tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

『マッシブ・タレント』…類いまれなる才能よ。

2023-04-02 18:56:02 | 映画-ま行

 『マッシブ・タレント』、トム・ゴーミガン監督、2022年、107分、アメリカ。ニコラス・ケイジ、ペドロ・パスカル、シャロン・ホーガン。

 原題は、『The Unbearable Weight of Massive Talent 』(類いまれなる才能の耐え難き重さ、の意)。

 

 重層的、分裂的に、ニコラス・ケイジがほぼ本人ニック・ケイジを演じる、アクション・コメディ。

 まあとにかく、面白かった。劇場で声を出して笑ったのは久しぶり。

 

 いわゆるバディもの(男同士の友情)と家族の物語、そしてスパイ・ストーリーが重層的に展開する。そして「ニコラス・ケイジ・トリビュート」が全編に。その散りばめられ方が可笑しいのなんの。

 でも、ニコケイ映画を全く観たことなくても、問題なく楽しめる。昔観たものを結構忘れている私も、全然関係なく楽しめたので。

 それもこれも、本人以上の本人ファンが全部説明してくれるから。っていうのもまた可笑しい。大ファンであり大富豪のペドロ・パスカルの表情がまたふつふつと笑いを誘う。

 

 ニコラス・ケイジが多額の負債の返済と、実母の高額な介護施設代金を支払い続ける為に、自己破産をせず、B級映画に出演する道を選んだことは、知られている。

「1年に4本の映画を立て続けにこなしていたときも、全力を尽くせるだけの何かを見つけていた。すべての作品がうまくいったというわけじゃない。『マンディ 地獄のロード・ウォーリアー』のようにうまくいったものもあるが、うまくいかなかったものもある。だが、いい加減な仕事をやったことは一度もない。もし、私に関する誤解があるとすれば、この点だ。ただ仕事をこなしていて、こだわりをもっていないという……。私はこだわりをもって仕事をしていた」

(映画.com 記事より抜粋 https://eiga.com/news/20220325/8/ )

 

 

 …私の望みはただ二つ。(二つ?)

 一つは、ニコラス・ケイジが長生きすること。もう一つは、クリント・イーストウッド監督、主演ニコラス・ケイジの映画を観ること。

 微々たるものとは言え、その「類いまれなる才能の耐え難き重さ」(原題訳)に、この「全人類分の一」の期待がまた上乗せされるわけだけど、ニコラス・ケイジが今後とも、その才能に果敢に立ち向かうだろうことは、容易に予想できる。

 

 ※「全人類」は本編からの借用です。

 

 

一筋縄ではいかないバディもの。↓崖ジャンプは怖そうだけど気持ち良い!?

元妻と一人娘。↓そして斜陽のスター、ニック。

右下の「うさぎのぬいぐるみ」は『コン・エアー』(1997年)↓

 

 

 

 


『mid90s ミッドナインティーズ』…不自由から自由へ

2023-02-17 01:34:17 | 映画-ま行

 『mid90s ミッドナインティーズ』、ジョナ・ヒル監督、製作、脚本。2018年、85分、アメリカ。原題は、『Mid90s』。サニー・スリッチ、キャサリン・ウォーターストン、ルーカス・ヘッジズ。

 

 「君と出会って、僕は僕になった」「たちあがれ、何度でも」

 ポスターの、この二つのコピーが、この映画のことをよく表しているように思う。

 

 俳優として活躍するジョナ・ヒルによる、初の監督作品。舞台は1990年代半ばのロサンゼルス。

 

 13歳のスティービーが、自分の新しい世界を見つけ、仲間に触発され成長して行く。

 1983年、ロサンゼルス生まれのヒル監督の、自伝的ストーリーかと思えば、そうでもないらしい。とは言え「あの頃」に向ける(少し距離を置いた)温かい眼差しと、生き生きとした描写が感じられらる。

 

 誰にでもある「あの頃」だが、作品の中の彼らはどうだろう?

