tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

養老孟司 『無思想の発見』、『あなたの脳にはクセがある 「都市主義」の限界』

2014-02-06 20:09:55 | 
 養老孟司の、『無思想の発見』(ちくま新書2005年)と、『あなたの脳にはクセがある 「都市主義」の限界』(中公文庫2004年)を読んだ。

 
 他の文章にもたびたび出てくるんだろうか、著者が体験した終戦時の「教科書の墨ぬり」の話が、両方の本のところどころに出てくる。
 抜き書きすると、

  *
 なぜなら、昭和二十年八月十五日に、私は「だまされた」と思った世代だからである。本土決戦、一億玉砕で、さもなければ戦争は勝つと教えられており、なんとなくそう信じていた。それが、
「戦争に負けたらしいよ」
という叔母の一言でひっくり返った。小学校二年生の子どもだから、戦争に直接の関係はない。自分ができることはなにもないという状況で、信じていたことが百八十度違うと知ることくらい、
「なにを信じるか」
を考えさせる体験はない。それにダメを押したのは、先生にいわれて、教室でそれまで使っていた教科書に墨を塗った体験である。そこまでやれば、なにかを信じるどころの騒ぎではない。だから、
「すべては自分の所業だ」
という時点から、人生を始めるしかなかった。周囲にどう思われようと、すべてが自分のやったことであるなら、非難されても仕方がないし、誉められてもどうということはない。それこそが「ただの自分だ」ということだからである。そこになにか、他人のすることが混ざってくれば、私はまさに、
「どう考えたらいいか、それがわからない」
という状態になる。そう思うと、ソニー、ホンダ、松下の技術者たちにも、
「私と同じ気持ちがあったんじゃないか」と疑うのである。機械を作るということは、そこにはウソがないということだからである。(~略~)
(『無思想の発見』p.185~186)
 *

 著者は解剖学者だが、「解剖がいちばん安心だったから」解剖を選んだと説明されている。「患者さんがそれ以上死ぬ心配はない。」

  *
 なぜなら、解剖では、自分の目の前にあることがすべて「自分のしたこと」だったからである。商売であれ、臨床医であれ、お客や患者という、相手がある。相手は相手の都合で勝手に変化する。ところが解剖する相手は変わらない。変わったとすれば、私が手をつけたからであり、私が手をつけた分だけ、相手が変わる。私のしたことと、外に現れる結果とが、まったく一致している世界が解剖なのである。
「どうしてそれが安心なんだ」
と訊かれるであろう。すべて自分のしたことであれば、すべては自分の責任である。そこでは他人のせいにする部分はなにもない。それが安心なのである。
(同上、p.185)
  *

 このあと、先述の抜粋部分につながっていく。

 「ウソがない」もの、確実なものに惹かれ、求めてきた著者は、「感覚世界」に拘る。「感覚世界」は著者によれば「五感でとらえられるもの」という。著者にとっては、生物の「脳」は、匂いも手触りも重さもある物質である。ちなみに脳を手に取ったことのない私にとっては、「脳は物体」ということ自体が、分かるようでいて、すでに想像の産物にとどまる。「脳という物体」を知りつくす著者が、その人間の脳が生み出す、「概念世界」(「感覚世界」と補完関係にあると説明される)、脳化社会、思想、都市主義(脳化は都市化である)という実体のないものたちを、切って返すようにメスをふるい語るというのが、面白い。脳の属する「感覚世界」、脳の生み出す「概念世界」、私たちは、その双方に股をかけて生きているらしい。

 著者はよくニヒリストだと言われるそうで、そうではないと言うけれども、私もニヒリストだとは全然思わない。むしろ、必死に、クールに、自己肯定にこだわりつづけ、追い求めて、生き抜いてきた世代の一人なんだと感じる。


 「私は、人間が考えたことは、基本的にかならず実現すると思っている。」(『あなたの脳にはクセがある 「都市主義の限界」』p.113、「考えているかどうか」を考える)

 ここだけ切り取るのもどうかだけれど、この一文が印象に残った。その恐ろしさも含めて。しかしなんとも希望に満ちたことばではないか。

 『脳内ニューヨーク』という映画があった。あちらは、脳の外へ出ることが出来ず、身体も脳内で朽ち果てた。もちろん脳も朽ち果てた。
 脳が手のひらにのるような小さな物体なら、その中で身体が朽ち果てることはない。考え抜かれたものが、外へ出て、現実になる。そのような世界で、身体は涼しい風に吹かれる。熱風の名残りの中で、夕陽を見たりする。夏を思い描いても、まだまだ夏にはならないけれど。


