阪神大震災から20年ですね。早いものです。
今はあの一面焼け野原や横倒しの高速道路の光景など、見る影もなく復興されています。
その話ではなくて、超個人的ですがこの震災と合わせて忘れられない思い出があります。
※震災とは関係がまったくありません。
1年前の1月17日の記事でちょろっと書いたのですが、中学生の私は風邪をひいていました。
今回は文字ばっかですよ。
★ ★ ★ ★ ★ ★
震災の3日前。普通なら学校に行く日でした。
午前五時ごろ、はっと目が覚めた瞬間にとんでもない寒気、ガタガタと震えるレベルのやつに襲われ、冷汗が背中を湿らせてるのに気づきます。体を動かそうとしたら、何このいたみ……そう、節々の痛みってやつです。ギシギシ言いそうな違和感。
昨晩、なんか喉痛いな~とパブロンを飲んで寝たのにこのざまだよ。
具合が悪いよう…と起きていくことも、おーいと声を出すこともできず、だれかが起きてくるまでひたすら耐えます。
自分が寝ていたところは台所兼洗面所の向かいにある部屋。誰か起きてくればここを通るので、声を出せば気づいてくれるかもしれません。
寝るに寝られずそのまま耐えますが、何やら隣の部屋が騒がしい。
父と母が寝ているところですが、
「うおぇえええ」と父が吐いてる(かどうかわかりませんが)声がひっきりなしに。
母が慌てて風呂場から洗面器を持ってどたどた家の中をはしっています。
自分も助けてほしいけど、どうみてもあっちのほうが緊急なので、落ち着くまで待機。
当時、起床時間6時でした。しかしずっと起きてこない私を起こしに母が様子を見に部屋にやってきます。
ようやっと助けを求めることはできましたが、
母は「えぇ~(’・"д・)??」こっちもかよ……とものすごく困った顔をしてました。
額に手を当て、熱があるじゃんよ、はかってみな、と体温計を持ってきてくれます。
その間も父は隣の部屋でげーげーげーげー止まらない。
自分も熱を測ると40度近く。
あっちもこっちも爆弾が炸裂しているので、母は大弱り。
緊急度は父のほうが高そうなので病院へ担ぎ込みます。
当時まだ引っ越す前で、祖父たちとも同居していなかったため
他の人に頼むこともできず、トイレにも行けない、水も飲めない。
ぐわんぐわんする頭で帰ってくるのをただ待ちます。
父は即入院、原因は尿管結石でした。なんか前の日におなかが痛いだの言ってたらしいんですが、まさか石とは。
そして母も帰ってくるなり今度は自分の世話。
まず学校に休みますの連絡を入れ(土曜日も登校だった)
ふらふらでぐにゃぐにゃの自分をなんとか車に乗せ、近所の診療所へ連れていきます。
診断は風邪。インフルエンザじゃない!
じゃあこの高熱いったいなんなんだ……とおもいつつ、お薬もらって家に帰ります。行きも帰りも後部座席で横になってました。
その日はもうただ寝るだけ。おかゆも食べたんだか食べてないんだか覚えてませんが、薬飲むためにちびっとは食べたんでしょう。
母もぐったりです。よくぶっ倒れなかったと後々自分でほめていました。まったく同感です。二人して頭が上がらない。
翌日日曜日。当然ですが起きられません。熱もあります。
月曜日。起きていられるけどまだ寝てた方が楽。微熱程度。
火曜日。起きていられるようになりましたが、外へ出て冷えたりしたらまたぶり返すから、もう一日休もう。
……と思って朝ごはんを食べながら「久しぶりにポンキッキでも見るか~~~」とテレビをつけた瞬間。
あの惨状が映し出されていたわけです。
どこの局でもこの映像でした。
4日も休んでいることになるため担任から
「どうしたんだよぅ(・∀・)ニヤニヤ」と
電話がかかってくる始末。
ずる休みでも登校拒否でもないですよぅ(;´д`)…。翌日からは登校しました。
父のほうは数日入院し、石が小さくなる薬だかもらって退院しました。
この時点ではまだ体内に残っています。
ところが退院後少したって、勤め先からの命で支援のため、神戸へ数日行くことになってしまいました。
痛みや血尿があるという万全ではない体調なのに大丈夫かと母が心配していましたが、ありがたいことに悪くなることはなかったようでした。
でも向こうで石を出してきました。
もう痛くて痛くてトイレにいったら
「カーン!」と固いものが便器に当たったあと、血尿が出たという
・・・こわーっ!
