2014年6月23日。
※カザフスタンのガソリンスタンドで撮ったこの写真。僕にはただの「絵文字」にしか見えません(笑)。
《僕にそれを全面否定する権利などないけれど、やっぱり「何か」違和感を感じた。だから、今回のメッセージを書こうと思った。ということで、今回は文章だけでまとめます。ちょっとだけ写真がありますが、本編とは関係ないっす(笑)。どうぞよろしくお願い致します。》
中央アジアのある有名な「日本人宿」でのことだった。その宿の共用スペースでは集まった旅人が夜な夜な色々な話をしているのだけど、その夜、ある男性の旅人数人がこんな話をしていた。
「いやぁ、インドの置け屋はヤバかったすよ。さすがにあれは抱けませんでした。」
「カンボジアの置け屋は安いよね。俺5ドルでいいよって言われたもん。」
「ネパール!ネパール最高でしたね。メッチャ可愛かったですよ!」
「置け屋」とは、要は売春宿のこと。つまり彼らは、どこでどんな値段で女性を買ったかの自慢話というか情報提供話というか、まぁそんな類の話をしていたのである。
僕は別にここで売春や風俗についてどうこう綺麗事を言うつもりなどない。世界の現状を見てみれば誰もが分かる通り、良くも悪くも性産業が社会の一端を支えているという状況は否定のしようがないはずだ。僕だって一応それなりの歳だし・・・あ、何でもないです。自分自身のそーゆー話は身を滅ぼしかねないので、止めておきましょうね(笑)。
何にしても、彼らはそういう話で大いに盛り上がっていた。何度も言うように僕は綺麗事や格好のいい正義論をここでまくしたてるつもりなどないのだけれど・・・何故か僕には、彼らの話が耳障りでならなかった。
それは何故か。どうも僕には、彼らには全く罪悪感や後ろめたさなどがなく、まるで自分たちが凄いことを成し遂げたかのように話してると感じたからだ。
※カザフスタンにも、こんな立派なモスクがあるんですよ~!
今回の旅ではないけれど、僕が東南アジアのラオスを旅していた時のことだ。
僕はある日本人2人と仲良くなった。そのうちの1人がそういう女性遊びが好きで、「ぜひ今夜遊びに行こう!」と持ちかけてきたのだ。
僕はこんなところで女性を買う気など毛頭なかった。もう1人の日本人男性も同じだった。でも、社会科見学としてそういう場所がどういうところなのかは見に行ってみたいと思い、彼についていくことにした。
僕たち3人はラオスではちょっと有名な滝を見に行っていたのだけれど、その帰りにタクシーの運転手に「どこかオススメのところない?」という話をしたのだ。
するとタクシーの運転手が「いいところ知ってるよ!なんなら俺がまた送っていってやるぜ!」となり、僕らはまたそのタクシーの運転手にお願いをすることになった。
夕方、そのタクシーの運転手は僕らのところにしっかりと迎えに来た。僕たちはそれに乗り、連れられるがままにその「オススメの場所」に向かった。
何分くらい走ったのだろう、正直覚えていない。そして車はある小さな村?のようなところに停まった。
「もう事前に連絡はしてあるんだよ。ここで待っててくれ。」タクシーの運転手はそう言い、僕らを待合室みたいなところに案内してくれた。
繰り返すけど、僕はここで女の子を買う気など全くなかった。どういう場所でそのような行為が行われているのかをこの目で知りたいと思っただけで、適当なことを言って断るつもりだった。
「今日は日本人が3人も来ると聞いたから、極上の女の子を用意しておいたよ。」売春宿(村?)のおっちゃんは笑顔で僕たちにそう話してくれた。
そして数分後、女の子が数人僕らの前に現れたのだが、それは衝撃的だった。
なんと、みんなランドセルを背負って学校に行っていそうなくらい年齢の女の子だったのだ。
4~5人はいたと思う。そしてみんな、下手したら10歳にも満たないかと思われるような子どもばかりだったのだ。
僕は言葉を失った。「極上の女性」なんて言うものだから、いったいどんな人が出てくるのかと思ったら、まさかこんな子どもだったとは・・・。