  無思想の発見 (ちくま新書)     あなたの脳にはクセがある―「都市主義」の限界 (中公文庫)

猫の本

2013-08-27 01:16:41 | 
 猫の本を5冊、続けて読んだ。(正確にはタイトルに「猫」のつく本。)

 昔猫を飼っていて、飼わなくなってから6年くらい経つ。今はもっぱら野良猫を観察したり、たまに近所の飼い猫に首筋をなでさせてもらったりするだけ。と言っても、この辺りの野良猫社会も移り変わりが激しいし、飼い猫も外に出て来なくなった。最近は閑散としている。野良猫が多ければ良いかと言えば、そうではないけれど、私の住んでるアパートの周りはコの字型の行き止まりになっていて、小さな駐車場もあり、野良猫が迷いこむのには中々向いた造りになっている。

 やっぱり猫には親近感が湧くし、挨拶くらいならわりと上手に出来ると思う。いなくなった猫や、なくなった猫が、たまに夢に出てきたりする。どの猫にもすごく感謝しているし、とても尊敬している。


 一冊目は、
 『私の猫たち許してほしい』、佐野洋子著、ちくま文庫1990年発行。

 もともとリブロポートから、1982年に発行されたらしい。言わずと知れた『100万回生きたねこ』の作者で、あちらは1977年発行なので、こちらが少し後になる。と言ってもこちらはエッセイ。そしてタイトルに猫がつくけれど、猫の話はほんのわずか、主に佐野さんの来し方、少女時代のこと、学生時代のこと、が書いてある。タイトルの「私の猫たち許してほしい」は、猫に見られ、猫を見てきた佐野さんの、愛憎やら憧憬やら距離感やら、言葉にできない様々な気持ちが詰まってるんだと思う。なんて知ったようなことを書いている自分がはずかしい。私も出来れば「私の猫たち許してほしい」と言いたい。


 『猫にかまけて』、町田康著、講談社2004年発行。

 猫好きで知られる町田康さんの、エッセイ。こちらはどっぷりと猫。ご自宅と仕事場にいる猫たちの様子が中心なので、猫と人間の共同生活が微に入り細を穿って描写されていて、とてもたのしい。町田さんはよく猫と会話されている。でもよく見ると、初対面の猫とは会話しない。気心が知れれば、会話する。
 猫にも色んな猫がいて、それぞれ全く違うんだなあと思う。じゃあ共通点は、何なのか。全く別の性格であっても、生物学的特徴以外のところで、「猫」に共通する何かがあるはずだ。やっぱり共通点はあるんです。それは多分人間にも、幾分かは共通している。(と思いたい。)


 『猫だましい』、河合隼雄著、新潮社2000年発行。

 12の物語をとりあげて、そこに描かれた猫と人間の「たましい」の関係について考察したエッセイ。

「 たましいは広大無辺である。それがどんなものかわかるはずもない。従って、何かにその一部の顕現を見ることによって、人間は「生きる」という行為の支えを得ようとする。しかし、他人とほんとうに生きようとする限り、それを超える努力をしなくてはならない。(略)

 猫は、どういうわけか、人間にとってたましいの顕現となりやすい。猫を愛する人は、猫を通じて、その背後に存在するたましいにときに想いを致すといいのだろう。」(最後のページより)

 猫には、何かを投影しやすい。嬉しくもあるし、怖かったりもする。「一部の顕現」とか、「ときに」という言葉は河合先生の配慮だろうか。


 『猫語の教科書』、ポール・ギャリコ著、灰島かり訳、スザンヌ・サース写真、ちくま文庫1998年発行。

 以前実家の母の蔵書(?)から見つかった、70年代から80年代初頭の「暮らしの手帖」のことを思い出した。すごく似てる気がする。恐縮する。猫の婦人が語る、若い猫への指南書で、結構辛辣であった。作者によるたのしい「編集者のまえがき」が付いていて、そこには、「…さらに読みすすむと、これを書いた猫は自分がメスであることをうちあけているが、こんなことはわざわざいわれなくとも、すぐわかる。というのも、この本のあちこちには実に意地悪きわまりない文章があって、こんなものはメスでなくては書けない。」と、あった。意地悪ではなくて、できれば社交的と言ってほしいのだけど。


