日本の伝統的美意識
「幽玄・侘び・寂び」
その中の『幽玄』は
和歌・連歌・能楽など日本の中古~中世の
文芸・芸能における基本的理念のひとつである。
中国の仏典でも、もちいられ、
深遠にして神秘的真理を意味する言葉であった。
日本においても最澄などの仏典では本来の意味でつかわれ
文学的用例としては『古今和歌集』に
「興入幽玄」(興、幽玄に入る)としるされたのが最初。
『幽玄』は鎌倉~室町時代の連歌や能楽の世界へ継承され
『能』の基本的理念として展開していく。
『幽玄』は室町時代の芸術観ともいわれ
言葉の意味に表れず、
また目に定かに見えなくても
その奥の人間が観じることが可能な美の世界。
「今そこにある姿」の美しさを楽しむのでなく
そこに「隠された姿」の美しさを想像する
奥深く微妙で計り知れない美意識。
『美しく柔和な優雅さと品格』
この『幽玄』という美意識の『能』を
大成したのは世阿弥と観阿弥(父)であるといわれる。
特に世阿弥は
それまでの抽象的意識の『幽玄』を
具体的にわかりやすく提示した。
中でも世阿弥は
世界的にも類をみない傑出した演劇理論
『風姿花伝』能楽論書を残した。
この書は、教育論、人生論、美学論としても
現在でも高い評価を受けている。
『青山二郎』だけでなく
過去を振り返ると
更に500年以上も前の時代
1360年頃~1440年頃にも
日本文化を美しく生きた
『世阿弥』という天才がここにもいた!
TAZUKO多鶴子はこの本も近々読んでみるつもりです。
奥深い日本の文化と美学を追求する為に。
「幽玄・侘び・寂び」
その中の『幽玄』は
和歌・連歌・能楽など日本の中古~中世の
文芸・芸能における基本的理念のひとつである。
中国の仏典でも、もちいられ、
深遠にして神秘的真理を意味する言葉であった。
日本においても最澄などの仏典では本来の意味でつかわれ
文学的用例としては『古今和歌集』に
「興入幽玄」(興、幽玄に入る)としるされたのが最初。
『幽玄』は鎌倉~室町時代の連歌や能楽の世界へ継承され
『能』の基本的理念として展開していく。
『幽玄』は室町時代の芸術観ともいわれ
言葉の意味に表れず、
また目に定かに見えなくても
その奥の人間が観じることが可能な美の世界。
「今そこにある姿」の美しさを楽しむのでなく
そこに「隠された姿」の美しさを想像する
奥深く微妙で計り知れない美意識。
『美しく柔和な優雅さと品格』
この『幽玄』という美意識の『能』を
大成したのは世阿弥と観阿弥(父)であるといわれる。
特に世阿弥は
それまでの抽象的意識の『幽玄』を
具体的にわかりやすく提示した。
中でも世阿弥は
世界的にも類をみない傑出した演劇理論
『風姿花伝』能楽論書を残した。
この書は、教育論、人生論、美学論としても
現在でも高い評価を受けている。
『青山二郎』だけでなく
過去を振り返ると
更に500年以上も前の時代
1360年頃~1440年頃にも
日本文化を美しく生きた
『世阿弥』という天才がここにもいた!
TAZUKO多鶴子はこの本も近々読んでみるつもりです。
奥深い日本の文化と美学を追求する為に。