光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

東京国立博物館(2012.10.7) 江田船山古墳と九州北部の古墳からの出土品

2012年10月13日 | アート 古代

明治6年、熊本県の旧菊水町で発掘された江田船山古墳から出土品は一括して国宝に指定され、トーハクの平成館1Fで展示されています。 

 
古代から朝鮮とは繋がりのあった倭国。  文化的な交流の遺物である装身具が出土しています。  

 

 

 

 

 

 

ところでこの古墳の主を示す貴重な副葬品が、この鉄刀「銀象嵌銘太刀」
(写真は、2010年9月5日に撮ったものです)

銘文と解釈をウィキペディアから引用します。

治天下獲加多支鹵大王世奉事典曹人名无利弖八月中用大鉄釜并四尺廷刀八十練九十振三寸上好刊刀服此刀者長寿子孫洋々得□恩也不失其所統作刀者名伊太和書者張安也

<訓読>

天の下治らしめし獲□□□鹵大王の世、典曹に奉事せし人、名は无利弖、八月中、大鉄釜を用い、四尺の廷刀を并わす。八十たび練り、九十たび振つ。三寸上好の刊刀なり。此の刀を服する者は、長寿にして子孫洋々、□恩を得る也。其の統ぶる所を失わず。刀を作る者、名は伊太和、書するのは張安也。

<解釈>

ワカタケル大王(雄略天皇)の時代にムリテが典曹という文書を司る役所に仕えていた。八月に大鉄釜で丹念に作られためでたい大刀である。この刀を持つ者は、長寿であって、子孫まで栄えて治めることがうまくいく。 大刀を作ったのは伊太□(ワ)で、銘文を書いたのが張安である。

錆ついていますが、書者張安也の象嵌が読めると思います。

当時、各地方の豪族達の首長や子弟が、ワカタケル大王(雄略天皇)の宮廷に出仕していたことがわかる。

 

立派な甲冑も出土しています。

 

当時、軍事的にも朝鮮半島南部に出兵して交戦しており、古代から日本は朝鮮半島に利を求めて侵略している。  

 

この古墳と比較的近くにあるのが、岩戸山古墳。  江田船山古墳と直線距離で25kmほど北で、筑後川の南の八女市にあります。 

岩戸山古墳の主は筑紫君磐井(つくしのきみいわい)で、古代最大の内乱といわれる磐井の乱を起こした。

朝鮮半島で新羅が任那を侵略しだし、ヤマト政権が出兵しようとしたところ、新羅に通じた磐井に阻止され、ヤマト政権が磐井討伐軍を向け、528年11月、磐井が戦死して平定された。

磐井氏は九州北部を勢力下においていたので、江田船山古墳の主も、磐井とともに戦い、敗れたのではないだろうか。

 

江田船山古墳の出土品の隣に、九州北部の古墳からの出土品が展示されていました。

金銅製帯金具  福岡県飯塚市西町櫨山(はぜやま)出土。  古墳時代・6世紀

模造ですが、現代のベルトと言ってもおかしくない。(少し派手ですが)

アップです。

 

そして金銅製沓   伝福岡県行橋市 大将陣古墳出土   古墳時代・6世紀

いずれも、私が20歳まで住んでいた、福岡県の出土品で、金具にしろ沓にしろ、出来映えの良さが抜きん出ているのに驚きました。

出土品の年代は卑弥呼の時代とはちょっと違いますが、それだけの文化や財力の源流が卑弥呼の時代から続いていたからではないでしょうか。

と、最後はなんの確証もないのですが、卑弥呼の邪馬台国は九州北部だと思った次第です。 


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