松ちゃんの『やりっ放し やられっ放し』

あなたが気になりだしてから 世界が息づいてる(松任谷由実『緑の町に舞い降りて』より)

きゃきゅしゅ(2006/07/19)

2006-06-24 08:22:13 | current affairs
今週から、話題、というか新聞やTV等メディアで取り上げられ始めたのは

瞬間湯沸かし器のパロマ社の問題である。
会社の製品でもう十数年前から事故が相次ぎ、認知していたにもかかわらず、放っていたのだと。

「隠蔽」しがちな体質は、他の国ではどうだか知らないけど
この日本の今の性質そのままであり、本当に悪いところである。
大体、会社に限らず人、国という様々なレベルで瑕疵は存在するだろう。またそれは当たり前である。

真面目に取り組んでいれば、失敗は本当にしょうがないし
そう思える。
だから、別に自分の行いに過ちがあったり、作ったものが人を傷つけてしまったという事は
絶対的にあってはならないというものでもない。

それを包み隠さず誠意を以って謝罪し、誠意ある事後処理がしっかり為されれば
傷ついた方も理解は多少なりともしてくれるだろう。
少なくとも私はそうである。
しかし、今の日本という国も、日本の中の会社や人も皆
過ちを現し、謝ることを恐れている。

のか?
それとも隠し通せるとも思っているのかもしれない。
失態の隠蔽はちゃんと公にされているのだが
やはりそれは1部に過ぎず

自分達が内々に知っている隠蔽工作は何千何万とあり、自分の失敗など隠してしまえば
その1部と埋もれてしまうだろうという楽観的な読みをしているのではないか。
確かに、過失・事故の全てが全て公にされているのを見たら、隠し通せないと思うのは容易である。

隠蔽されていた過失・事故が公に晒された時の惨めったらない。見てるこっちも本当に哀れに思える。
とか語ってる私の隠し事は…事故・過失と言えるような大事でなく、ちゃ~んと

しょうもない事ですよ。(次はもっと「隠す」事の意味を本質的に追求していければと思っとります。)