帰ってきて石を見せてもらいましたが、ごつごつしていて固くてまさに「石」。
砕けてはいたものの大きいもので2~3ミリ程度あったんじゃないかと記憶してます。
キラキラして石英が入ってるみたいな黄色みがかった個体です。
体の中でこれが作られることも不思議ですが、
こんなのが尿道の内壁をヤスリのごとくギリギリ傷つけながら下りてくるんだから、とんでもない痛みだよなぁ……
そして父の兄弟、5人中4人がほぼどこかしらに石持ち。
絶対将来持ちそうだ自分・・・
★ ★ ★ ★
なんてことを思い出しました。というのも昨日、まさに隣に住んでいる叔母が尿管結石で悶絶してて、病院に送って行ったと母から聞いたので
うわお、あの時の再来じゃないか、とよみがえってきたのです。
今回も連休前だし、病院に行く原因が「石」で同じような部位にできてるって。
……やだな、変なフラグじゃないといいんだけどな……
でも今回は私の役柄の「高熱だし」がいないから大丈夫かな。
↑
っていいつつ、木曜日ひどい頭痛と肩こりと吐き気で会社を休んでいたんだけどね!
今はあの一面焼け野原や横倒しの高速道路の光景など、見る影もなく復興されています。
その話ではなくて、超個人的ですがこの震災と合わせて忘れられない思い出があります。
※震災とは関係がまったくありません。
1年前の1月17日の記事でちょろっと書いたのですが、中学生の私は風邪をひいていました。
今回は文字ばっかですよ。
★ ★ ★ ★ ★ ★
震災の3日前。普通なら学校に行く日でした。
午前五時ごろ、はっと目が覚めた瞬間にとんでもない寒気、ガタガタと震えるレベルのやつに襲われ、冷汗が背中を湿らせてるのに気づきます。体を動かそうとしたら、何このいたみ……そう、節々の痛みってやつです。ギシギシ言いそうな違和感。
昨晩、なんか喉痛いな~とパブロンを飲んで寝たのにこのざまだよ。
具合が悪いよう…と起きていくことも、おーいと声を出すこともできず、だれかが起きてくるまでひたすら耐えます。
自分が寝ていたところは台所兼洗面所の向かいにある部屋。誰か起きてくればここを通るので、声を出せば気づいてくれるかもしれません。
寝るに寝られずそのまま耐えますが、何やら隣の部屋が騒がしい。
父と母が寝ているところですが、
「うおぇえええ」と父が吐いてる(かどうかわかりませんが)声がひっきりなしに。
母が慌てて風呂場から洗面器を持ってどたどた家の中をはしっています。
自分も助けてほしいけど、どうみてもあっちのほうが緊急なので、落ち着くまで待機。
当時、起床時間6時でした。しかしずっと起きてこない私を起こしに母が様子を見に部屋にやってきます。
ようやっと助けを求めることはできましたが、
母は「えぇ~(’・"д・)??」こっちもかよ……とものすごく困った顔をしてました。
額に手を当て、熱があるじゃんよ、はかってみな、と体温計を持ってきてくれます。
その間も父は隣の部屋でげーげーげーげー止まらない。
自分も熱を測ると40度近く。
あっちもこっちも爆弾が炸裂しているので、母は大弱り。
緊急度は父のほうが高そうなので病院へ担ぎ込みます。
当時まだ引っ越す前で、祖父たちとも同居していなかったため
他の人に頼むこともできず、トイレにも行けない、水も飲めない。
ぐわんぐわんする頭で帰ってくるのをただ待ちます。
父は即入院、原因は尿管結石でした。なんか前の日におなかが痛いだの言ってたらしいんですが、まさか石とは。
そして母も帰ってくるなり今度は自分の世話。
まず学校に休みますの連絡を入れ(土曜日も登校だった)
ふらふらでぐにゃぐにゃの自分をなんとか車に乗せ、近所の診療所へ連れていきます。
診断は風邪。インフルエンザじゃない!