 スティービーが「自由でかっこいい」と憧れる年上の少年達にも、それぞれ色々な事情があることが、次第に明かされて行く。

 スティービー自身もさんざんだ。思えば理不尽なその世界を懸命に生き、愛そうとするスティービーだが、世界はもっと広くバリエーションに富んでいるという事に気がつく。

 

 不自由から自由へ。

 不自由だったのは、スティービー自身の頭の中だった。成長するというのは、そういう事かも知れない。不自由から自由へ。不自由から自由へ。人生とはその繰り返しなのかも知れない。

 みっともない「あの頃」を、それでも愛し、楽しさを見つけ出し、それを原動力にして、次へ、次へと進んで行く。

 そのうち、不自由と感じていた世界も変わって行く。

 

 幼さは、十分に不自由の原因たり得る。体の成長も伴い、誰にでも訪れる一番の冒険という意味で、青春映画はやっぱり面白い。もしかしたら、好きな青春映画のベストワンかも。

 

 「お前が一番ひどい目に遭ってるな。」

 「そんな必要ないのに。」

 

 全編16mmフィルムで撮影。90年代の文化がふんだんに盛り込まれた。心が締め付けられるような感覚と、過ぎた時代への憧憬が入り交じる。

 

 

主演のサニー・スリッチ。↓撮影時は11歳だったとのこと。

スリッチ含め主な出演者は皆プロスケーター。↓初めての演技だった人も。

全米4館公開から、最終的に1200館まで広がったらしい。↓

 

 


『モリコーネ 映画が恋した音楽家』…モリコーネ映画史

2023-01-17 02:17:59 | 映画-ま行

 作曲家エンニオ・モリコーネを知っていますか。

 正直、私は良く知らなかった。

 1950年代末頃から映画音楽の作曲、編曲を手掛け始め、生涯で500本以上の映画に携わる。1987年、『アンタッチャブル』(ブライアン・デ・パルマ監督)でグラミー賞受賞。2007年、アカデミー賞名誉賞受賞。2016年、『ヘイトフル・エイト』(クエンティン・タランティーノ監督)でアカデミー賞作曲賞受賞。

  1928年11月10日、ローマで生まれ、2020年7月6日、ローマにて逝去。 

 

 1989年の『ニュー・シネマ・パラダイス』から長く、深く親交を結んだトルナトーレ監督が、生涯の仕事、そしてモリコーネという人を描き出した。

 

 身振り手振りを交え、饒舌に語るインタヴューで、モリコーネは「絶対音楽と応用音楽(映画音楽のような)」の狭間における葛藤を語っていた。正統で伝統的な音楽を学んできた彼が、映画やテレビの仕事をするようになったきっかけは、生活の為だったかもしれない。同僚に馬鹿にもされたし、師を裏切っているのではないかと悩むこともあった、と言っていた。音楽の世界は良く分からないが、音楽はそれだけで完結する芸術である、という誇りというか、言い分は分からないでもない。

 

 それとは別に、「映画的なウソ」というものがある。

 「ウソ」というと一般的にネガティブな感じがするが、「映画的な」が付くと、途端にそれは一転する。それは、観る者の心を震わせる為の演出であり、希望であり、真実であり、美しさ、正確さ、慈しみ、喜びと恍惚の源にもなり得る。

 巨匠モリコーネは、いわゆる「映画的なウソ」のようなものに巧みだったんじゃないか。 

 

 新しいものを恐れず、自身の音楽も進化し変化させ続けた気質は、脚本や登場人物の醸し出す世界観に、新しい旋律、新しい音、もう一つ音楽的な「ウソ」を付け加えるという冒険を楽しむことが出来た。

 何にせよ、脚本にインスパイアされて音を作り出すということにおいて、脳内の回路が何の抵抗もなく開かれている。それが天才というなら、そうなんだと思う。

 

 もう一つ、イタリアというのは、どんな国なんだろうか。それも気になった。

 1960年代のマカロニ・ウエスタンも、もっと観たくなった。若かりし日のクリント・イーストウッドを拝みに行こう(笑)

 それから、そうだ、若かりし日のロバート・デ・ニーロも拝みに行こう。

 

 

 『モリコーネ 映画が恋した音楽家』、ジュゼッペ・トルナトーレ監督、2021年、伊、157分。原題は、『Ennio』。

 

エンニオ(左)とトルナトーレ監督。↓シーン1のテイク1。ドキュメンタリーの撮影開始。

作曲風景。↓楽器を使わない脳内スタイルです。

 

 

 


『メタモルフォーゼの縁側』…好きのパワーは素晴らしい

2022-07-10 20:43:25 | 映画-ま行

『メタモルフォーゼの縁側』、狩山俊輔監督、2022年、日本、118分。

宮本信子、芦田愛菜、高橋恭平、古川琴音、生田智子、光石研。

 

最近戦闘機とか戦場とか、そんなのばかり観ていたので、何だかほっとする映画だった。

 

メタモルフォーゼとは…変化、変身の意。(Wikipediaより)

どうしてそんな、ちょっと大仰な言葉が使われているのかは、本編を見ただけでは分からなかった。原作を読んでないからかな。

 

