tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

物が多い、物が少ない

2020-06-28 22:33:54 | 物に悩まされない生活
 さて私なりの新しい生活様式。目指すは「物に悩まされない生活」だ。


 「物に悩まされない生活」と言っても、とてもアバウトなもので、たとえば家中に物があふれかえっていても、気にならない人には気にならない。

 え、何で?

 と思うかもしれないけど、別に不思議はなくて、その「物」たちは、その人の管理下にないからだ。
 管理下になければ、意識の中にも入って来ない。
 逆もまたしかり。
 意識上になければ、管理しようとも思わない。

 それで言うと、他人の家や旅先の市場のあふれんばかりの「物」たちは、自分の意識の自由な広がりを、決して邪魔するものではないのである。
 究極を言えば、その瞬間、その瞬間、意識がゴツゴツと何かにぶつかったりせず、自由にのびのびとあれば、それで良い。

 それが「物に悩まされない」というイメージ。


 ただやっぱり身の回りに物が多いと、動きが不自由でぶつかったり、探し物をするはめになったり、色々気にもなるので、私は物は少ない方が良い派。

 (残念ながら私には、目の前の「物」から完全に意識をはずしきるという集中力を、持続し続けることは出来ない。)


 だったら、必要最低限、物が少ない方が良いかと言うと、こだわり過ぎると、それはそれで気に病むこともあるかもしれない。

 だから、物は多くても、少なくても、まあどっちでも良い。
 ちょっと多いかなと思ったら処分したらいいし、持ってることを楽しむ余裕があるなら、楽しめばいい。そう言っちゃったら、元も子もないけど(笑)

 意識が自由に飛び回り、広がり、楽しんでいる状態。
 あと、体の心地よさ。
 それが、自分にとっての「丁度良い」。
 本当の問題は、物量じゃない気がする。


 結論。

 「物に悩まされない生活」とは、「丁度良いの発見の旅」だ。
 
 物量の調整も大事だけど、それとともに、常に「丁度良い」を発見し続けるという能力を、ここで身につけよう。






物に悩まされない生活

2020-06-15 11:14:11 | 物に悩まされない生活
自分はどんな生活がしたいのかなと、理想の生活をふと考えてみたところ、
「物に悩まされない生活」がしたいなと思った。

コロナは関係ないので、いわゆる「新しい生活様式」とはちょっと違うかもしれないけど、
まあ自分なりに新しい生活様式なのである。


ミニマリズムに似てるかもしれないけど、多分ちょっと違う。
(そもそもミニマリズムをそんなに知らない。)

物が多くても悩まない、物が少なくても悩まない、それが理想。



「好きな物」「心地よい物」だけを残すというのは、お片付けのセオリーだ。

かのウィリアム・モリスさんは、こう言っている。
「役にたたないもの、美しいと思わないものを、家に置いてはならない。」

ただしですよ。よく見てください。

that you do not know to be useful or believe to be beautiful

自分英語は全然堪能じゃないけど、言ってるよね。
ノウって、ビリーブって。

「役に立たないもの」ではなくて、「役に立つと(自分が)思わないもの」、
「美しくないもの」ではなくて、「美しいと(自分が)思わないもの」と。



全て自分で選んでいい。

別にモリスさんの言うことを聞く必要はないけれど、
達人の足跡を追うとしたら、
注目すべきは、「自分で選べ」なのである。

「誰かにとってだけ」役に立つもの、「誰かにとってだけ」美しいものは、
自分にとっては不要である。

モリス師匠はそう言っている。多分。

もちろん、誰かにとっても自分にとっても、というものはあるけど。


この地球で人間として生活していれば、
最低限の衣食住は必要で、そこから物とのつきあいが始まる。

先祖代々、私たちは色んな物を所有してきたけど、
ラッキーだなと思うのは、
今の時代、すっごくミニマルですっごくシンプルな形で、
快適な生活が出来てしまうということだ。

物だけではなくて、
社会通念や社会システム、個人の考え方も、
シンプルになって行ってるのかな。

あれをやらなければいけない、これをやらなければいけない、
もどんどん減ってくるんだろう。

ああでなければならない、こうでなければならない、
もどんどん減ってくるんだろう。


今の自分にミニマルに。
自分じゃない誰かを肩からはずそう。

ということで、「物に悩まされない生活」第一日目。