「NoNo,Too Young...」もともと買う気のなかった僕ら2人はそう言って断った。そしてやる気満々だった彼も同じように断った。もっとも彼は、その後別に紹介してもらった大人の女性とやることはしっかりやっていたのだが・・・。
僕はこのとき思った。
「日本人が来るから極上の女性を用意しておいたよ。」と言って、出て来たのはあんな小学生だった。ということは、そういう女の子を好んで買っている日本人がいるってことだよな。だから「日本人が来る」と聞いて、あんな小さな子を用意していたんだよな、きっと・・・。
僕は日本人として恥ずかしくなった。タイなどでも日本人が小さな女の子に対して売春行為をしているというのがよくニュースになっていたけど、実際にそうと思われる現場に遭遇して・・・僕はいたたまれないというか、情けない気持ちになった。
これは僕の「アジア旅」の中で、忘れられない出来事の1つである。
※こんな綺麗なロシア正教の教会もあるんですから、不思議なもんですよね。
日本においても、アメリカでもヨーロッパでも、残念ながらというべきかそういうものだというべきか分からないけど、「性」は大きなお金が動く産業だ。そこには男性からの需要があるから成り立ち続けるものであり、それをアンダーグラウンドに放り込んでしまったところで何も変わらないであろう。
しかしそうは言っても、「性」というものは意識においてはアンダーグラウンドなものであるべきだと思う。男同士で酒を飲みながらそういう話に花が咲いたとして、それはあくまでそういう時だけだ。当たり前に存在している話なのだけれど、やはりどこかで包み隠すべきと言うか・・・僕はそう思っている。
その日本人宿で元気いっぱいに話している彼らの姿を見て、僕は「なんかそれって違うんじゃねぇか?」と感じていた。
いわゆる女性が安く買えるような国、インドやカンボジアなどその最たる国であるが、そのような国々では何故女性が身体を売らなければならないのか、何故小さな子どもまでそのような商売に手を染めなくてはならないのか・・・。そこには只ならぬ背景がある。
僕は聖人君子じゃないし、他の男性に「女を買うなとか!」とか「風俗なんかに行くな!」とか、そんなことを言うつもりなどない。だけど、特に発展途上国と言われている国々においては、並々ならぬ事情でそのような商売に身を置いている人がいることなど想像に難くない。
日本などにおいては、ただお金ほしさにそのような商売に手を染めている女性も間々いることであろう。本当にそういう状況なだけの女性ならまた話は別かもしれないが、そうじゃない国が世界にはたくさんある。それは本当に嘆かわしいことなのに、それを理解もせず「俺はナンボで買いましたよ~」と悪びれず話している姿に腹が立っていたのだ、俺は!
そういう状況を目で見て感じて「何か」を得るために俺たちは旅をしているのであって、そこで安く女が買えるからそれでハッピー♪なんて次元の話のために旅はあるんじゃない!
俺は強くそう思った。
でも、こう言われたらお終いだ。「俺は世界中の女の子を買うために旅をしてるんだ。それの何が悪い?」
そう堂々と言われたら・・・なんも言えねぇ。そりゃ取って付けたような綺麗事で理屈は返せるが、じゃ~オマエの今までの人生はどうなんだ?なんて振り返ってみれば、完全に俺の完敗だ。俺の人生、そんなに誇れるもんじゃねぇ。懺悔したいこともいっぱいだ。
だけど、俺は憤りを感じていた。矛盾しているのは自分でもよく分かっている。だけど、俺は彼らに腹が立っていた。だから今、この文章を書こうと思った。
世界は本当に矛盾だらけだ。何が真実かなんて本当に分からない。ここで偉そうに何かを叫んだところで結局は何も真実なんかじゃない。
そんな複雑な想いを抱えながら僕は明日中央アジア最後の国、カザフスタンに向かう。明日もきっと良いことがありますように、と願いながら・・・。
2014年6月23日。中国初の宿泊場所、ウルムチのユースホステルのリビングルームにて。
※最後に目覚ましを一発、ブタちゃんの頭!
世界一周 ブログランキングへ
にほんブログ村
ブログランキングに参加しています。「いいね!」と思っていただけたら、バナーにクリックをお願い致します!
