tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

『幻滅』…密度、密度、密度、もはや爽快。

2023-04-23 02:45:09 | 映画-か行

 『幻滅』、グザヴィエ・ジャノリ監督、2021年、149分、フランス。原題は、『Illusions perdues』。

 バンジャマン・ボワザン、セシル・ドゥ・フランス、バンサン・ラコスト、グザヴィエ・ドラン。

 原作は、19世紀の文豪バルザックの小説。小説群「人間喜劇」のうち『幻滅_メディア戦記』(1843年)の映画化。

 

 

 爽快。そして降参、ひれ伏すのだった(笑) 観たのは少し前だけど、その密度を思い出すだけでワクワクする。

 

 ストーリー自体は、爽快という言葉はあまり相応しくない。

 田舎の詩を志す文学青年が、支持者であり不倫関係にあった伯爵夫人と共にパリへ上京。花の都パリで揉まれに揉まれる。ジェットコースターばりのスピード感は、脚色の勝利だ。

 貴族階級の虚飾に、言論の欺瞞、大衆の空虚。19世紀前半、フランス復古王政の頃の若干戯画的な話ではあるが、200年経った今に通じる普遍的なリアリティは笑うに笑えない。

 

 印象的なのは、印刷技術の発展と共に現れた、新興新聞社の描写だ。それまで王室はじめ貴族階級が独占していた「言論・マスメディア」という力が、庶民の手に渡ることにより、良く言えば躍動感を得、率直に言えば、金にまみれた謀略の手段として使われて行く。その小悪党の仲間となる主人公リュシアンだが、文才のあったリュシアンはみるみる間に、批評欄筆者として名を上げる。

 リュシアンという人物も興味深い。

 そう特別には思えない。野心や自負心があるとは言え、普通の若者の範疇だろう。しかし貴族階級への反発と憧憬が彼を駆り立てる。また稼がないと食べては行けない。文学への理想を忘れ、欲望に踊らされ、世間のコマとなって行く様子は、そう遠い出来事ではなく胸に刺さる。

 

 社会風刺のストーリーだが、そこには思いつく限りの人間の感情が、総出で埋め込まれていた。

 物語が見事な織物のように広がって行く。いや、もう、びっくり。社会・世間に向ける観察眼と共に、人間への深い洞察は、普遍性をもって心に染みる。ストーリーテラーであるのは勿論のこと。密度、密度、密度。

 

 幻滅とは__「幻想からさめること。美しく心に描いていた事が、現実には幻に過ぎないと悟らされること。」(Google:Oxford Languages)

 

 文豪バルザックはやはり天才なのか。ただの酒飲みで大食いのおっさんではなかった(失礼)。私は目の前のリュシアンの運命よりも、繰り広げられる物語のダイナミックさと緻密さにすっかり心を奪われてしまった。

 149分の長尺だが、後味はもはや爽快、かつ見事な「幻滅」。

 

 

 ちなみに終始ナレーションが付いており、時代背景や激しい状況変化に混乱することはなかった。ナレーションは構造上必要で(ラストに明かされる)、温かく、しかし距離を保ってリュシアンとパリを見つめる目を観客に与える効果があった。

 バルザック先生にすっかり敬服しながらも、原作は未読。読みたい気もするけど腰の引けてる自分がここにいる。すみません…。

 

 余談だが、私の好きなジャン=フランソワ・ステヴナンが結構重要な役で出ていて、パンフレットにもクレジットされており、お元気で活躍されていることも嬉しい。(追記※)

 グザヴィエ・ジャノリ監督は、文学部の学生だった時に、この小説の映画化を夢見たそう。約30年の歳月とその思いは、複雑さをとても分かりやすい形で見せることに成功した。私を、私達を楽しませてくれたことに深く感謝したい!

