tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

『コーダ あいのうた』…世界の絡み合いかた

2023-01-30 22:20:01 | 映画-か行

 『コーダ あいのうた』、シアン・ヘダー監督、2021年、112分、米・仏・カナダ合作。原題は、『CODA』。

 エミリア・ジョーンズ、トロイ・コッツァー、マーリー・マトリン、ダニエル・デュラント。

 2021年サンダンス映画祭、グランプリ(ドラマ部門)、観客賞(ドラマ部門)受賞。第94回アカデミー賞、作品賞、脚色賞(シアン・ヘダー)、助演男優賞(トロイ・コッツァー)受賞。

 

 

 フランス映画、『エール!』(2014)をリメイクした本作。ファンタジックなコメディ感を纏い、視覚的効果も美しい同作品に比べ、今回の『コーダ』は、テーマ性を少し強く押し出した感じだ。

 ヘダー監督が脚本も担当し、アカデミー賞脚色賞を受賞した。(実際は始めに脚本を担当し、その後監督のオファーを受けたとのこと。)

 

 軽妙洒脱なフランス映画と、テーマ性重視のアメリカ映画。ということなのか、誰かの好みなのか分からないけど、どちらにせよ両作品とも、涙を滲ませずには観られないのだった。

 (以下、ネタバレお気をつけください。)

 

 

 さて「CODA(コーダ)」とは、聴覚障害者の親をもつ聴者のこと。「Children of Deaf Adults」の略。(Wikipediaより)

 主人公である高校生のルビーは、マサチューセッツ州のとある漁村で、両親と兄と共に暮らしている。ルビーだけが耳が聞こえる。早朝は漁師である父と兄と共に漁へ。海では作業と共に、ろう者である二人の代わりに無線の対応をし、帰港すると、取引の交渉を担当する。また日々、聴者と家族達の間の通訳を任されている。

 始めに物語が動くのは、ルビーの高校でのパートだ。作品中では、家族との生活と、学校生活のパートが交互に描かれる。

 しかしそのうち、ルビーのみならず、家族それぞれにも変化が訪れることになる。

 

 新しい世界へ力強く足を踏み出そうとする、兄。踏み出しかけるが、躊躇するルビー。知らない世界に不安を感じ、今ある家族の秩序と平和を維持しつづけようとする両親。

 しかしそんな両親にも、やむない形で変化が訪れる。国の視察をきっかけに、漁村全体が揉め始める。そして彼ら自身は出漁禁止を食らってしまうのだ。

 

 

 面白いのは、それぞれの世界が絡み合いながら、広がって行くことだ。

 円と円が少し重なっている図がある。あんな感じで、少しずつ重なり合いながら各円が広がって行く。家族だけではなく、漁村の漁師仲間達の世界も、この家族の勇気と行動をフックにして、広がって行く。

 ルビーも「歌」という自分の新しい世界を見つけるが、しかしそれは家族と重なり合わない。自分のこれまで生きてきた世界とも重なり合わない。そのことに対する怒りと諦めと焦燥と、不安が描かれる。

 

 水平方向へ広がっていた世界が、深化するのが終盤だ。

 夜の庭先で、「俺のためにもう一度、合唱会での歌を歌ってくれるか?」と父はルビーに頼む。ルビーが歌い出すと、耳の聞こえない父は、彼女の喉の震えを指で感じ取ろうとする。最初は右手の指をそっと添え、それから両手を使い、彼女の喉を包み込むようにする。その父の手を歌いながら握りしめるルビー。

 

 ここで私達は、重なり合わない部分を見るのをやめる。

 

 「ここで見る星は、海で眺める星ほどキラめいてないな。」父の台詞で初めて、私達観客は、海上の星空を見上げ、同時に深く深く暗い海の底を意識する。

 水平に広がろうとしていた意識が、空と海の深度を得て、初めて垂直に解放される。

 

 

 その解放感に涙しないなんてことがあるだろうか。

 円と円の、重なり合った部分の底なしの深度を見せられて、涙しないなんてことがあるだろうか。

 少なくとも私は、耐えきれなかった。(耐えていたわけではないけれど)

 

 