共通の趣味の「BL漫画」の事を縁側で語り合う、17歳と75歳の二人。

宮本信子さんの存在感に芦田愛菜ちゃんが全く負けていなくて、驚いた。愛菜ちゃんが全力で走るシーンくらいから、すっかりファンになってしまった。

 

コミカルな雰囲気も漂わせるこの作品。登場人物が皆普通の人で良かったな。極端に素晴らしい人も、極端に憎らしい人もいない。

同級生のクラスのアイドル的存在の女子を勝手に意識して、つんけんする主人公うららの気持ちも分からなくもない。自分の目標に向かって何のてらいもなく真っ直ぐに進み、好きなものを堂々と好きと言い、何のコンプレックスも無さそうに見える、アイドル的女子。

そりゃ羨ましいわ(笑)

 

縁側文化を描くのかと思いきや、そうでもなく、団地文化を描くのかと思いきや、そうでもなく、売れっ子漫画家生活を描くのかと思いきや、そうでもなく。

世代も性別も超えた「好き」のパワーを、端々まで笑いと涙を交えて見せてくれた作品でした。

 

愛菜ちゃ~ん。と、観た人は終映後に一度は心の中で呼んだはず。

 

原作は、鶴谷香央理さんの漫画、『メタモルフォーゼの縁側』(全5巻)。

「このマンががすごい!2019 オンナ編」第一位、を始めとして五つの賞を受賞。

 

 

 

 

 

 


『MUD ーマッドー』

2014-04-30 08:28:04 | 映画-ま行

 ジェフ・ニコルズ監督、マシュー・マコノヒー、タイ・シェリダン、2012年、アメリカ。
 2012年カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品、2014年インディペンデント・スピリット賞、ロバート・アルトマン賞。



 ご都合主義的なところは、寓話の形をとらない寓話なのだから、それでいいと思う。だから楽しいということもある。
 じゃあ何が描かれていたかと言えば、私の印象に残ったのは、「男-愛」である。男愛。男同士の愛情というか。友情なんだろうか。


 
 舞台設定が好きだ。ミシシッピー川流域の田舎町。都市部を映せば、とたんに画面は淋しくなる。どこにでもあるような、何の変哲もない、がらんとした田舎の町。それが主人公らの住む河岸に目が移ると、湿度や光や闇が復活し、南部の鬱蒼とした森、蛇、魚や貝を獲り売る人々、木の上のボートまである。

 この映画では、外へ出て行こうとするのは男ばかりだ。
 追われて国外へ逃げようとする男、すでに河岸の生活という外部に出てきた男、年齢という秩序を越えようとする男。中洲への冒険。
 それに対して、女は既存のシステムを破ろうとはしない。むしろそれを望み、安住しようとする。

 それがどういう意図なのか分からないけど、そういう映画だった。 
 私は男でもないし、少年でもないけれど、この映画は好きだ。



         

 

『メコンホテル』

2014-01-30 22:12:07 | 映画-ま行
 アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の、『メコンホテル』を観た。

 ラスト・シーンは、いつまでも見ていたかった。たぶん飽きないと思う。まだまだ見ていたかった。
 メコン川を斜め上から遠景に映したシーンで、黄土色の大きな川が緑に縁どられてゆったりと流れている。ほとんど動きはないけれど、小さな船が動いていて、幾人かの小さな小さな人が、水上バイク(たぶん)に乗って水面を行き来している。

 一つ一つのシーンは、物語の緩やかさに比べて、絵画の構成のように秩序立っている印象。

 それまでの物語がなければ(物語があればだけど)、ラスト・シーンはこういうシーンにはならなかったはずだし、こんなに惹かれることもなかったんだろう。クリント・イーストウッド監督の『グラン・トリノ』(2008年)も同じく、ラスト・シーンをいつまでも見ていたかった。こちらも斜め上からの情景。物語に終わりがない。ただし『グラン・トリノ』の余韻に比べて、こちらは余韻でもない。唐突に現われるのだ。ずっと流れていたし、ずっと流れている川が映っているのにすぎない。唐突に現われて、時間の流れを示唆する。

 カンヌ映画祭のパルム・ドールを受賞した『ブンミおじさんの森』(2010年)と同じように(この2本しか観ていないけれど)、双方とも登場人物の語りがとても穏やかで、風通しが良くて心地良かった。


 タイ・イギリス・フランス、2012年。

  ブンミおじさんの森 スペシャル・エディション [DVD]

『メキシカン・スーツケース <ロバート・キャパ>とスペイン内戦の真実』

2013-09-26 20:27:45 | 映画-ま行
 この映画が一番伝えたかったことは、何だろう?

