当期の実際の投資率が、限界効率が現行利子率を上回るいかなる種類の資本資産ももはや存在しなくなるところまで推し進められることは、いまや明らかである。換言すれば、投資率は資本一般の限界効率が市場利子率に等しくなる投資の需要表上の点まで推し進められる。
不況になった時に直ちに遊休資産が現れることを見ても「投資率は資本一般の限界効率が市場利子率に等しくなる投資の需要表上の点まで推し進められる」ことがわかる。このとき資本装備は様々な耐用年数の残存期間をもっており、それぞれが生み出す利潤の総和が極大化する地点となる。前に見たとおりである。
けれどもいまここで、読者に注意を促しておきたいことがある。それは、資産の期待収益に関する知識も、資産の限界効率に関する知識も、いずれも利子率なり資産の現在価値なりを導出するためのよすがとはならない、ということである。われわれは利子率の出所をどこか他のところに求めなければならない。それを突き止めたときにはじめて、われわれは資産の価値を、その期待収益を「資本化」することによって評価しうるのである。
資本の限界効率と利子率の関係をケインズは否定している。もちろんある区間では関係を持つことは否定していないが、本質的に、ないしは理論的に利子率は別のところで決まっているという前提がある。利子率は資金に対する需給関係でも、資本の限界効率との関係でも決まらないのだ。
利子率は投資を制限する。利子率は資本の循環にとって外在的なものである。というのが一般理論の立場である。
MMTがらみで貨幣の内生説、外生説が議論になっているが、貨幣の内生、外生とは別の次元の議論である。一般理論をどちらかに分類するのは間違いである。
ケインズの利子率理論は13章、14章で展開される。
ここは少し難解であるが、我が阪神タイガーズが優勝から遠ざかっている理由を解明するよりは簡単であろう。2021年は強いが・・・。