 その後ラストはどうなるの?勿論、ハッピーエンドである。ハッピーエンド派の私としては、それもこの映画が好きな理由の一つである。

 

 

ロッシ家の皆さん。↓座右の銘「家族は仲良く」。この言葉の裏表も深い。

ルビーが合唱部に入るきっかけとなるマイルズと、特訓をしてくれるV先生。↓

「くそ兄貴」のレオ。↓全然くそではなくて(笑)家族を牽引する役割を担う。

アカデミー賞獲りました。↓

元作品の『エール!』↓エリック・ラルティゴ監督、2014年、105分、仏。原題は『La famille Belier』(ベリエ家)。

 

 

 


『モリコーネ 映画が恋した音楽家』…モリコーネ映画史

2023-01-17 02:17:59 | 映画-ま行

 作曲家エンニオ・モリコーネを知っていますか。

 正直、私は良く知らなかった。

 1950年代末頃から映画音楽の作曲、編曲を手掛け始め、生涯で500本以上の映画に携わる。1987年、『アンタッチャブル』(ブライアン・デ・パルマ監督)でグラミー賞受賞。2007年、アカデミー賞名誉賞受賞。2016年、『ヘイトフル・エイト』(クエンティン・タランティーノ監督)でアカデミー賞作曲賞受賞。

  1928年11月10日、ローマで生まれ、2020年7月6日、ローマにて逝去。 

 

 1989年の『ニュー・シネマ・パラダイス』から長く、深く親交を結んだトルナトーレ監督が、生涯の仕事、そしてモリコーネという人を描き出した。

 

 身振り手振りを交え、饒舌に語るインタヴューで、モリコーネは「絶対音楽と応用音楽(映画音楽のような)」の狭間における葛藤を語っていた。正統で伝統的な音楽を学んできた彼が、映画やテレビの仕事をするようになったきっかけは、生活の為だったかもしれない。同僚に馬鹿にもされたし、師を裏切っているのではないかと悩むこともあった、と言っていた。音楽の世界は良く分からないが、音楽はそれだけで完結する芸術である、という誇りというか、言い分は分からないでもない。

 

 それとは別に、「映画的なウソ」というものがある。

 「ウソ」というと一般的にネガティブな感じがするが、「映画的な」が付くと、途端にそれは一転する。それは、観る者の心を震わせる為の演出であり、希望であり、真実であり、美しさ、正確さ、慈しみ、喜びと恍惚の源にもなり得る。

 巨匠モリコーネは、いわゆる「映画的なウソ」のようなものに巧みだったんじゃないか。 

 

 新しいものを恐れず、自身の音楽も進化し変化させ続けた気質は、脚本や登場人物の醸し出す世界観に、新しい旋律、新しい音、もう一つ音楽的な「ウソ」を付け加えるという冒険を楽しむことが出来た。

 何にせよ、脚本にインスパイアされて音を作り出すということにおいて、脳内の回路が何の抵抗もなく開かれている。それが天才というなら、そうなんだと思う。

 

 もう一つ、イタリアというのは、どんな国なんだろうか。それも気になった。

 1960年代のマカロニ・ウエスタンも、もっと観たくなった。若かりし日のクリント・イーストウッドを拝みに行こう(笑)

 それから、そうだ、若かりし日のロバート・デ・ニーロも拝みに行こう。

 

 

 『モリコーネ 映画が恋した音楽家』、ジュゼッペ・トルナトーレ監督、2021年、伊、157分。原題は、『Ennio』。

 

エンニオ(左)とトルナトーレ監督。↓シーン1のテイク1。ドキュメンタリーの撮影開始。

作曲風景。↓楽器を使わない脳内スタイルです。

 

 

 


『THE FIRST SLAMDUNK』…コンマ何秒のリアル

2023-01-11 20:52:35 | 映画-さ行

 原作の『SLAM DUNK(スラムダンク)』(1990-1996 週刊少年ジャンプ)も読んでいないし、アニメ(1993-1996 テレビ朝日)も見ていないので、どうしようかなあと思っていたが、解禁されたという予告を見たら俄然見たくなってきて、昨日とうとう見に行った。