※カザフスタンのガソリンスタンドで撮ったこの写真。僕にはただの「絵文字」にしか見えません(笑)。
《僕にそれを全面否定する権利などないけれど、やっぱり「何か」違和感を感じた。だから、今回のメッセージを書こうと思った。ということで、今回は文章だけでまとめます。ちょっとだけ写真がありますが、本編とは関係ないっす(笑)。どうぞよろしくお願い致します。》
中央アジアのある有名な「日本人宿」でのことだった。その宿の共用スペースでは集まった旅人が夜な夜な色々な話をしているのだけど、その夜、ある男性の旅人数人がこんな話をしていた。
「いやぁ、インドの置け屋はヤバかったすよ。さすがにあれは抱けませんでした。」
「カンボジアの置け屋は安いよね。俺5ドルでいいよって言われたもん。」
「ネパール!ネパール最高でしたね。メッチャ可愛かったですよ!」
「置け屋」とは、要は売春宿のこと。つまり彼らは、どこでどんな値段で女性を買ったかの自慢話というか情報提供話というか、まぁそんな類の話をしていたのである。
僕は別にここで売春や風俗についてどうこう綺麗事を言うつもりなどない。世界の現状を見てみれば誰もが分かる通り、良くも悪くも性産業が社会の一端を支えているという状況は否定のしようがないはずだ。僕だって一応それなりの歳だし・・・あ、何でもないです。自分自身のそーゆー話は身を滅ぼしかねないので、止めておきましょうね(笑)。
何にしても、彼らはそういう話で大いに盛り上がっていた。何度も言うように僕は綺麗事や格好のいい正義論をここでまくしたてるつもりなどないのだけれど・・・何故か僕には、彼らの話が耳障りでならなかった。
それは何故か。どうも僕には、彼らには全く罪悪感や後ろめたさなどがなく、まるで自分たちが凄いことを成し遂げたかのように話してると感じたからだ。
※カザフスタンにも、こんな立派なモスクがあるんですよ~!
今回の旅ではないけれど、僕が東南アジアのラオスを旅していた時のことだ。
僕はある日本人2人と仲良くなった。そのうちの1人がそういう女性遊びが好きで、「ぜひ今夜遊びに行こう!」と持ちかけてきたのだ。
僕はこんなところで女性を買う気など毛頭なかった。もう1人の日本人男性も同じだった。でも、社会科見学としてそういう場所がどういうところなのかは見に行ってみたいと思い、彼についていくことにした。
僕たち3人はラオスではちょっと有名な滝を見に行っていたのだけれど、その帰りにタクシーの運転手に「どこかオススメのところない?」という話をしたのだ。
するとタクシーの運転手が「いいところ知ってるよ!なんなら俺がまた送っていってやるぜ!」となり、僕らはまたそのタクシーの運転手にお願いをすることになった。
夕方、そのタクシーの運転手は僕らのところにしっかりと迎えに来た。僕たちはそれに乗り、連れられるがままにその「オススメの場所」に向かった。
何分くらい走ったのだろう、正直覚えていない。そして車はある小さな村?のようなところに停まった。
「もう事前に連絡はしてあるんだよ。ここで待っててくれ。」タクシーの運転手はそう言い、僕らを待合室みたいなところに案内してくれた。
繰り返すけど、僕はここで女の子を買う気など全くなかった。どういう場所でそのような行為が行われているのかをこの目で知りたいと思っただけで、適当なことを言って断るつもりだった。
「今日は日本人が3人も来ると聞いたから、極上の女の子を用意しておいたよ。」売春宿(村?)のおっちゃんは笑顔で僕たちにそう話してくれた。
そして数分後、女の子が数人僕らの前に現れたのだが、それは衝撃的だった。
なんと、みんなランドセルを背負って学校に行っていそうなくらい年齢の女の子だったのだ。
4~5人はいたと思う。そしてみんな、下手したら10歳にも満たないかと思われるような子どもばかりだったのだ。
僕は言葉を失った。「極上の女性」なんて言うものだから、いったいどんな人が出てくるのかと思ったら、まさかこんな子どもだったとは・・・。