 セザール賞(2022年)で最優秀作品賞、最優秀助演男優賞(ヴァンサン・ラコスト)、有望新人男優賞(バンジャマン・ボワザン)など7部門を受賞。

 第78回ベネチア国際映画祭(2021年)、コンペティション部門出品作。

 

 

※追記・・ステヴナン氏は、2021年7月27日に享年77歳で亡くなっていました。この『幻滅』が遺作となってしまいました。全く知りませんでした。私達を大らかに啓発し刺激し、楽しませてくれたステヴナン氏に感謝します!どうぞ安らかに。

同年11月12月に行われた追悼特集上映とステヴナン氏について書かれた「NOBODY」誌のエッセイ(坂本安美氏)を貼っておきます。

https://www.nobodymag.com/report/n/abi/2021/11/post-10.html

 

 

ギラギラと活気のある野党系新聞社。批評は金で買われ、大衆は追随する↓

衣装、美術も素晴らしく見応えがありました↓セシル・ドゥ・フランスとグザヴィエ・ドラン。気品ある貴族役。

↓「このパリでは、悪質な人間ほど高い席に座る。」by 文豪バルザック

 

 面白かった!

 


『グランド・ジョー』…未来を託す

2023-03-28 15:36:52 | 映画-か行

 『グランド・ジョー』、デビッド・ゴードン・グリーン監督、2013年、117分、アメリカ。ニコラス・ケイジ、タイ・シェリダン。原題は、『Joe』。

 第70回ベネチア国際映画祭、マルチェロ・マストロヤンニ賞(新人賞)受賞(タイ・シェリダン)。

 

 久しぶりのニコラス・ケイジ。

 とっても好きだけど、2003年の『アダプテーション』辺りから、私のニコラス離れが始まった。これはある意味仕方ない。ニコラスが多額の借金返済の為、B級映画にばんばん出始めたからだ。そうなると、まず日本では公開されない(=気軽に観に行けない)。レンタルビデオで追いかけることは出来たようだけど、私のTSUTAYA離れも始まっていた・・。(こちらの事情で、TSUTAYAさんが悪いのではありません。)

 しかし、全地球上のニコラスファンの願いは、とうとう天に通じた。

 何とニコラスは、借金返済完了!その後に撮影した『マッシブ・タレント』が絶好調とのこと。中々観に行けず体に震えがきそうだったところ、とある方にご紹介いただいたのが、こちらの作品。

 

 これも良かったなぁ。

 極めてシリアスな作品で、張り詰めた緊張感と諦観を演じる、ニコラス・ケイジが最高。

 仕事をもらいに来た少年との出会いから、自分の諦めた「未来」を少年に託そうとする。

 「未来」というのは何か具体的な事ではないけれど、自分を信じ、他者を信じ、そこに「未来」がある事を信じられることかなと思った。人生の中に手ぶらで放り出されつつある少年と、心の沼から出ようとして失敗し、沼の中で息をひそめて生き延びようとする、ニコラス演じるジョーとの交流が心に染みる。

 

 一つの出来事が、いつまでも人を救うことってあると思う。その記憶がある限り、その感覚がある限り、根を張る場所として機能する。

 そんな感覚を与え合う関係は最高だ。

 

 この映画自体は、アメリカの陰の部分を描いており、あまり心楽しくなるような映画ではない。それでも、こんなヒーローがいても良いと思うし、こんな男を、魅力たっぷりに演じられるのは、やっぱりニコラス・ケイジしかいないと、改めて思うのだ!

 


『コーダ あいのうた』…世界の絡み合いかた

2023-01-30 22:20:01 | 映画-か行

 『コーダ あいのうた』、シアン・ヘダー監督、2021年、112分、米・仏・カナダ合作。原題は、『CODA』。

 エミリア・ジョーンズ、トロイ・コッツァー、マーリー・マトリン、ダニエル・デュラント。

 2021年サンダンス映画祭、グランプリ(ドラマ部門)、観客賞(ドラマ部門)受賞。第94回アカデミー賞、作品賞、脚色賞(シアン・ヘダー)、助演男優賞(トロイ・コッツァー)受賞。

