よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

需要と供給を決めているものは何か

2024年05月13日 | 先進国の経済学
 前回は「供給と需要は価格によって調整されるのか」という題名で「そうではない」と主張した。では需要と供給それぞれを決めているものは何だろうか?

供給について考える

 生産技術、一次産品価格、為替等の条件が変わらないのであれば、供給量は雇用量に比例する。これを供給量は雇用量の関数である、という。逆に雇用量は供給量の関数であるとも言える。同じことだ。問題はどちらを先に考えるかである。

 均衡価格理論では、生産者が消費者の需要を満足させるために生産に励んでいるような世界、もっと言えば需要と供給が価格によって常に均衡するような世界が描き出されていたが、もちろん現実はそんなことはない。生産者の唯一にして最大の動機は利益の最大化である。(第一の前提:利潤最大化、利益≒利潤だが「社会の利益」という使い方もするので、以下利潤という)

 唯一にして最大の動機が利潤という貨幣価値で示されるものである以上、供給量ではなく単価×生産数量の供給額で考えなければならない。これが現実の世界である。

 一般理論では「N人を雇用することによる産出量の総供給価格Z とすればZ=f(N)と書くことができる。これを総供給関数と呼ぶことにする」という言い方をしている。

 供給価格のとは一国全体で生み出される付加価値の総額であり、ほぼGDPのことである。この総供給関数は雇用量が増えるに従って(総付加価値額が増えるに従って)右肩上がりに総供給価格は増えるが、その増え方は寝てくるという特徴を持っている。(第二の前提:収穫逓減の法則)



 ここではS字カーブ・成長曲線のようなことを考えていただければいい。これを収穫逓減の法則と呼ぶ。(*注)

一方、需要はどうだろう

 人間は豊かになるほど所得(可処分所得)のうち消費に回す割合が減るという特徴を持っている。これを限界消費性向低下の法則(第三の前提)と呼ぶ。消費性向=消費額÷可処分所得である。

 限界とは何ぞや?所得(可処分所得)100の人が、うち70を消費に回しているとしよう。消費性向は70÷100=70%となる。所得が10増えたとき増えた10のうちいくらを消費に回すか?これが限界消費性向である。10のうち7なら110のうち77を消費回すことになり消費性向は変わらない。

 10のうち6なら元の100のうち70を消費に回すとしても、110のうち76を消費に回すことになり消費性向は下がることになる。限界消費性向が下がると全体としての消費性向も徐々に下がっていく。これは家計調査等の統計を見ても、その通りで所得の高い人ほど消費性向は低い。これは同時代で比べたものだが、時代が進むにつれ社会が豊かになれば同じこと、消費性向の低下が起きるだろう。

 このため雇用量と総需要価格の関係である総需要関数は総供給関数の逆、右肩下がりとなる。この傾向は耐久消費財の普及が終わった豊かな社会では一層明らかとなる。(*注)

 この右肩上がりの総供給関数と右肩下がりの総需要関数の交点がケインズの言う「有効需要」である。有効というのは供給が全て売り切れる有効な需要という意味だ。これを超えて生産を続けると在庫の山を築くことになり赤字がでるだけである。



 ここで第一の前提:利潤最大化が登場する。企業が在庫をつくるのは「まだ売れる、まだ利益が出る」と考えるからだ。この考え方は利潤最大化の法則に従っている。

 ただし、ここで注意しなければならないのはこの総需要価格が実際の価格×需要量とは少々意味が異なるところである。ケインズは企業者の行動に基づいて経済を分析する。別の言い方をすれば「資本の論理」を考える。ここで言う総需要価格とは企業家が期待する(予想する)売り上げのことである。企業家はある売り上げを予想して労働者を雇い入れる。その雇用量にはそれに対応する売上予想があるということだ。これを一国全体で足し合わせたものが総需要価格である。有効需要に達する前は予想売上が実際の供給額を上回っているから雇用を増やそうとする。有効需要を超過したときには、すぐには気が付かないかもしれないが、雇用を減らそうとする。

 実際には需要が満たされてはいないにもかかわらず、供給がストップしてしまうことがあるのはこのためだ。マルクスは工場にはシャツの在庫が山積みになっているのに工場の外にはそのシャツを買うお金がない人が溢れている状態を見て、その原因を解明しようとした。ケインズも同じようなことを見たし、現代の我々も見ている。

 この有効需要という概念はケインズの一つの答えであり、基本的にはマルクスと共通している。

 企業は完全雇用をめざして経営をしているわけではない。自社の利潤を最大にしようと行動している。それは当然のことである。

 雇用量がこの有効需要に達したときに果たして完全雇用は実現されているだろうか?問題はここである。まだ活用できる労働力があるのに供給は増えないことがある。労働力は貯めておくことができない。今朝生まれた労働力は今日のうちに使ってしまわなければ消えてなくなってしまう。

 しかし、今見てきたように市場は完全雇用を保証しない。保証しないどころか必ず失業者を発生させる。

 それは何故か?次回、貯蓄と 投資の関係からこの市場の下では完全雇用は不可能ということを検討していく。

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(*注)耐久消費財が行き渡って買い替え需要しかなくなる、という先進国特有の問題もある。ケインズはこのような社会を完全投資の社会と呼んでいる。






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