tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

心の声

2016-05-27 11:43:19 | 日記
 「心の声を聴く」。

 と言うと、どうも陳腐でなげやりな励まし、のような感じがしなくもないが、実は割と、心の声に従うのは重要なんじゃないかと思う。心の声とは、言い換えれば無意識の声だ。

 なぜなら、心の声は結構正しい。
 と思う。

 ただ自分がその時に理解できていなくて、意味が分かってないのだ。そういうことが多い。後から気が付くのである。「あ、これってこういう事だったんだ。」


 疑り深い私は、ずいぶん長い間、心の声を信用してこなかった。「またそんな事を言って。訳がわからない。」と思っていた。もしくは気が付かないことが多かった。自分の判断と、それによる行動の方が確実だと思っていたのである。
 それがここ何年かの観察と検証の結果、「心の声は結構正しい」という結論にたどり着いた。「自分の判断と、それによる行動」だって、その時自分で意味が分かる、という意味では確実だが、それ以外に確実なものはない。


 心の声は、実は結構ちゃんと仕事をしている。
 それに従っていると、ああこういう事だったのね、と自然と流れるように物事が進んだりする。心の声は、アクロバティックでさえある。

 「結構」というのは、保留だ。
 100%ではないからだ。と、やっぱり疑い深い。
 間違えるとか失敗するというより、修正の必要な時はある。外の力が加わるから。
 その、外的な力と拮抗した時に初めて、心の声が自由になったと感じるのである。

 なんてね。今ここに書いたことも、心の声が言ってるのか、自分の脳が言ってるのか、まだ分からない。心の声だとしたら、今思うこととはまた別の意味があるのかもなあ、なんて思う。



 

使い切る

2016-05-15 00:54:14 | 日記
 最近思うのだけれど、人は管理するものが多すぎる。正確には管理するものというより、管理すべきと言われているもの。

 例えば日々の洗濯でさえ、それなりの管理能力を使っているわけで、そんな生活のルーティーンから始まり、衣類、本、チラシの類、爪切りや歯ブラシ、自転車や玄関の置物にいたるまで、家中にあふれる物たちは、管理されるのを待っている。

 物だけならまだいい。
 
 これが時間に広がると、記憶や思い出になり、希望だってそうだ。それから心構えのようなものでは、脳や心を管理していることになる。もちろん自分の体全般は、すでに管理対象内だ。
 少なくとも建前上は。

 だから、管理すべきものをしぼって行こうと思う。世の中の要求に従って何でもかんでも管理して行くのは、自分には難題である。
 大切なものだけを贅沢に管理する。そして使い切る。


 使い切れなさそうと思うものは、そもそも頂かないようにしよう。頂くというのは人からということではなくて、自然界からというような意味で。