 『猫のあしあと』、町田康著、講談社2007年発行。

 上段の、『猫にかまけて』の続き。ヘッケがなくなってから後の話。

 家の猫のほかにも、仕事場にはボランティア団体から預かった猫が何匹かいる。このままどこまで猫は増えるんだろう。ちょっと心配になるけれど、横に流れる水のように、猫と著者の時間はゆらゆらと、ざあざあと、ある時は心地よく、ある時は音を立てて流れて行く。実際にはとても大変なこととお察しするけど、著者はそういう風に書いている。
 著者は何回も言う。猫の命は預かりもので、いつか死んでしまうのなら、今日を出来るだけ楽しく過ごしてほしい、天に返さなくてはならないものなら、大切にしなくてはならない、人間の命も預かりものなのかもしれない、そう思えば、今を力の限り一生懸命生きよう、仕事を一生懸命しよう、気力も体力も知力も預かりもので、いつか利子をつけて返すのだ、

 やっぱり最後には泣いてしまった。起き上がって夜中の布団から出てみたけれど、行くところがない。猫もいない。

 

W.サローヤン 『ワン デイ イン ニューヨーク』

2013-08-04 21:34:37 | 
 ブック・オフで、ヘミングウェイ短編集3がないかなと探していたら、こちらが目に入って購入。ヘミングウェイより9歳年下の、サローヤンさんだ。

 元々の原題は、“One Day in the Afternoon of the World”(1964年)。66年に、『人生の午後のある日』というタイトルで訳が出ていて(大橋吉之輔訳、荒地出版社)、今回は『ワン デイ イン ニューヨーク』。

 「初めは『この世の一日、とある午後』と、本書を中年らしく解釈していたわたしも、訳了後は、おいしい水のようなこの一冊を『ワン デイ イン ニューヨーク』と名づけたく、原題といささか変更したことを、サローヤンさんと読者の皆さんに一言釈明いたします。しかし、まさにそうした一冊ではないでしょうか。」

 と、訳者の今江祥智さんがあとがきで仰っている。

 主人公が自分の戯曲のタイトルについて、プロデューサーと言い争うところがあって、面白かった。なんと、『私の金(my money)』か、『キス、キス、キス!』かでもめている。主人公は断固として、『私の金』で譲らないけどね。上記とは特に関係ないけど、思い出した。


 最初の十数ページで、いつの間にか、主人公の人となりやその家族や、周りの環境が分かってしまう。ほとんど会話をしているだけで。ラストの十数ページで、一気にスピードがあがる。それまでの色々な出来事が、一気に収束して行く。このスピード感は気持ち良かった。

 親友との会話、エージェントとの会話、息子との、娘との会話。
 すべて生き生きして面白かったけど、最後の、別れた妻ローラとの会話を抜き書き。

 ※
 「わたしは楽しいときが好き。いまが好き。あとのことは考えたくないわ」
 「いまだってあとと同じなんだよ」
 「何かがほしいとしたら、それを手に入れるためには何かしなきゃならないわけ?」
 「それ以外にないじゃないか」
 「与えられるってこともあるわ」
 「愛情は与えられることもあるさ。ほかのものは違うね。もし愛情じゃ不充分というのなら、満足できるものを見つけることを考えなきゃならんだろ。たとえば、いい芝居の主役をやりたいのに、誰もやらせてくれんとしたら、そいつを手に入れるための一つの方法は、そんな芝居を書くことだ」
 「どんなふうに?」
 「本気なら簡単さ。そうじゃないのなら、違うね。とっても難しいね。おそらく不可能だ」
 「ほしいものを手に入れられるほかのやり方がある?」
 「ないね。自分のほしいものを知らなかったり、はっきりしなかったりなら、要りもせんものを手に入れたり、別の物を手に入れたりする方法はいくらでもあるさ。ただし、自分のほしいものを獲得する道はただ一つ、自分で行ってそれを獲得することだ。君は本当のところ何もほしくはないのかもしれない。とかく、たいていの人がそうなんだよ。それはそれでまた意味もあるんだ」
 「わたしのほしいものが百万ドルだったら?」
 「自分がいま出てるような芝居を書くことさ。あの芝居は百万ドルを当てこんで書かれてるってさっき言っただろ」
 「ほかに百万ドル手に入れられる方法ないの?」
 「二百万ドル持ってる男と結婚するんだな」
 「ほかには?」
 「金持ちの父親を持つこと」
 「ほかには?」
 「ヒット商品を発明して特許をとることだな」
 「ヒット商品って何なの?」
 「わからんよ、でもそれを発明してごらんよ、きっと百万ドル手に入るさ」
 「飲みましょうよ、うんと」と、ローラ。
 「いいや」

 (p.310~p.311)

 ウィリアム・サローヤン著、今江祥智訳、昭和58年、ブロンズ新社。今回は、新潮文庫版(昭和63年)。     

            ワン デイ イン ニューヨーク (新潮文庫)


      

