養老孟司の、『無思想の発見』(ちくま新書2005年)と、『あなたの脳にはクセがある 「都市主義」の限界』(中公文庫2004年)を読んだ。
他の文章にもたびたび出てくるんだろうか、著者が体験した終戦時の「教科書の墨ぬり」の話が、両方の本のところどころに出てくる。
抜き書きすると、
*
なぜなら、昭和二十年八月十五日に、私は「だまされた」と思った世代だからである。本土決戦、一億玉砕で、さもなければ戦争は勝つと教えられており、なんとなくそう信じていた。それが、
「戦争に負けたらしいよ」
という叔母の一言でひっくり返った。小学校二年生の子どもだから、戦争に直接の関係はない。自分ができることはなにもないという状況で、信じていたことが百八十度違うと知ることくらい、
「なにを信じるか」
を考えさせる体験はない。それにダメを押したのは、先生にいわれて、教室でそれまで使っていた教科書に墨を塗った体験である。そこまでやれば、なにかを信じるどころの騒ぎではない。だから、
「すべては自分の所業だ」
という時点から、人生を始めるしかなかった。周囲にどう思われようと、すべてが自分のやったことであるなら、非難されても仕方がないし、誉められてもどうということはない。それこそが「ただの自分だ」ということだからである。そこになにか、他人のすることが混ざってくれば、私はまさに、
「どう考えたらいいか、それがわからない」
という状態になる。そう思うと、ソニー、ホンダ、松下の技術者たちにも、
「私と同じ気持ちがあったんじゃないか」と疑うのである。機械を作るということは、そこにはウソがないということだからである。(~略~)
(『無思想の発見』p.185~186)
*
著者は解剖学者だが、「解剖がいちばん安心だったから」解剖を選んだと説明されている。「患者さんがそれ以上死ぬ心配はない。」
*
なぜなら、解剖では、自分の目の前にあることがすべて「自分のしたこと」だったからである。商売であれ、臨床医であれ、お客や患者という、相手がある。相手は相手の都合で勝手に変化する。ところが解剖する相手は変わらない。変わったとすれば、私が手をつけたからであり、私が手をつけた分だけ、相手が変わる。私のしたことと、外に現れる結果とが、まったく一致している世界が解剖なのである。
「どうしてそれが安心なんだ」
と訊かれるであろう。すべて自分のしたことであれば、すべては自分の責任である。そこでは他人のせいにする部分はなにもない。それが安心なのである。
(同上、p.185)
*
このあと、先述の抜粋部分につながっていく。
「ウソがない」もの、確実なものに惹かれ、求めてきた著者は、「感覚世界」に拘る。「感覚世界」は著者によれば「五感でとらえられるもの」という。著者にとっては、生物の「脳」は、匂いも手触りも重さもある物質である。ちなみに脳を手に取ったことのない私にとっては、「脳は物体」ということ自体が、分かるようでいて、すでに想像の産物にとどまる。「脳という物体」を知りつくす著者が、その人間の脳が生み出す、「概念世界」(「感覚世界」と補完関係にあると説明される)、脳化社会、思想、都市主義(脳化は都市化である)という実体のないものたちを、切って返すようにメスをふるい語るというのが、面白い。脳の属する「感覚世界」、脳の生み出す「概念世界」、私たちは、その双方に股をかけて生きているらしい。
著者はよくニヒリストだと言われるそうで、そうではないと言うけれども、私もニヒリストだとは全然思わない。むしろ、必死に、クールに、自己肯定にこだわりつづけ、追い求めて、生き抜いてきた世代の一人なんだと感じる。
「私は、人間が考えたことは、基本的にかならず実現すると思っている。」(『あなたの脳にはクセがある 「都市主義の限界」』p.113、「考えているかどうか」を考える)
ここだけ切り取るのもどうかだけれど、この一文が印象に残った。その恐ろしさも含めて。しかしなんとも希望に満ちたことばではないか。
『脳内ニューヨーク』という映画があった。あちらは、脳の外へ出ることが出来ず、身体も脳内で朽ち果てた。もちろん脳も朽ち果てた。
脳が手のひらにのるような小さな物体なら、その中で身体が朽ち果てることはない。考え抜かれたものが、外へ出て、現実になる。そのような世界で、身体は涼しい風に吹かれる。熱風の名残りの中で、夕陽を見たりする。夏を思い描いても、まだまだ夏にはならないけれど。