 

 

 フランス映画、『エール!』(2014)をリメイクした本作。ファンタジックなコメディ感を纏い、視覚的効果も美しい同作品に比べ、今回の『コーダ』は、テーマ性を少し強く押し出した感じだ。

 ヘダー監督が脚本も担当し、アカデミー賞脚色賞を受賞した。(実際は始めに脚本を担当し、その後監督のオファーを受けたとのこと。)

 

 軽妙洒脱なフランス映画と、テーマ性重視のアメリカ映画。ということなのか、誰かの好みなのか分からないけど、どちらにせよ両作品とも、涙を滲ませずには観られないのだった。

 (以下、ネタバレお気をつけください。)

 

 

 さて「CODA(コーダ)」とは、聴覚障害者の親をもつ聴者のこと。「Children of Deaf Adults」の略。(Wikipediaより)

 主人公である高校生のルビーは、マサチューセッツ州のとある漁村で、両親と兄と共に暮らしている。ルビーだけが耳が聞こえる。早朝は漁師である父と兄と共に漁へ。海では作業と共に、ろう者である二人の代わりに無線の対応をし、帰港すると、取引の交渉を担当する。また日々、聴者と家族達の間の通訳を任されている。

 始めに物語が動くのは、ルビーの高校でのパートだ。作品中では、家族との生活と、学校生活のパートが交互に描かれる。

 しかしそのうち、ルビーのみならず、家族それぞれにも変化が訪れることになる。

 

 新しい世界へ力強く足を踏み出そうとする、兄。踏み出しかけるが、躊躇するルビー。知らない世界に不安を感じ、今ある家族の秩序と平和を維持しつづけようとする両親。

 しかしそんな両親にも、やむない形で変化が訪れる。国の視察をきっかけに、漁村全体が揉め始める。そして彼ら自身は出漁禁止を食らってしまうのだ。

 

 

 面白いのは、それぞれの世界が絡み合いながら、広がって行くことだ。

 円と円が少し重なっている図がある。あんな感じで、少しずつ重なり合いながら各円が広がって行く。家族だけではなく、漁村の漁師仲間達の世界も、この家族の勇気と行動をフックにして、広がって行く。

 ルビーも「歌」という自分の新しい世界を見つけるが、しかしそれは家族と重なり合わない。自分のこれまで生きてきた世界とも重なり合わない。そのことに対する怒りと諦めと焦燥と、不安が描かれる。

 

 水平方向へ広がっていた世界が、深化するのが終盤だ。

 夜の庭先で、「俺のためにもう一度、合唱会での歌を歌ってくれるか?」と父はルビーに頼む。ルビーが歌い出すと、耳の聞こえない父は、彼女の喉の震えを指で感じ取ろうとする。最初は右手の指をそっと添え、それから両手を使い、彼女の喉を包み込むようにする。その父の手を歌いながら握りしめるルビー。

 

 ここで私達は、重なり合わない部分を見るのをやめる。

 

 「ここで見る星は、海で眺める星ほどキラめいてないな。」父の台詞で初めて、私達観客は、海上の星空を見上げ、同時に深く深く暗い海の底を意識する。

 水平に広がろうとしていた意識が、空と海の深度を得て、初めて垂直に解放される。

 

 

 その解放感に涙しないなんてことがあるだろうか。

 円と円の、重なり合った部分の底なしの深度を見せられて、涙しないなんてことがあるだろうか。

 少なくとも私は、耐えきれなかった。(耐えていたわけではないけれど)

 

 

 その後ラストはどうなるの?勿論、ハッピーエンドである。ハッピーエンド派の私としては、それもこの映画が好きな理由の一つである。

 

 

ロッシ家の皆さん。↓座右の銘「家族は仲良く」。この言葉の裏表も深い。

ルビーが合唱部に入るきっかけとなるマイルズと、特訓をしてくれるV先生。↓

「くそ兄貴」のレオ。↓全然くそではなくて(笑)家族を牽引する役割を担う。

アカデミー賞獲りました。↓

元作品の『エール!』↓エリック・ラルティゴ監督、2014年、105分、仏。原題は『La famille Belier』(ベリエ家)。

 