 若きロバート・キャパ、ゲルダ・タロー、デビット・シーモアの足跡か。スペイン内戦と移民となった人々、その子孫と現在か。

 パリの暗室から消え、70年振りにメキシコで見つかった、「メキシカン・スーツケース」とネガ4,500枚は、どのような経路を辿り、どのような人々の思いを浸み込ませ、そして完璧な状態で見つかったのだろうか。発見から1年後に亡くなった弟のコーネル・キャパは、何を言ったんだろう。今後の保持者のICPが、その膨大なネガをどのように扱い、解き明かして行くのか。はたまた解き明かさないのか。

 色々なことがスクリーンの上で語られたにもかかわらず、何だか色々なことが謎めいている印象。

 スペイン内戦は1936年から1939年、フランコ政権から王政に変わったのが1977年、2008年「歴史の記憶法」可決ということ。
 今でもスペインでは、内戦について語ることはタブーに近いらしい。たぶんスペインの人にとっては、血なまぐさくて、とても生々しい映画なんだと思う。

 ロバート・キャパに興味があって観に行ったけれど、他のことを考えさせられた映画だった。

 トリーシャ・ジフ監督、2011年、メキシコ・スペイン。


       

『まひるのほし』

2013-09-16 14:27:25 | 映画-ま行
 佐藤真監督の『まひるのほし』を観た。

 1998年の作品で、『阿賀に生きる』につづく、監督第二作目ということ。知的障害者アーティスト7人を追ったドキュメンタリーだ。NHK「みんなのうた」で同題の唄も作られ、流れていたらしい。全然知らなかったけど。

 映画の半分くらいは、楽しい。
 アーティスト達が実に楽しそうに作品を創っているのを見て、こちらも心柔らかく弾む気持ちになる。
 色々な個性があって、率直な意思をあっけらかんとカメラに向かって述べられたりすると、私はにやりとさせられて、客席のあちこちからは笑い声が起こる。

 半分くらいは、笑えない。
 
 彼らの内なる情熱の大きさには圧倒されて笑えないし、それを表に出すための、表現のためのテクニック、他者の目、自我のあり方、彼らの関係、突然カメラに相対した時の、あの一瞬のひるみ、そしてため息の出るほど鮮やかで、調和した色彩。これらは笑えない。

 当たり前だけど、生活だってある。

 そして障害者と健常者ということを考え始めると、まひるのほしぞらがぐんぐんと広がり始める。白いほしがたくさん白い空に浮かんでいる。


     まひるのほし [DVD]


『メランコリア』

2013-09-09 21:14:51 | 映画-ま行
 この監督の破滅感覚(?)は、何だろう。でも美しく感じなくもない。

 監督自身は「ハッピーエンド」と称しているらしいけど、そうは思えない。でもふとしたら、そうも思えてくる。というほどそこへ向かってちゃんと進行していくから。期待と不安で胸が膨らみまくって、目もぎらぎらとなり瞬きの回数がたぶん減った。そして体育座りになった。

 SF的なものはほとんどない。器械類で出てくるのは、家庭用望遠鏡と、針金で作ったいびつな輪っかだけだった。ある状況での人間の行動がクローズアップされる。キルスティン・ダンストのヌード。キルスティン・ダンストはカンヌ女優賞を受賞した。上品な狂気とか、洗練された狂気とか、気怠いとか。そんな感じです。

 ラース・フォン・トリアー監督、2011年、デンマーク。

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『魔女と呼ばれた少女』

2013-05-24 20:47:10 | 映画-ま行
 主演の、コモナ役の女優さんがすばらしく、とても印象的で、彼女の表情から目が離せなかった。ストリート・チルドレンだった少女を監督が見つけ出したということだ。何て言うんだろう。そうだ、シンプルだ。単純なんではなくて、大人と子供が同居しているような感じだった。少し口を開いて、空を見上げる間にも、あらゆる感情が呑みこまれてそこに立っているとでも言うようだった。

 役柄のコモナは、苛酷な状況のすべてにおいて、理解しベストを尽くす。自意識の物語ではなくて、魂の物語だ。
 脈々と繋がっている一本の綱のようなものを、彼女は決して手放さない。あれほどの苛酷な状況の中で。

 決然とした意志と言うよりも、柔軟さの方が私には魅力的にうつった。柔軟な魂が翻弄されながらも、前に進むことをやめない。やめられない。悪夢も、亡霊も、なぜか彼女はどうしたらよいのか知っているのだ。

 アフリカの(コンゴ民主共和国らしい)、拉致され少年兵になった少女の物語。
 キム・グエン監督、2012年、カナダ。第62回ベルリン国際映画祭、銀熊賞(女優賞)。

 彼女をもう一度観たいな。