他の文章にもたびたび出てくるんだろうか、著者が体験した終戦時の「教科書の墨ぬり」の話が、両方の本のところどころに出てくる。
抜き書きすると、
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なぜなら、昭和二十年八月十五日に、私は「だまされた」と思った世代だからである。本土決戦、一億玉砕で、さもなければ戦争は勝つと教えられており、なんとなくそう信じていた。それが、
「戦争に負けたらしいよ」
という叔母の一言でひっくり返った。小学校二年生の子どもだから、戦争に直接の関係はない。自分ができることはなにもないという状況で、信じていたことが百八十度違うと知ることくらい、
「なにを信じるか」
を考えさせる体験はない。それにダメを押したのは、先生にいわれて、教室でそれまで使っていた教科書に墨を塗った体験である。そこまでやれば、なにかを信じるどころの騒ぎではない。だから、
「すべては自分の所業だ」
という時点から、人生を始めるしかなかった。周囲にどう思われようと、すべてが自分のやったことであるなら、非難されても仕方がないし、誉められてもどうということはない。それこそが「ただの自分だ」ということだからである。そこになにか、他人のすることが混ざってくれば、私はまさに、
「どう考えたらいいか、それがわからない」
という状態になる。そう思うと、ソニー、ホンダ、松下の技術者たちにも、
「私と同じ気持ちがあったんじゃないか」と疑うのである。機械を作るということは、そこにはウソがないということだからである。(~略~)
(『無思想の発見』p.185~186)
*
著者は解剖学者だが、「解剖がいちばん安心だったから」解剖を選んだと説明されている。「患者さんがそれ以上死ぬ心配はない。」
*
なぜなら、解剖では、自分の目の前にあることがすべて「自分のしたこと」だったからである。商売であれ、臨床医であれ、お客や患者という、相手がある。相手は相手の都合で勝手に変化する。ところが解剖する相手は変わらない。変わったとすれば、私が手をつけたからであり、私が手をつけた分だけ、相手が変わる。私のしたことと、外に現れる結果とが、まったく一致している世界が解剖なのである。
「どうしてそれが安心なんだ」
と訊かれるであろう。すべて自分のしたことであれば、すべては自分の責任である。そこでは他人のせいにする部分はなにもない。それが安心なのである。
(同上、p.185)
*
このあと、先述の抜粋部分につながっていく。
「ウソがない」もの、確実なものに惹かれ、求めてきた著者は、「感覚世界」に拘る。「感覚世界」は著者によれば「五感でとらえられるもの」という。著者にとっては、生物の「脳」は、匂いも手触りも重さもある物質である。ちなみに脳を手に取ったことのない私にとっては、「脳は物体」ということ自体が、分かるようでいて、すでに想像の産物にとどまる。「脳という物体」を知りつくす著者が、その人間の脳が生み出す、「概念世界」(「感覚世界」と補完関係にあると説明される)、脳化社会、思想、都市主義(脳化は都市化である)という実体のないものたちを、切って返すようにメスをふるい語るというのが、面白い。脳の属する「感覚世界」、脳の生み出す「概念世界」、私たちは、その双方に股をかけて生きているらしい。
著者はよくニヒリストだと言われるそうで、そうではないと言うけれども、私もニヒリストだとは全然思わない。むしろ、必死に、クールに、自己肯定にこだわりつづけ、追い求めて、生き抜いてきた世代の一人なんだと感じる。
「私は、人間が考えたことは、基本的にかならず実現すると思っている。」(『あなたの脳にはクセがある 「都市主義の限界」』p.113、「考えているかどうか」を考える)
ここだけ切り取るのもどうかだけれど、この一文が印象に残った。その恐ろしさも含めて。しかしなんとも希望に満ちたことばではないか。
『脳内ニューヨーク』という映画があった。あちらは、脳の外へ出ることが出来ず、身体も脳内で朽ち果てた。もちろん脳も朽ち果てた。
脳が手のひらにのるような小さな物体なら、その中で身体が朽ち果てることはない。考え抜かれたものが、外へ出て、現実になる。そのような世界で、身体は涼しい風に吹かれる。熱風の名残りの中で、夕陽を見たりする。夏を思い描いても、まだまだ夏にはならないけれど。