 

 


『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』…愛+愛=愛

2022-12-15 20:14:38 | 映画-か行

 『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』、ギレルモ・デル・トロ、マーク・グスタフソン共同監督。2022年、116分、米。原題は、『Guillermo del Toro's Pinocchio』。

 原作は、カルロ・コッローディ、『ピノッキオの冒険』(1883/伊)。

 

 12月9日からNetflixで配信されているけど、遅ればせながら劇場で鑑賞。

 

 ストーリー的にはとてもすっきりと、まとまっていたように感じた。

 ピノッキオのストーリーは、時代に合わせて、また映画化される度に少しずつ改変されるが、こちらもギレルモ風のピノッキオ。

 時代設定も第一次世界大戦頃に変更されている。

 

 ギレルモ・デル・トロ監督と言えば、造形の妙が注目され、SFやホラーのイメージがある。こちらの作品も個々のキャラクターや世界観は独特で、少し気味悪くもあり、いわゆる「かわいい」キャラは出てこない。

 ピノッキオさえも、洋服を着た「人間風」ではなくて、松の木目や裂け目もそのままの、いかにも「人形」といった造りだ。

 ただこれが、大きな意味を持っているようだ。

 

 丹精を込めて作られたのではなく、悲しみと怒りと絶望と、そして酒に朦朧としながら作られた、未完成の人形。

 原作のようにピノッキオは「人間の男の子」になるのではなく、そのままで、ありのままで、愛情や友情、思いやりとともに生きて行く。

 

 作中の誰しもが、「これが標準」という価値観を目指すのではなく、ある意味異形のまま生きて行く。「良い子」はいても、「普通の良い子」はいない。そんな世界観を表すのに、デル・トロ監督のピノッキオは最適役ではないだろうか。

 怪奇な世界で、どストレートに愛を語る。「ダーク・ファンタジー」と言うと、観客を驚かす、また奇をてらうような印象もあるけど、これはそういう作品ではなかった。むしろ「驚かないで」と言い聞かせてくるのだった。

 

 ラストシーンは最高だった。

 好きなラストシーンのマイ・ベスト5に入るかも(ランクを付けていないので感覚ですが)。後味の良い映画って、やっぱりいいなあ。

 

 

 第80回ゴールデングローブ賞最優秀長編アニメーション映画賞、第95回アカデミー賞最優秀長編アニメーション映画賞、受賞。

 

 ちなみに2008年にデル・トロ監督が、「ダーク・ファンタジー化したピノッキオ」の企画を発表してから、約14年。

 美しいストップモーション・アニメを作り上げてくれた、監督とスタッフの皆さん、そして出演者の皆さんに感謝です。表現された愛も素晴らしいけど、作り上げた愛と情熱にも感謝。

 

予告編 - Netflix

職人技の舞台裏 - Netflix

 

ピノッキオ役のグレゴリー・マン君の声がめちゃかわいい。↓透明感とはこのこと?

狂言回しのクリケット(コオロギ)役はユアン・マクレガー。↓

 

 

 

 


『グリーンブック』…ブレない二人の友情

2022-09-12 00:23:26 | 映画-か行

 『グリーンブック』、ピーター・ファレリー監督、2018年、米。130分。原題は、『Green Book』。

 

 「グリーン・ブック」をご存じだろうか。

__「黒人ドライバーのためのグリーン・ブック」。アメリカ合衆国による人種隔離政策時代の1930年代から1960年代に、自動車で旅行するアフリカ系アメリカ人を対象として発行されていた、旅行ガイドブック。郵便集配人だったヴィクター・H・グリーンにより1936年に創刊。(Wikipediaより)

 

