TAZUKO多鶴子

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青木繁…NO.5福田蘭童(昨日の続き)より

2008-01-09 | TAZUKO多鶴子からの伝言
    <『父、青木繁のこと』NO.2福田蘭童>

 むろん、久留米で坂本繁二郎をはじめ、梅野満雄、高島宇郎を知り、
小学校時代から晩年にいたるまでの繁の行動をつぶさに知り得たことは
いうまでもない。
こうした数々の人々たちから繁の人となりを知ったわけであるが、
二十九歳という短い生涯のなかで、
苦境と苦難と貧困と病弱を背負いながら
よくぞ画業に専念できたものだと、ただただ感服するばかりである。
作品は少なかったとはいえ、
一枚一枚が丹念、かつ正しいデッサンの上に構成され、
そして神秘的に色づけされていたのである。
家庭の破局、画壇からの抹殺、
生活の苦渋によくも耐えて目をつぶっていったことか。
ひるがえってみると、
父が他界した年齢よりも、わたしのほうが倍以上生きのびている。
ただ生きながらえているだけのわたしは、
繁の芸術の一片にも近よれぬ不甲斐さに、
ときどき自己嫌悪におちいってしまう。
同じ芸術の道を歩みながら
永久に追いつけないと知ったわたしのなのである。
たしかに父は天才画家だと思う。と同時に努力家でもあったと思う。
描き残したデッサンの数からしても想像がつく。
一つのものをとらえて、角度をかえては綿密に内部をえぐっている。
「あんたの父親は、いつも上を向いて歩いているので、
横柄な態度だと非難すると、
伊達や粋狂で上を向いて歩いているんじゃない。
正面から正視するより下から上を見上げたほうが、
構図上、有効なんだ。
まず、正しい円を描いて遠方から眺めてごらん。
丸くは見えずに横ひろがりに見えるだろう。
丸く見せようとするならば、たて長に描かにゃいかん。
要するにあらゆる角度から物象をとらえねば、
いいエカキにはなれんし女房にもなれんよ。といったっけ」
繁の愛人であり、
わたしの母でもあった
福田たねの口からでたこの言葉をときどき思いだす。


<参考資料>『日本の名画32 青木繁』
      河北倫明:編著者
      野間省一:発行者
      (株)講談社:発行所


TAZUKO多鶴子は
やはり『青木繁』は天才だと確信している。
『青木繁』本人の言葉からも
今は観じる。
様々な深く広く
それでいてどの時代になっても変わりのない
強い真意を…。
そう!『青山二郎』
陶器の目利きの天才と云われる『青山二郎』の言葉と同じものを観じる。