ロバート・キャパ 『ちょっとピンぼけ』

2013-06-14 07:36:07 | 
 冒頭のニューヨークでの場面から、ぐんぐん惹きつけられて、読むのが面白くてたまらなかった。

 キャパの人柄と、明朗闊達な文章があいまって、とても明るい。それからニューヨークからロンドン、北アフリカ、イタリア、パリと、戦争の前線をめぐり、極限の悲惨さと緊張を鼻の先にして、戦争の一隅に針のように刺されるのだ。

 訳者あとがきによれば、ロバート・キャパは、本名はアンドレ・フリードマン、1913年にハンガリーのブタペストに生まれる。
 ユダヤ人であり、祖国独立の後17歳の時、思想的な理由で国を追われる。ベルリンでトロツキーを撮った写真が初めて世に出た後、再びナチスの台頭そしてユダヤ人追放により、今度はパリへ渡る。
 パリでは生活資金は底をつき、商売道具のカメラも手放すことに。友人である日本人芸術家のアパートに転がり込むが、その時キャパを迎え、朝夕の生活を共にした親友が、この本の訳者でもある川添浩史、井上清一の両氏だった。

 1954年、キャパは41歳で亡くなる。インドシナ戦線でフランス軍のジープに乗っていて、地雷に触れた。

 この本では、第二次世界大戦、1942年の夏から1944年の春までの間の、キャパや自身の周囲の兵士や戦場の様子が、そしてピンキィという女性との恋が、語られる。写真論のようなものは一切なく、全てが、酒と賭博が大好きな、そしてキャパ個人の視線によってつづられている。

 キャパは、動いてるものが好きなようだ。

 敵国人でありながら、アメリカ軍属の報道写真家として、身分証明書を手に入れるために、または失わないために、船から船へ乗り移り、落下傘で降下し、銃弾の間を這い、泳ぎ、また大陸から大陸へ、島から島へと自身もひっきりなしに動き回る。
 仕事でもあるけれど、祖国を追われヨーロッパを追われ、「ハンガリー人であるような、ないような」キャパにとって、動いているということが何者であるかの証明のようなものだったんじゃないかと、思えなくもない。自由のはずがない身分と戦乱の中で、キャパはあらゆる知恵と明るさと冷静さと、運命を持って、「戦場カメラマン」としての自分を動かして行った。
 それだけと言えば、それだけだ。
 陽気で率直で勇敢で、決してあきらめないキャパ。焦りや恐怖、悲しみは、どこにしまってあるんだろう。
 すぐにしまってしまうので、どこにあるのか分からないけど。

 静かなるもの。静止したもの。それはようやく再会した入院中の、療養中のピンキィだ。キャパはベッドに貼り付けられた彼女にも、彼女のいないロンドンにも耐えられない。そしてノルマンディ上陸作戦について行くために、そのような理由で、キャパはロンドンを去った。


  抜き書き。

 「やがて、よく気をつけて見ると、みんな、ある一つの兵舎に向かってゆくようなので、私もその方向にしたがうことにきめた。私は、クラブ・ルームに入り絶望的な気持ちで、誰かが話しかけてくれないものかと希った。すると、バーの後ろにいた一等兵が、私に何を飲むのかときいてくれた。私は有難い思いで、みなさんと同じ生ぬるいビールを注文した。私の側にいる若い飛行士、__有名な“空飛ぶ要塞”のヨーロッパ一番乗りの連中は静かで、しかも、おとなしそうであった。彼らのうちのある者は、アメリカの古雑誌を読み、また、ある者はひとりぼっちで、綿々たる手紙を書いていた。唯一の活気は、まわりに群がった連中の背中で隠されてはいるが、部屋の中央の大きなテーブルの上にあるらしかった。」 (p.48 Ⅲ/われ君を待つ より)

 この後キャパは、ルールも分からないトランプ・ゲームに飛び込み、でたらめにぼろ負けしてから、兵士たちの写真を撮る。うちとけたのだ。そしてこの爆撃機隊の、出撃を待つ幾日かの間、ポーカー仲間として過ごす。
 まだまだしょっぱなの、この部分が好きだ。小さな小さなエピソードだけれど、なぜか好きだ。

 「 彼は 私たち家族のものを 友達として扱い ― 友達たちを 自分の家族ときめこんでおりました」

 弟であるカーネル・キャパの言葉の通り、本書のすべての頁にキャパの魅力があふれている。タイトルだって、とぼけている。読み終えた後、キャパがとっくにこの世にいないことを思って胸が切なくなる。
 1956年、ダヴィッド社。文春文庫版は1979年。


