世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

ふじもん世界一周「放学記」第7章 ウズベキスタンに『日本町』を見た!いざ、日本との架け橋となれ!

2014-06-14 01:17:24 | 日記
2014年6月13日。


《ウズベキスタンの片田舎に、素晴らしき『日本町』があることをご存知ですか?何もない小さな町ですが、この地から感じるべきことはあまりに多い。》


僕は日本人だから、日本語で挨拶をされるとやっぱり嬉しい。「日本語を勉強してます」とか「日本に興味があります」と言われても、やっぱり嬉しい。


ここはウズベキスタンの小さな田舎町、リシタン。目の前はキルギスとの国境だ。


こんな小さな田舎町なのに外を歩いていると、なんと「こんにちは!」と声を掛けられる。しかもそれはこれまでに体験してきた差別や偏見に満ちた呼ばれ方ではなく、純粋に「こんにちは!」と言ってくれるのだ。


リシタンは、ウズベキスタンで初めての日本語学校が創設された地なのである。その学校の名は「NORIKO学級」。創設者の大崎重勝氏は2005年に逝去されてしまったが、このNORIKO学級は今でも健在である。


当初、僕はリシタンに寄る予定はなかった。しかしこのNORIKO学級のことを知った僕は、直感的に「ここには行かなければいけない気がする」と感じ、すぐに連絡を取り、この地を訪れたのだ。


※NORIKO学級のホームページはこちらです~!

http://rjc.bz/index.html


僕のことを本当に温かく迎えて下さった、校長のガニシェルさん。


僕は今ガニシェルさんのご自宅に泊めていただいているのだが・・・




本当に温かいのだ。ご飯もメッチャ美味しいし!


日本のことを、日本人のことを本当に良く理解して下さり、家族そろってみんな日本語がペラペラなのだ。


不思議なものですよね、だってここはウズベキスタンの片田舎ですよ?それなのにたくさんの子ども達が日本語を学び、日本語で挨拶をされ、日本人を温かく迎え入れてくれる。

こんな場所が、ウズベキスタンにあったなんて・・・衝撃だ。


ひとたび学校に行けば、さらにその温かさに包まれる。


みんなそろって「おはようございます!」。


我先にと日本語で自己紹介。


驚くほどにみんな熱心に日本語を学んでいるし・・・


みんな口をそろえて言う。「日本に行ってみたい!」と。




ちくしょ~こいつらめ、みんな可愛いじゃねーか!

あんまり「可愛い可愛い」ばっかり言ってるとロリコン大将に間違われそうだけど、そういうんじゃなくて(笑)!

本当に可愛いんだよな~純粋に・・・。


僕はやっぱり日本人だから「日本という国に所属している」という意識は当然強い。そして旅をしていると、その意識はさらに強くなる。


だから、日本を肯定的に思ってくれる場所にくると、やっぱりすごく居心地がいい。


それはただ単に「居心地がいい」だけでなく、日本人としての誇りとかプライドとか、なんていうか尊厳みたいなものまで取り戻せるような、そんな気さえするのだ。


僕が思う、日本人の良くないところ。


そりゃいっぱいあるんだろうけど、その1つで僕がよく感じているものが、「自分達の良いところを認めるのが苦手」なところ。


今の日本、おかしいところだらけだと思いますよ。何とかしていかないとマジでヤバイ。もちろん本気でそう思っている。だからこそ僕は公立学校の教員という安定的な立場を捨てたし、今もこうして世界を歩いている。


だけど、今の日本の評価が国際的に低いかと言えば、まったくそんなことはない。いや、むしろ高いと僕は思う。それは日本人が思っている以上のものだと思う。


そのことを、日々世界を歩くことでひしひしと感じている。


だからと言って、その上にあぐらをかいてればいいなんていうわけじゃない。あぐらをかいているどころか、足がしびれていようが靴下が臭くて替えなくちゃいけなかろうが、今すぐに立ち上がって先を見据えた行動をしなくちゃいけない。そのくらい、今の日本はヤバイと思う。