 この作品は、体裁はロード・ムービー、背景は、1962年における人種差別問題である。

 しかしいわゆる人種問題をテーマとした社会派作品とは異なり、二人の全く異なるキャラクターの出会いと交流に時間が割かれる。したがって内容的には「普遍的なヒューマン・ドラマ」が近いと思う。

 

 

 主人公の一人は、天才黒人ピアニストのドン・`ドクター’・シャーリー。もう一人は、ブロンクス生まれのイタリア系アメリカ人、トニー・リップ。

 二人とも実在の人物で、実話が元になった作品。

 

 トニーの息子、ニック・バレロンガが脚本に参加している。彼は、「父の話を全てテープに取った」らしい。

 トニーの本当の名字は、バレロンガ。口が上手いことから「リップ」の異名をとったという。そんな父親のする思い出話はさぞかし面白かったんだろう。幼い頃は目をきらきらさせて、大人になってからはテープを用意し、聞き入る息子の姿が目に浮かぶ。

 息子のニックは監督、脚本家、俳優を務める映画業界人なので、いつか映画にしようと思っていたんだろうな。

 主人公は、ご両人とも2013年に他界している。

 

 

 作品に話を戻すと、この二人のキャラクターが本当に素敵だ。

 親しみやすさから言えば、下町育ちのトニーに分があるかもしれない。何せ、片やカーネギーホールに住み(!)、心理学博士でもある天才ピアニスト。たやすく同一化は出来ない(笑)

 「(こう言っては何だけど)ザ・ガサツ」と「ザ・繊細」のコメディ風の掛け合いは、ファレリー監督のお家芸でもあり、テンポも良く真骨頂。

 ちなみに自己肯定感の高さで言えば、二人は似たもの同士である。

 

 そして会話の言葉がシンプルなだけに、表情や、一挙手一投足から目が離せない。

 「君の世界は狭い」と言ったドンの心。「暴力ではなく、品位を保つことが勝利だ」と言い放つ強い目。ピアノを弾くドンを満足そうに見守るトニーの表情。そしてラストシーン。

 

 二人の役者さん、ヴィゴ・モーテンセンと、マハーシャラ・アリに拍手と感謝を送りたい!

 

 

 第91回アカデミー賞、作品賞/助演男優賞(マハーラシャ・アリ)/脚本賞受賞。主演男優賞(ヴィゴ・モーテンセン)/編集賞にノミネート。

 第76回ゴールデングローブ賞、最優秀作品賞(コメディ/ミュージカル部門)/最優秀助演男優賞(マハーラシャ・アリ)/最優秀脚本賞受賞。最優秀主演男優賞(ヴィゴ・モーテンセン)/最優秀監督賞にノミネート。

 その他、トロント国際映画祭観客賞など50賞を受賞。

 

 

ケンタッキーと言えばフライドチキンだろ!フライドチキンは手で食べるんだ!(byトニー)↓

 


『君の名前で僕を呼んで』…夏の終わりに

2022-09-06 18:36:21 | 映画-か行

 1983年、北イタリアの避暑地。バカンスを過ごす大学教授一家の元に、助手としてアメリカ人の青年がやって来る。

 息子である17歳のエリオと、24歳の助手オリヴァー。

 二人のひと夏のラブロマンスを中心に、登場人物たちの感情と思考が繊細に、そして温かく綾をなし、夏の空気と豊かな自然の中に広がって行くかのような作品。

 

 「何ひとつ忘れたくない。」

 このセリフが口にされた時、夏は終わったのだと観ている者は覚る。

 時間も空間も抽象化されたような背景と物語に、観客の感情さえも抽象化される。

 

 

 青年はアメリカへ帰り、家に戻って来た息子に、父親が語りかける。

 

__思ってもいない時に、自然は狡猾な方法で、人の弱さを見つける。

__人は早く立ち直ろうと自分の心を削り取り、30歳までにすり減ってしまう。

  新たな相手に与えるものが失われる。

  だが、何も感じないこと…感情を無視することは、あまりにも惜しい。余計な口出しかな?

