貨幣賃金の変化がもたらす帰結についてはもっと早い章で論じたほうがよかったかもしれない。というのは、古典派理論の想定する経済体系の自己調整的性格は貨幣賃金の伸縮性の仮定に基礎づけられるのが通例で、〔貨幣賃金に〕硬直性がある場合には決まったようにこの硬直性に不調整の責めが負わされてきたからである。
だが自説を展開してしまうまではこの問題を十分に論じ切ることは不可能であった。貨幣賃金の変化の帰結は込み入ったものだからである。貨幣賃金の切り下げは状況の如何では、古典派が考えたように、産出量への刺激となることも十分にありうる。私と古典派理論との相違は主として分析上のものであり、それゆえ私自身の方法を読者に熟知してもらうまでは、この問題をきちんと論じることはできなかったのである。
この前振りの後、次のような古典派理論に対する批判から始まる。
話は単純で、他の条件に変わりがなければ貨幣賃金が切り下げられると完成生産物の価格が低下して需要が刺激され、それゆえ産出量と雇用は、労働者の受諾した貨幣賃金の切り下げが生産物の増加(装備は所与として)にともなう労働の限界効率の低下とちょうど見合うところまで増加する。(と古典派は言っている*筆者注)
ケインズによる古典派理論の定式化であるが、何のことかよくわからない。命題は4つのパートから成り立っている。
①(他の条件に変わりがなければ)名目賃金の低下は商品価格の低下を招き、その結果需要は高まる
②需要の高まりによって生産は拡大する。
③生産の拡大とともに労働の限界効率は低下する、すなわち利潤は逓減し、生産の拡大はどこかで止まる。新たな均衡水準が達成される。
④新たな均衡水準まで産出量と雇用は増加する。
このように咀嚼すると、一般理論をここまで読んでこられた読者には批判は容易であろう。ケインズは何と言っているのだろうか。
まず、個別産業だけこのような時系列が起これば、この命題が成立するのは当然だが、経済全体で見た場合、名目(総)賃金の低下が有効需要にどのような影響を及ぼすのか分からない。だから産出量と雇用が増加するか減少するか分からない。とジャブを放つ。古典派理論は雇用量の決定要因に触れていないので当然の反論であり古典派にとっては致命的である。
本格的な叙述がある。
問題に解答を与えるためにわれわれ自身の分析方法を適用してみることにしよう。議論は二つの部分に分かれる。
(一)貨幣賃金の切り下げは、他の条件に変わりがないとき、直接的に雇用を増加させる傾向をもつか。ここで「他の条件に変わりがないとき」とは、消費性向、資本の限界効率表、それに利子率が、社会全体としてみたとき、以前と同じだという意味である。
(二)貨幣賃金の切り下げは、これら三つの要因に対する必然的または蓋然的な影響を通して、雇用を特定の方向に変化させる必然的あるいは蓋然的な傾向をもつか。
(一)については、
このように貨幣賃金が切り下げられても、社会全体の消費性向、資本の限界効率表あるいは利子率のいずれかに好ましい影響が及ぶ場合を除けば、雇用を増加させる永続的な傾向は生まれない。貨幣賃金切り下げの影響を分析しようとするなら、それがこれら三つの要因にどのような影響を及ぼすかを追跡してみることである。
そりゃそうだ。雇用量は賃金単位で測った有効需要と一意の関係を持ち、消費性向、資本の限界効率表、利子率が不変なら有効需要は変化しえない。貨幣賃金の切り下げても雇用は増加しない。それでも雇用量を増やせば赤字になるだけ
(二)については
7点にわたって論述している。貨幣賃金の切り下げは消費性向、資本の限界効率表、利子率にどのような影響があるか、ということだ。
- 貨幣賃金の切り下げは物価の変動を通じて実質所得の再配分(他の生産要素、金利生活者への)をともない、消費性向を下げる方向に働く。
- 貨幣賃金の切り下げが海外の貨幣賃金に対する切り下げとなる場合、貿易収支を改善し投資に有利に働くだろう。
- 反面、交易条件を悪化させ、実質所得が減少し消費性向は高まるかもしれない。
- 将来の貨幣賃金に対する切り下げなら投資には有利だが、将来ますます切り下げられるという期待のもとでは、投資と消費を先延ばしにされる。
- 賃金総額が削減されると、物価と貨幣所得の引き下げを伴い、その分現金が過剰となり利子率を引き下げ投資に有利に働く。今後再び上昇するという期待の下では、長期の利子率には小さな影響しか及ぼさない。しかし、切り下げは人々のあいだに不満を引き起こし政治的確信を損なえば流動性選好は増大するだろう。
- 全ての産業の貨幣賃金を同時に同額引き下げる手段は存在しないし、貨幣賃金の切り下げは、物価上昇の結果として実質賃金が引き下げられるより頑強な抵抗にあう。
- 貨幣賃金の切り下げによる物価の下落は債務負担を増大させ、投資に重大な負の効果をもたらす。物価水準の下落による国債の実質的負担増、課税に対して及ぼす影響は事業の確信にとって極めて有害。
結論は、
貨幣賃金が底を打ったと信じられており、こんど変化するときには上昇に向かうという期待があるならば、これは資本の限界効率を上昇させる奇貨となる。最悪なのが、貨幣賃金がじわじわと下降を続け、賃金が切り下げられるたびに賃金は変わらないという確信が揺らいでいく場合である。有効需要が弱まっていく時期に入ったときには、貨幣賃金を突如として大幅に、このような水準はいつまでる続くはずがないと誰もが思うようなところまで切り下げるのが、有効需要の強化にとってはいちばん好ましい。だがこうした方策は行政命令なくしては完遂することができないし、自由な賃金交渉体制の下では実際問題としてほとんど不可能な策である。むしろ賃金はしっかり固定しておいて大きく変化することはありえないと思わせるほうが、不況のままに貨幣賃金をだらだら下落するにまかせ、貨幣賃金がさらにいくらかでも切り下げられると、そのたびに失業量が、たとえば1パーセント増加するに違いないと思わせるよりは、ずっと好ましい。たとえば、賃金が仮に翌年2パーセント低下すると期待されるならば、その効果は同期に支払うべき利子額が2パーセント増加するのとだいたい同じである。同様のことは必要な修正を施せば、好況の場合にも当てはまる。
そうだとしたら、現実の慣行と現代世界の諸制度を所与とするかぎり、固定的貨幣賃金政策をとったほうが、失業量の変化にその都度反応する伸縮的政策をとるよりはもっと適切だということになる。すなわち資本の限界効率に関していえば、固定的貨幣賃金政策のほうが好ましい。だが、この結論は利子率についても妥当するだろうか。
最後の問いに関して一般理論の利子率理論を知っていれば、答えはNOに決まっているが、ケインズはさらに、貨幣量固定の場合でも、利子率を十分下げるほど賃金を引き下げることは困難であることを指摘している。
補注
賃金が仮に翌年2パーセント低下すると期待されるならば、その効果は同期に支払うべき利子額が2パーセント増加するのとだいたい同じである。
どういう意味だろうか?
総生産額(純付加価値額)は賃金総額の関数であった。賃金が98%になれば総生産額(純付加価値額)も98%に低下する。利子負担額が変わらないAとすると
A/100がA/98となり、2%増加するのとだいたい同じである。