そういう想いが前提にあるものの、だがしかしだ。


今の日本がそれなりに評価されてきた現実を、全面的に否定する必要はないと思うのだ。


国への所属というのは、個人のアイデンティティの行き着く先の最も大きなものの1つだと思う。日本の大人はよく「自分を好きになりなさい」「自分を認めてあげなさい」というような綺麗な言葉を子どもに伝えているような気がするが、そうは言っておきながら、アイデンティティの大元たる国への評価は極めて低い人が多いと思う。


それって大いなる矛盾ですよね。「自分を評価してあげなさい」と言いながら、その所属の大元には酷評を下す。


まぁ国というものの存在をいかに捉えるかの議論をしたら、話はまったく別のものになるのだが・・・。


それはさて置き、僕は思うのだ。日本という国の良い部分は良い部分で、素直に認めようぜ俺ら!って。


例えば、日本人はよく「右にならえ」的な国民だと言われる。個人の意識が薄くて、みんなと同じことばかりを行うと。


それ、当たっていると僕は思います。それは1つの日本のネガティブな面だと思います。


しかしそれは、同時にポジティブでもある。個人より集団の意識を高く持つが故に、一致団結してみんなで何かの課題をこなせるわけだし、共に同じ方向に向かって行動できる。待つべきところは待てるし守るべきものは守れるし、集団としての統制が取れる。


そんなのはかつての高度経済成長時代における集団作業のための統制だ!と言われればそれまでだ。でも、そうだとしても、その意識が日本人の「公」の意識の高さに結びついていることは、1つの事実なのではないだろうか。


それに、そのような意識付けが単に現代において形作られたものではないことは明らかだ。それはかつて日本を訪れた諸外国の人々が残した記録を見れば明白である。


もちろん「個」は大切。超大切。でも、あまりにも「個」が優先され過ぎているが故にしっちゃかめっちゃかになっている国を見てきて、僕は果たしてあれもどうなのかと思っている。


繰り返しますが、僕は今の日本のすべてが、いや過去も含めて、すべてが完璧だなんて夢にも思っていないですよ。特に現在においては問題だらけだと思っていますよ。


でも、過去に良かったものは良かったものとして認めたい。認めてもいいことを子ども達に僕は伝えたい。それがその時代だったからというものであっても、良かったものは良かったもので伝えてあげたい。


子ども達に自己肯定感を育むなら、まずもって自国の歴史を肯定的に捉える作業も必要なのではないだろうか。それは他国をマイナスに落とすことでプラスに持っていくのではなく、自らをプラスに捉えることで他も評価し、「共にポシティブ」に持ち上げていく。そんなイメージだ。


ここはウズベキスタンの片田舎、リシタン。ここにいると、日本人である自分に誇りが持てる。


日本や日本人を評価して下さり、生き生きと日本語を学ぶ子ども達に、本当に力と勇気がもらえる。


いいじゃないか、それで!それは素晴らしいことじゃないか!


アンパンマンの歌を歌って踊る3人組の女の子。マジで可愛いっすよ!


授業中いっつもダラダラしているくせに、実はとっても優しくて男前の2人組。


かなり日本語が上手で、いつも日本語とウズベク語の通訳をしてくれた少年。


放課後は例によってサッカー!みんな元気すぎ!


来週から3カ月、日本に短期留学に行くという中学生。


久し振りの授業、何だかんだで楽しいんですよね~!


こんな弁論大会まであるんですよ~!


遥かなるウズベキスタンの田舎町で、僕は1人考えながら満月を眺めている。日本人として、日本と世界を本当に見据えて、あるべき振る舞いとやるべき行動とは何なのか。


『偉大なる参考書・世界』のウズベキスタンのページには、これまた難しい課題が書かれいた。


そんな想いを僕は心に秘めながら、目の前でアンパンマンを歌って踊ってくれる子ども達に言う。「ハラショー!」と。


そして心から願う。ぜひともここの子ども達には、日本とウズベキスタンの架け橋になってほしいと!



2014年6月13日。素晴らしく美しい満月が光り輝いている、ガニシェルさんの中庭にて。


世界一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村

ブログランキングに参加しています。「いいね!」と思っていただけたら、バナーにクリックをお願い致します!