「NoNo,Too Young...」もともと買う気のなかった僕ら2人はそう言って断った。そしてやる気満々だった彼も同じように断った。もっとも彼は、その後別に紹介してもらった大人の女性とやることはしっかりやっていたのだが・・・。
僕はこのとき思った。
「日本人が来るから極上の女性を用意しておいたよ。」と言って、出て来たのはあんな小学生だった。ということは、そういう女の子を好んで買っている日本人がいるってことだよな。だから「日本人が来る」と聞いて、あんな小さな子を用意していたんだよな、きっと・・・。
僕は日本人として恥ずかしくなった。タイなどでも日本人が小さな女の子に対して売春行為をしているというのがよくニュースになっていたけど、実際にそうと思われる現場に遭遇して・・・僕はいたたまれないというか、情けない気持ちになった。
これは僕の「アジア旅」の中で、忘れられない出来事の1つである。
※こんな綺麗なロシア正教の教会もあるんですから、不思議なもんですよね。
日本においても、アメリカでもヨーロッパでも、残念ながらというべきかそういうものだというべきか分からないけど、「性」は大きなお金が動く産業だ。そこには男性からの需要があるから成り立ち続けるものであり、それをアンダーグラウンドに放り込んでしまったところで何も変わらないであろう。
しかしそうは言っても、「性」というものは意識においてはアンダーグラウンドなものであるべきだと思う。男同士で酒を飲みながらそういう話に花が咲いたとして、それはあくまでそういう時だけだ。当たり前に存在している話なのだけれど、やはりどこかで包み隠すべきと言うか・・・僕はそう思っている。
その日本人宿で元気いっぱいに話している彼らの姿を見て、僕は「なんかそれって違うんじゃねぇか?」と感じていた。
いわゆる女性が安く買えるような国、インドやカンボジアなどその最たる国であるが、そのような国々では何故女性が身体を売らなければならないのか、何故小さな子どもまでそのような商売に手を染めなくてはならないのか・・・。そこには只ならぬ背景がある。
僕は聖人君子じゃないし、他の男性に「女を買うなとか!」とか「風俗なんかに行くな!」とか、そんなことを言うつもりなどない。だけど、特に発展途上国と言われている国々においては、並々ならぬ事情でそのような商売に身を置いている人がいることなど想像に難くない。
日本などにおいては、ただお金ほしさにそのような商売に手を染めている女性も間々いることであろう。本当にそういう状況なだけの女性ならまた話は別かもしれないが、そうじゃない国が世界にはたくさんある。それは本当に嘆かわしいことなのに、それを理解もせず「俺はナンボで買いましたよ~」と悪びれず話している姿に腹が立っていたのだ、俺は!
そういう状況を目で見て感じて「何か」を得るために俺たちは旅をしているのであって、そこで安く女が買えるからそれでハッピー♪なんて次元の話のために旅はあるんじゃない!
俺は強くそう思った。
でも、こう言われたらお終いだ。「俺は世界中の女の子を買うために旅をしてるんだ。それの何が悪い?」
そう堂々と言われたら・・・なんも言えねぇ。そりゃ取って付けたような綺麗事で理屈は返せるが、じゃ~オマエの今までの人生はどうなんだ?なんて振り返ってみれば、完全に俺の完敗だ。俺の人生、そんなに誇れるもんじゃねぇ。懺悔したいこともいっぱいだ。
だけど、俺は憤りを感じていた。矛盾しているのは自分でもよく分かっている。だけど、俺は彼らに腹が立っていた。だから今、この文章を書こうと思った。
世界は本当に矛盾だらけだ。何が真実かなんて本当に分からない。ここで偉そうに何かを叫んだところで結局は何も真実なんかじゃない。
そんな複雑な想いを抱えながら僕は明日中央アジア最後の国、カザフスタンに向かう。明日もきっと良いことがありますように、と願いながら・・・。
2014年6月23日。中国初の宿泊場所、ウルムチのユースホステルのリビングルームにて。
※最後に目覚ましを一発、ブタちゃんの頭!
世界一周 ブログランキングへ
にほんブログ村
ブログランキングに参加しています。「いいね!」と思っていただけたら、バナーにクリックをお願い致します!