 

 とは言え超絶人気マンガだったからか、実はぼんやり知っていたみたい。知っていることを忘れていたけど、YouTubeで予習をしたら思い出した。

 予習した動画はこちら↓

【スラムダンク①】史上最高のバスケットボール漫画〜魂の授業〜

【スラムダンク②】激突!湘北vs山王工業

 中田あっちゃんの熱い授業にはほんと感謝感嘆するばかり。これが面白くて満足しちゃって、そのまま年を越したのだった。

 

 その後、熱いスラダンファンの旦那(映画は既に鑑賞済)が、実家から漫画の入った古い段ボールを持ってきたり、義弟が熱く推しているのを見ているうちに、先の予告動画がチラッと目に入った。

 

 時は来たり。(?)

 

 予習は万全だ。しかも実は、自分でも驚くが、中学時代はバスケ部だったのである。

 

 

 平日のレイトショーで、ガラガラという訳でもなく、満席という訳でもない。丁度良いあんばいの観客数だった。

 ・・・いやあ、面白かったなぁ。

 

 何が凄いって、試合シーンの臨場感が凄かった。

 

 宮城リョータの、コンマ何秒のフェイントが分かる。

 速すぎて目では捉えられないけど、感じられるのだ。人物達の肉感やボールの重さ、スピード感。視界。ぶつかり合って押し合っている時の、相手の骨と筋肉の硬さ。抗力。これに息づかいまで加わって、実写でもこのリアルさを感じさせることは出来ないんじゃないか。そう思ってしまった。

 総時間一時間弱の一つの試合と、ポイントガード宮城リョータの回想が、この作品の中身である。

 

“__もう一回『SLAMDUNK』をやるからには新しい視点でやりたかったし、リョータは連載中に、もっと描きたいキャラクターでもありました。3年生はゴリが中心にいて、三井にもドラマがあるし、桜木と流川は1年生のライバル同士。2年生のリョータは間に挟まれていた。そこで今回はリョータを描くことにしました。”

(同作品パンフレット・監督インタビューより抜粋)

 

“__(略)その中で、自分が歳を重ねるにつれてキャラクターたちをとらえる視点の数も少しずつ増えていく。
こいつはこんなヤツだったのか、こんなことがあったのかと、いろいろな視点が浮かんで、その度にメモが少しずつ増えていきました。更新されてきました。昔、30年前には見えなかった視点もあれば、連載中からあったけどその時には描けなかった視点もあります。”

(井上雄彦「つれづれの記/2022.10.20 THE FIRST」より抜粋) https://itplanning.co.jp/inoue/i221020/

 

 試合シーンの濃密さに比べ、回想シーンは台詞も少なめで、淡々と描かれた印象だった。

 その分、劇中、観客の焦点は無闇にブレることがない。ボールを運ぶ、人物達の一瞬一瞬の動作や判断が無言で切り開かれていくような、まるで流れる解剖学のような、重層的な絵を見ているような気分になった。

 

 アニメというとSFファンタジーが多い中、内容はとても土くさいアニメだ。

 またコメディ部門は花道くん一人が担う形。 

 

 程よく埋まった座席で鑑賞していたら、同点ゴールの後、数秒の空白の時間に、前の方から声が聞こえた。

 「入った……!」

 劇場を出てから、思わず声を漏らしたんだね、と隣で二回目の鑑賞をしていた旦那に言うと、「ガッツポーズもしていたよ」とのこと!

 音楽や音の緩急も、スクリーンを盛り上げ夢中にさせてくれた。

 

 これが日本の3DCG、スポーツアニメーションの最高峰。世界中の人に体感してほしいと、何だかそう思った。原作を知らない人も、知ってる人も、私のような半端に知ってしまった人も、これだけ夢中に楽しませることが出来る作品はそうないことだと思う。ストーリーの秒読みの緊迫感、作画の技巧、アニメーション技術の動きの力強さ。そして、刹那的な透明感が素晴らしい。

 

 

 『THE FIRST SLAMDUNK』、井上雄彦監督、原作、脚本。2022年、124分。東映アニメーション、ダンデライオンアニメーションスタジオ。

 


