松ちゃんの『やりっ放し やられっ放し』

あなたが気になりだしてから 世界が息づいてる(松任谷由実『緑の町に舞い降りて』より)

めぐりあい家

2006-06-23 18:02:33 | outlook of life
どうも☆

今日。この日(2006/06/23)インターネットをしていて素晴らしいサイトにめぐりあった。
「インターネットをしていて、本当に良かった」と思えるそんなサイト。

しかし、そのめぐりあいが自分にとって価値あるかどうかは
やはり、間(タイミング)が大事なのである、と
その喜びに胸が高鳴らせつつも、私は冷静に省みたのだ。

皆様にも此れまでの暮らしの中で、勿論、素晴らしいめぐりあい、出会いを経験してきたと思います。
家族との出会い(これは、自分の生にも言及され得る。)
友達との出会い

親友との出会い。
マブダチとの出会い。
恩師との出会い。
心の師との出会い。
恋人との出会い。(僕の場合、此れは無いけど…?)

携帯電話との出会い。
本との出合い。
例えば、太宰との出会い。
日本との出会い。
間接的であれ、小泉純一郎氏との出会い。
…後、間接的であれ、マイケル・ジャクソンとの出会い。此れも欠かせない。

以上の運命、言わば、何気なく手に取ったり、テレビを通して観たりと、聴いたり
対象との接触が、直接的であれ、極めて間接的であれ
それは、めぐりあいなのである。
出会いだ。
しかし、日常の中の幾万幾千の出会いのそれぞれの価値はフラットではなく

やはり、昨今私の精力的に生きるための「間」という要素で、大きくも小さくもなる。
上記したサイトは、何時の自分も価値を置いた訳ではなかろう。
私が丁度今、胸の奥に秘めている志というものと、そのサイトとがとても合致していたからこそ
今回このように綴ってまでも皆にその出会いの喜びを報せってもらいたい程の

有り難味を感じる事が出来たのである。
1ヶ月前の私でも狂喜しただろう。3ヶ月前なら、そこそこ嬉しがりだろう。
1年前の私なら、どうか…2年前なら無視していただろう。

まぁ、どんなサイトかは、性質が悪いかも知れませぬが、教えません。
以上の様なことが、世間では

「興味」というたった一語で片付けられている。