TAZUKO多鶴子

ページ内の文章及び作品の著作権はTAZUKO多鶴子が有するものとし、他者がそれらを無断で転載することを固く禁止とします。

『弥勒菩薩半跏思惟像』とアルカイックスマイル

2008-01-29 | TAZUKO多鶴子からの伝言
国宝第1号!
大変美しい仏像の一つにあげられる『弥勒菩薩半跏思惟像』。
アルカイックスマイルとしても有名である。
ただ古代ギリシアのアルカイックスマイルとは
関連性が無いとはされてはいるのだが…どうなのだろうか?
また、この弥勒菩薩像は朝鮮半島の渡来像なのか
日本で制作されたものなのかが未だに判明されていない。
TAZUKO多鶴子はこの点に於いても現在観じて考えている事がある。
ブログでは私の真意はお伝え出来ませんが…。
今日はそれに関連した内容をご紹介します。
下記をご覧下さい。



<弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしゆいぞう) >
大陸より6世紀から7世紀の弥勒信仰の流入と共に伝えられ、国内には飛鳥、奈良時代の作品が多く残されている。
中でも有名な京都府京都市太秦の広隆寺霊宝殿に安置されている「宝冠弥勒」は、右手の薬指を頬にあてて物思いにふける姿で知られる。像は赤松で作られる点が飛鳥時代の作例としては例外的であるため、日本書紀記載の推古31年新羅から伝来したものとする説もある。制作時は漆で金箔を貼り付けた漆箔像であった。弥勒菩薩の微笑みは「アルカイックスマイル」として知られている。
像高123.3cm(足元からの高さ、台座からは約147cm)
本像についてしばしば「国宝第1号」ということが喧伝されるが、それは文部大臣から交付された国宝指定書の番号が「彫刻第1号」になっているに過ぎず、本像と同じく1951年6月9日付けで国宝に指定された物件は他にも多数ある。
<木造弥勒菩薩半跏像>
広隆寺に2体ある弥勒菩薩半跏像のうち、「宝冠弥勒」と通称される像で、霊宝殿の中央に安置されている。日本に所在する仏教彫刻のうち、もっとも著名なものの1つと思われる。ドイツの哲学者カール・ヤスパースがこの像を激賞したことはよく知られている。
像高は約123センチ、アカマツ材の一木造で、右手を頬に軽く当て、思索のポーズを示す弥勒像である。制作時期は7世紀とされる。
この像は韓国ソウルの国立中央博物館にある金銅弥勒菩薩半跏像と全体の様式がよく似ている。同時期の朝鮮の木造仏で同型のものは残っていないが、広隆寺像も元来は金箔でおおわれていたことが、下腹部等にわずかに残る痕跡から明らかで、制作当初は金銅仏に近い外観であったことが推定される。
制作地については作風等から朝鮮半島からの渡来像であるとする説と、日本で制作されたとする説があり、今なお決着を見ていない。
第二次世界大戦後まもない1948年、小原二郎は、本像内部の内刳り部分から試料を採取し、顕微鏡写真を撮影して分析した結果、本像の用材はアカマツであると結論した。日本の飛鳥時代の木彫仏、伎楽面などの木造彫刻はほとんど例外なく日本特産のクスノキ材であるのに対し、広隆寺像は日本では他に例のないアカマツ材製である点も、本像を朝鮮半島からの渡来像であるとする説の根拠となってきた。ところが、1968年に毎日新聞刊の『魅惑の仏像』4「弥勒菩薩」の撮影のさい、内刳り(軽量化と干割れ防止のため、木彫像の内部を空洞にすること)の背板にクスノキ材が使用され、さらに背部の衣文もこれに彫刻されていることが判明した。(明治時代に、この像は、破損した状態で発見され、このとき楠材を用いて欠損部分が補われている。)また、アカマツが日本でも自生することから日本で制作されたとする説がある。
朝鮮半島からの渡来仏だとする説からは、『日本書紀』に記される、推古天皇11年(603年)、聖徳太子から譲り受けた仏像、または推古天皇31年(623年)新羅から将来された仏像のどちらかがこの像に当たるのではないかと言われている。

<アルカイク・スマイル (archaic smile)>
古代ギリシアのアルカイク彫刻 の口もとに見られる微笑に似た表情をいう。アーケイック・スマイル、アルカイックスマイル、古式微笑などともいう。初期の彫刻ではあまり目立たないが、紀元前6世紀中頃から後半にかけての青年像(クーロス)や少女像(コレー)などで特に明瞭となり、ギリシャ美術の厳格様式に移行する紀元前5世紀初め頃からしだいに消えていった。
アルカイク・スマイルの意味については「ギリシャ人の生に対する素朴な喜びの反映」「神の人間に対する好意の表現」「未熟な彫刻家の偶然に生み出した表情が定型化したもの」「微笑のもつ呪術的力に対する古代人の信仰の表れ」といったさまざまな解釈がなされている。いずれにせよ、この表情が上機嫌、陽気、愉快などの心理状態を表す、一般の〈微笑〉でないことは明らかである。おそらく、古代の彫刻家は彫像をただ生命なき冷たい人形のままとどめておくことに飽きたらず、その中に魂を宿し、人間と同じ生命と感情をもった存在たらしめようと考えたと思われる。そしてそれを最もよく表現できる方法として彼らが到達したのが、口端を上方に反らせるこの微笑に似た表情であったと思われる。ギリシャの影響の強いエトルリアでも、紀元前6世紀のウェイイのアポロンや陶棺像などの大型テラコッタ像に、この表情がいっそう誇張された形で表れている。


参考資料: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』