『博士と狂人』…「私達の頭の中は空より広い」byマイナー

2023-01-09 01:15:03 | 映画-は行

 『博士と狂人』、P・B・シェムラン監督、2019年、124分。英・アイルランド・仏・アイスランド合作。原題は、『The Professor and the Madman』。

 メル・ギブソン、ショーン・ペン、ナタリー・ドーマー、エディ・マーサン、スティーヴ・クーガン。

 

 原作はベストセラー・ノンフィクション、サイモン・ウィンチェスター『博士と狂人_世界最高の辞書OEDの誕生秘話』(1998)。

 

 

 実話もの。かのオックスフォード英語辞典(OED)の編纂に生涯を賭けた男と、初期のボランティアとして多大な貢献をした男の物語。

 

 タイトルからも分かる通り、辞典編纂という大事業は横糸で、縦糸で二人の男の肖像を描く。

 それぞれの人と為り、心情、境遇など、二大俳優の共演でなかなか見応えのある2時間だった。

 

「単語の定義はまず、最初に書かれた引用文で始めます。言葉の意味は年月と共に微妙に変わっていく。あるニュアンスを失ったりつけ加えたり、足跡を残しながら少しずつ変化するのです。英語という言語の壮大な多様性の中で、その全てを追い求め、見つけ出し、あらゆる言葉を網羅する。すべての世紀の本を読むことで、この偉業を成し遂げる。」

 

 膨大な作業の中で、「引用の募集」を始めたマレーは、出版される本という本に手紙を挟む。

「イギリス帝国全土とアメリカで__英語を話す人々へ。辞書作りのために本を読み、引用を送ってください。」

 

 刑事犯用精神病院に拘禁される中、マイナーはその手紙を見つける。

 

 私には、このシーンだけで十分だ。

 強迫的な妄想の中で自身を苦しめていたマイナーは、この手紙の文を足がかりに、現実世界へと戻ってくる。言葉の大海の無限の広がりと、生き生きとしたうねりをこの瞬間感じ取ったのはマイナーだけではなく、私もだ。

 色鮮やかに、生きた言葉が深呼吸をして、身振り豊かに一堂に会する。

 芽が育ち木となり、葉が空いっぱいに舞い上がるイメージが一気に頭に広がった。

 あらゆる人から発せられたあらゆる言葉の一片が、瞬間の感情とニュアンスを連れ、または手放して、永遠のシナプスとなり世界を構成する。

 クリスマスの食卓のシーンと同じように、何かとっても暖かかった。

 

 

 ところで、「オックスフォード英語辞典」をネット検索していたら、こんな本を見つけた。

 10歳で単語の収集に魅せられた「単語コレクター」の著者は、とうとうOEDを読むことにし、そして成し遂げたらしい。

 とりあえず、出版元による「内容紹介(一部抜粋)」(https://www.sanseido-publ.co.jp/publ/gen/gen4lit_etc/oed_yonda/)を読んでみたところ、彼は1000冊の辞典を所有していて、10年前、初めてウェブスター新国際英語辞典第二版を完読した際には、

“結果、僕の頭は単語でいっぱいになってしまい、簡単な文さえ口に出すのが難しくなり、さらに、口から出る言葉は、聞き慣れない単語の変てこりんな組み合わせになってしまった。僕は、「ああ、なんて素晴らしいことなんだ!」と思い、早速その続き、『ウェブスターの第三版』(正式名称は、『ウェブスター新国際英語辞典第三版』Webster’s Third New International Dictionary of the English Language Unabridged)を買いに出かけた。”

 というから驚きである。

 

 作る人がいれば、読む人もいる。辞典の使い方も人それぞれなのだった。

 

 

メル・ギブソンとショーン・ペン↓メル・ギブソンの抑えた演技がショーンを引き立てた。

作中の編纂室。↓1857年に始め、完成したのは70年後の1928年。マレーは1915年に完成を待たず亡くなったそう。

この二人にもありがとうと言いたい。↓「言葉の翼があれば世界の果てまで行ける」byマイナー

イギリス帝国が世界で覇権を握っていた時代。時代背景も結構重要な要素です。