次は歴史です。
伊勢電とか、近鉄(大軌)、名鉄などの歴史を読みつつ、鉄道ができる前に浜坂港から湯村温泉までの鉄道建設(資材や観光客は
海運が最初かと思い)を考え、明治末期から大正初期で検討しつつ、ところで山陰本線いつ開通?と調べたら明治45年(1912年)^^;
なので、山陰本線開通を契機で考えることとし、大正年間で開通させることにしました。
また、この頃はまだ電車も木造単車の時代、いくらなんでも単車はなぁと思うので、当初は蒸気で開通したんだけど、事情で電化に移行してすくなくとも木造ボギーまでの時間稼ぎ(半鋼製は大正末期から昭和なので)することにしました。当初は762mmでの開通も
目論んだのですが、さすがに山陰本線開通後は1067mmだよねぇと、計画だけに留めました。
で、ふと、そういや一畑電鉄はどうなんだろう?と調べたら、あら、^^;
ほぼ同じ時期に同じ経緯で誕生、(あちらは出雲大社などの観光資源)762mmの蒸気から1067mmで電化という所まで。。。^^;;;
なので、資金調達の所では、同じ名士に頑張っていただこうかと。^^;
と、誕生から初期の骨子はほぼ決まりました。
伊勢電とか、近鉄(大軌)、名鉄などの歴史を読みつつ、鉄道ができる前に浜坂港から湯村温泉までの鉄道建設(資材や観光客は
海運が最初かと思い)を考え、明治末期から大正初期で検討しつつ、ところで山陰本線いつ開通?と調べたら明治45年(1912年)^^;
なので、山陰本線開通を契機で考えることとし、大正年間で開通させることにしました。
また、この頃はまだ電車も木造単車の時代、いくらなんでも単車はなぁと思うので、当初は蒸気で開通したんだけど、事情で電化に移行してすくなくとも木造ボギーまでの時間稼ぎ(半鋼製は大正末期から昭和なので)することにしました。当初は762mmでの開通も
目論んだのですが、さすがに山陰本線開通後は1067mmだよねぇと、計画だけに留めました。
で、ふと、そういや一畑電鉄はどうなんだろう?と調べたら、あら、^^;
ほぼ同じ時期に同じ経緯で誕生、(あちらは出雲大社などの観光資源)762mmの蒸気から1067mmで電化という所まで。。。^^;;;
なので、資金調達の所では、同じ名士に頑張っていただこうかと。^^;
と、誕生から初期の骨子はほぼ決まりました。
ですが、私が何かの雑誌(だったと思うのですが)で読んだ
記事によると、一畑寺というお寺の参拝客の便宜を図る
目的で開通し、現在でも筆頭株主は一畑寺なので名前を
変えたくても(山陰電鉄とかに)変えられないというような事が書かれていたと思います。ただ、記事の詳細や肝心のソースを失念したので私の方が間違っているかも知れません。