じゃあこの高熱いったいなんなんだ……とおもいつつ、お薬もらって家に帰ります。行きも帰りも後部座席で横になってました。
その日はもうただ寝るだけ。おかゆも食べたんだか食べてないんだか覚えてませんが、薬飲むためにちびっとは食べたんでしょう。
母もぐったりです。よくぶっ倒れなかったと後々自分でほめていました。まったく同感です。二人して頭が上がらない。
翌日日曜日。当然ですが起きられません。熱もあります。
月曜日。起きていられるけどまだ寝てた方が楽。微熱程度。
火曜日。起きていられるようになりましたが、外へ出て冷えたりしたらまたぶり返すから、もう一日休もう。
……と思って朝ごはんを食べながら「久しぶりにポンキッキでも見るか~~~」とテレビをつけた瞬間。
あの惨状が映し出されていたわけです。
どこの局でもこの映像でした。
4日も休んでいることになるため担任から
「どうしたんだよぅ(・∀・)ニヤニヤ」と
電話がかかってくる始末。
ずる休みでも登校拒否でもないですよぅ(;´д`)…。翌日からは登校しました。
父のほうは数日入院し、石が小さくなる薬だかもらって退院しました。
この時点ではまだ体内に残っています。
ところが退院後少したって、勤め先からの命で支援のため、神戸へ数日行くことになってしまいました。
痛みや血尿があるという万全ではない体調なのに大丈夫かと母が心配していましたが、ありがたいことに悪くなることはなかったようでした。
でも向こうで石を出してきました。
もう痛くて痛くてトイレにいったら
「カーン!」と固いものが便器に当たったあと、血尿が出たという
・・・こわーっ!
帰ってきて石を見せてもらいましたが、ごつごつしていて固くてまさに「石」。
砕けてはいたものの大きいもので2~3ミリ程度あったんじゃないかと記憶してます。
キラキラして石英が入ってるみたいな黄色みがかった個体です。
体の中でこれが作られることも不思議ですが、
こんなのが尿道の内壁をヤスリのごとくギリギリ傷つけながら下りてくるんだから、とんでもない痛みだよなぁ……
そして父の兄弟、5人中4人がほぼどこかしらに石持ち。
絶対将来持ちそうだ自分・・・
★ ★ ★ ★
なんてことを思い出しました。というのも昨日、まさに隣に住んでいる叔母が尿管結石で悶絶してて、病院に送って行ったと母から聞いたので
うわお、あの時の再来じゃないか、とよみがえってきたのです。
今回も連休前だし、病院に行く原因が「石」で同じような部位にできてるって。
……やだな、変なフラグじゃないといいんだけどな……
でも今回は私の役柄の「高熱だし」がいないから大丈夫かな。
↑
っていいつつ、木曜日ひどい頭痛と肩こりと吐き気で会社を休んでいたんだけどね!
誕生日なのかと思ったら違うし?
阪神が117、東北が311、米テロは911。一時期1が並ぶ日は危ないとかいわれてませんでした?
根拠はないけど。なんかそれで日付覚えてしまいました。
調べてみたら前厄だあー
厄払いしてこようかなあ…
長男くんも大人の仲間入りですか。
20年、長いようで短いですね。あの年は変なことばかりでした。
この2015はへんなことないといいな。
その2か月後に地下鉄サリン事件もおきました。
ニュースのたびに長男が赤ちゃんだった頃を思い出します。
酷い病気をしましたね。熱は苦しいですよね。
私は小学生時代、扁桃腺を腫らして高熱を出していました。
尿道結石も経験しました。短大に入った年。っていうか入学直後。
ストレスのせいだと言われましたが、
大学に入ってストレスから解放されたから発病したのだと思いました。
薬で散らしてしまったので、石は見えませんでしたが
見てみたかったです。^^ゞ
丸底さん最近体調不良ですね。
体調の変わり目なのかも。もしかして厄年とか!?
お大事に。
1995年に発生したというのでニュースでやっていたので20年見たいです。
私ももう一度あのころに戻れたら学生生活やり直したいわ~~
私はその頃、?
17年じゃなかったっけ?
子供が1歳の時凄い揺れて震度4だった。あ~あの頃に戻って子育てやり直したい!
痛風もちですか、気を付けてくださいね。
私も気を付けて飲もう。なんとなく冬はひかえちゃうんだよな。
ウチのおっと痛風持ちだから、結石できる可能性高いかも…あぶない。
おしっこいっぱい出すために、毎日マグボトル+ペットボトル×2本の飲み物持たせてます。
インフルは一応ワクチンやったので、ならない自信はあります(型が違ったらオワリですが)。
こっそりさんも気を付けてくださいね。お散歩もお体冷やしすぎませんよう。
よかったです・・・
今、インフルエンザが流行ってるので、お気を付け下さいます様に!!・・・
・・・尿管結石、相当痛いらしいですね・・・
お父様も、丸底さんも、お体ご自愛下さいます様に!!・・・