   ちょっとピンぼけ

アルベール・カミュ 『最初の人間』

2013-05-12 19:28:03 | 
 アルベール・カミュが1960年に事故死した際に、車の残骸と共に鞄が見つかった。中に入っていた未完の原稿とノートが、『最初の人間』である。34年後の1994年に出版された。

 先月くらいに映画化作品を観たので、映画の中の印象的なシーンや、アルジェリアの景色を思い浮かべながら読めるかと思った。けれど、そんな伴奏は必要がなかった。というよりそんな余裕は(自分に)なかったというのが感想。

 カミュの遺したノートによると、この後に「青年」という見出しの文章が続く予定だったらしい。
 また覚書などによれば、自伝的な要素を削り落とし、アルジェリア移民(フランス人入植者)の移民生活や歴史を掘り下げた、相当にスケールの大きい構想もあったらしい。

 確かに「未完」なのかもしれない。

 未完、ばんざい。

 カミュにとっては不本意なのかもしれないけれど、良かったように思う、少なくとも私にとっては。自伝的要素を削られてしまってはたまらない。こんなにも、幼年、少年時代のことが、くっきりと、鮮やかに描き出されていて、愛着と嫌悪と、体温が感じられた。私は好きだし、そんな小説はとても貴重なのではないかと思った。未完なんて言えない。そもそも、オチだとか意図とは関係ないところで、人間は生きてるじゃないか(多分)。それでも一瞬一瞬が、すばらしく完成されているようだ、と、そう思えた。

 抜粋しておこう。


 「~ そのどろどろした、それと感じられないうねりから、彼のうちに、日を経るに従って、欲望の中でも最も激しく、最も恐ろしいものが生まれてきた。それはまるで砂漠にいるような不安、このうえなく豊かな郷愁、裸一貫と節制へのにわかな欲求、また何者でもありたくないという渇望のようなものであった。」 (第2部 息子あるいは最初の人間、2 自己にたいする不可解さ より)

 「~ 海は穏やかで、生暖かく、濡れた頭の上の太陽も今や軽く感じられた。そして輝かしい光がこの若い肉体を歓喜で満たし、彼らに絶えず大声をあげさせていた。彼らは生活と海を支配しており、世界が与えることのできるもっとも豪華なものを受け取っていた。そしてそれを、まるでびくともしない自分の財産を確信している領主のように、惜しげもなく使っていた。」 (第1部 父親の探索、4 子供の遊び より)


 前後したっていいのである。そうだとしても、面白いし。

 

 新潮社、大久保敏彦訳、1996年。文庫版は2012年発行。

 最初の人間 (新潮文庫)

『地雷を踏む勇気』 小田嶋隆

2013-04-08 21:08:48 | 
 小田嶋隆著、『地雷を踏む勇気』(技術評論社、2011年)を読んだ。ウェブマガジンの「日経ビジネスオンライン」で著者が連載しているコラムの原稿を、まとめたものということだった。

 三部に分かれていて、書かれた時期で言えば、1章目_震災の後、2章目_震災直後、3章目_震災前・と後、という印象だった。実際に日付を見れば前後してるし、章の中の並びも時系列順ではないけど。あくまで読んだ時の印象で。どうしてこういう章立てにしたのかは、書いてないので分からない。


 震災直後の辺りは、なかなか読み進められなかった。読むのがちょっと辛いというか。

 週刊のコラムが元になっているからか、なんだか生々しさがあったのかも。それは文面が感情的だとかそういう事ではなくて、とても理性的で丁寧で、著者自身の思考を追っている、分かりやすくて噛み砕かれた、私にも読みやすい文章なんだけど、…う~ん、たぶん私自身の問題なんだろう。

 震災の直後はずいぶんと、色々な「違い」が、際立って意識された。見解の違い、感覚の違い、状況の違い、立場の違い、国籍の違い、性別の違い。見解の違い、なんていうものじゃないな。やっぱりもっと感覚的な感じがする。何にしても、コラムの中にも出てきた、震災後のあらゆるメッセージ、たとえば「ひとつになろう日本」とは、ずいぶん違う方向だった。たまたま個人的な状況からそうだった、ということかもしれないけど。
 そんな意識を、自分では気づかないフリをして、知らんぷりして振舞っていた。過ごしていた。
 そういうことを、思い出すのかもしれない。

 震災の後は終わってないけど、震災直後は確実に終わっている。小田嶋さんのこの本も、震災の後、に照準は当てられてる。と思う。そう思うと、この章立てがそういう意味を持ってくる。

地雷を踏む勇気 ~人生のとるにたらない警句 (生きる技術!叢書)