が盛りの美』の
欧米のフラワーデザインとの世界とは
全く違った空間美であることが解る。
また…『華道』『花道『いけばな』の世界が広がると同時に
花器の文化の広がりとなる。
この事で青山二郎の言葉を思い出す。
「茶碗があったから茶人が生まれたような気がする。
そして毛筆という材料が確かに書家を造ったのである。
骨董書画と言われる、これが日本の高度な美の根本である」
その言葉の奥深い意味を私は理解する…。

一輪挿しなどの花を愛する習慣は古くは平安時代あたりまで、
『枕草子』などの文献資料からたどれる。
当初は既存の器を利用していたが、
後に花器が製作されるようになる。
華道としては、室町時代中期、
京都六角堂(頂法寺)の僧侶により確立された。
江戸時代中期から後期になると
それまで上流階級・武家階級のものから
広く庶民のたしなみへ変化していった。
また華道の歴史は、
仏教の伝来と発展に伴い、
仏前に花を手向ける供花に由来する説が有力であるそうだ。
しかし、
採取した植物材料を人間の知の監督下である空間にて再構成する行為から、
古代のアニミズムの流れを指摘する研究もある。

そしてTAZUKO多鶴子はこう考える。
自然の神秘を、
花器の上で表現しようとした生物・無機質全てを問わず
存在する全ての本質を追求する美。
TAZUKO多鶴子は
華道の歴史から多くを教えられます。
芸術とはそうでなければならないと!
そして更に、そのことから観じると
供花の説を含んだアニミズムでは無いかと…?。

同時にそれはとても大切な事を
今を生きる私たちに教えてくれているように思う。
ただ…残念なのは…
現在は華道、茶道、等と同時に芸術、また他の分野の世界も
遠い…遠い…
古い昔の大切な事を忘れてしまっている時代ではないかと…。

資料:フリー百科事典『ウィキペディア』