TAZUKO多鶴子

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哲学の本から教えられます

2007-04-07 | TAZUKO多鶴子からの伝言
以前、学校に美術の講師をしていた事があります。
現在は奇麗さっぱり過去の事で…遠い昔の思い出ですが…。
ある学校の職員室の私の席の隣に
歴史の先生がいらっしゃいました。
その先生は歴史がご専門でしたが、カウンセラー職も持たれていた方でした。
その方から私は多くの事を学ばせて頂きました。
カウンセラー力が、とてもおありな方でしたから
お話しさせて頂いているうちに、いつも途中で気が付くのですが、
毎回いつの間にかカウンセリングされているような状態になっているんですよ。
その先生も、そのおつもりは無いのでしょうが…どうもそれが天職なのでしょうね!
カウンセリングとはカウンセラーが答えを導いてはいけないようで、
カウンセラー自身が相談者の鏡になって相談者自身で答えを見つけ、
自分で自らが気付く療法だそうなのですが…。
私個人は、その先生に出会う前はカウンセリング自体全く興味無かった事でした。
(正直な所、今もそうかもしれませんが)
何故なら、昔から私の生き方は
どんなに困っても誰かに相談する性格で無いからなのです。
でも、今となって言える事は…その方との出会いは
重要なある事への気付きに繋がったのですね。
ある時、その先生が色々と話しをしている最中に言われた一言がありました。
「貴方は、何をそんなに憎んでるの?いったい誰を憎んでいるの?」
思いもよらないその言葉でしたが、
でも、その言葉で私は何かを憎んでいる事に気付いたのです。
では…何を憎んでいるのか…その時一瞬にして自問自答して出た答えがありました。
「私が…憎んでいるもの?私が憎んでいるものは、人では無い。
人を憎んでいるので無い。
権力でも無ければ、社会でも無く、生まれてきた事でも無い。
きっと…私が憎んでいるものは…『お金』だ!
そう…私は『お金』を憎んでいるのです!!」
それを気付いた事は、
今の私にとって大きな飛躍に繋がりました。

現在、紀伊國屋書店高松店で長谷川課長からご紹介頂いた
哲学の本2冊買って読んでいます。
『人生のほんとう』  著者:池田晶子
『君自身に還れ  知と信と巡る対話』 著者:大峯あきら・池田晶子
今まだ読んでいる途中ですが、この本と出会って本当に良かったと思っています。
何故なら再度確認する事や更なる疑問が深まる事等、様々な事を教えられています。
そして…私が何故お金を憎んでいるのか、やっと答えが見つかったのです。
この本の中に書いてある文面でした。
一部分だけ皆様にはお伝えします。
(感謝を失い、深い心を失った現代の理由)
『マックス・シェラーという非情にすぐれた思想家がある論文の中でこのこと(上記内容)を論じています。普通は自然科学の発達でこの観念が消えたのだというわけだが、シェーラーの考えはこれと違う。科学はこの観念の殺害者ではない。科学はすでに死んだものを埋葬しただけである。それでは殺したのは誰か。それは13世紀、14世紀頃から起こってきた人間の世界経験の質の変化であると言っている。人間はお金儲けと仕事のために生きているという観念が人々に広がったんだと。仕事は何のための仕事かといえば、仕事のための仕事。中世の頃の仕事は、たとえお金儲けの仕事でも、天分のための仕事であった。経済のための経済なんかではないわけでね。確かに経済は必要だけども、もっと高いもののための手段として、あったわけだ。ところがいつの間にか仕事そのものが目的になって、仕事をするために仕事をするとう事態になってしまった。そういう世界経験の変化というものが、その観念の殺害者だと。』
とても良い本なので、是非購入されて読まれる事をおすすめします。
(美研インターナショナルの塚田良氏は、哲学について大変詳しい方だから
彼の感想が是非聞きたいと個人的に私は思っています。
塚田さん!また教えて下さいね~!)
上記内容でお分かり頂けるでしょうか?
私が何故お金を憎んでいるか!
メディアでも有名な方々でも、
現在全ては仕事が目的というより経済やお金が最終目的になっている現実。
確かにお金は必要だとは思います。
しかし、私はお金を最終目的にする事がむしろ人間を苦しめる結果になると痛感します。

私は海外の個展を通して多くの事を教わりました。
日本の常識は世界の常識でないという事を。
しかし、様々な国の常識も
新しい世界の常識にはならないのではないかと考えています。
たとえば
アメリカの常識…プロの画家とは『絵が高額で、多く売れる画家をプロの画家とする』
ヨーロッパの常識…プロの画家とは『画廊で個展ができる画家をプロの画家とする』
日本の常識…プロの画家とは『画商で扱われる画家、公募団体展で会員の画家、国や海外で認められた優秀な受賞者、また美術年鑑等で号金額の高い画家等をプロの画家とする…正直な所日本は最も混乱状態にあると考えられます。』
私は、現在のプロ芸術の状態はどの国も正しいものは無いと観じています。
プロの画家とは何か…私個人の独断で申し上げれる今現在の答え、
それは『天分』しかないという答えです。
つまり、プロの画家の仕事は『天分』で『使命』を与えられた画家のみであると!
しかし画家だけでなく、
誰しも人それぞれ様々な『天分』や『使命』があるのではないかと思っています。
それが本当の生きている間に成すべき行いだと!
決してお金や名誉が目的の生きる意味にしてはならないと!

いえ!!私が本当に一番言いたい事は
自然であり…意味など目的など何も求めてはならないと言う事です!!
それは…それは禅に繋がるのかもしれません。。。
私はそんなことを常に考え
強く観じている…可笑しな作家なのです。