__今はまだ、ひたすら悲しく、苦しいだろう。

  痛みを葬るな。

  感じた喜びで満たせ。

(終盤のシーンより抜粋)

 

 上記は一部だが、本当は全て書き出したくなるような、独白のような長いセリフだ。北イタリアの美しい自然や川の音の中にあった観客の感情が、ここで穏やかな思考へと昇華される。

 父親のセリフ中の「“それは彼だったから”、“それは私だったから”」という文句は、下のモンテーニュの言葉からの引用である。

 

 “もしも人から、なぜ彼が好きだったのかと問い詰められても、「それは彼が彼だったからだし、私が私だったから」という以外に答えようがない気がする。”

 (ミシェル・ド・モンテーニュ 『エセー2』/友情について より)

 

 

 ラストシーンは、3分30秒。

 主演のティモシー・シャラメの表情を写し出し、シャラメは22歳でアカデミー賞主演男優賞、ゴールデングローブ賞最優秀主演男優賞にノミネートされた。

 ああ。どうして夏ってこうなんだろう!

 

 

 『君の名前で僕を呼んで』、ルカ・グァダニーノ監督、2017年、132分。

 伊、仏、ブラジル、米合作。原題は、『Call Me By Your Name』。ティモシー・シャラメ、アーミー・ハマー、マイケル・スタールバーグ、アミラ・カサール。原作は、アンドレ・アシマン『Call Me By Your Name』(2007年)。

 第90回アカデミー賞、脚色賞を受賞(ジェームズ・アイボリー)。作品賞、主演男優賞、歌曲賞にノミネート。

 

↓アカデミー賞歌曲賞にもノミネートされた主題歌(スフィアン・スティーブンス)

【歌詞和訳】Mystery of Love – Sufjan Stevens (from Call Me by Your Name)

 

↓エリオの夏。することと言えば、読書、作曲、泳ぐこと。たまに夜遊び。

 

↓原作訳本です。

 


『恋に落ちたシェイクスピア』…1595年っていつやねん。

2022-08-16 16:51:00 | 映画-か行

 脚本が素晴らしいな。

 

 シェイクスピアが『ロミオとジュリエット』を書いたと言われるのが、1595年。

 その経緯を虚実織り交ぜストーリーにしたのが、この作品。史実(と言われるもの)の裏打ちが効いている気がする。

 

 作家兼俳優のシェイクスピアはまだ青年で、巷の知名度はあっても、社会的地位や轟く名声はない。これからステップアップという時期だが、スランプに陥っている。

 そんな、『ロミオとジュリエット』前夜…。

 歴史的に「シェイクスピア中期」と言われる全盛期は、いかにして訪れるのか?!

 

 スリリングな展開が、本筋のストーリーと劇中劇のオーバーラップで、テンポ良く描かれる。飽きないし、風俗を見ているだけでも楽しめる。

 

 「虚実」の、さらに「虚実」の、さらに「虚実」の、さらに「虚実」。

 どこまで行くの?

 そう、これは今から5世紀前。はるか昔の、儚くきらびやかで少し笑える、希望と愛の物語。

 

 ラストシーンが良いですね。

 もう24年も前の作品なので、ラストシーンを言っても良い気がするけど、言うとつまらないので、言わない。

 

 

 ジョン・マッデン監督、1998年、米、123分。原題は、『Shakespeare in Love』。

 出演は、グウィネス・パルトロウ、ジョセフ・ファインズ、ジェフリー・ラッシュ、コリン・ファース、ベン・アフレック、ジュディ・デンチなど。

 第71回アカデミー賞、作品賞、主演女優賞、助演女優賞(ジュディ・デンチ)、脚本賞、作曲賞(ミュージカル/コメディ部門)、衣装デザイン賞、美術賞、受賞。

 監督賞、編集賞、撮影賞、音響賞、音響編集賞は、同年公開のスピルバーグ監督『プライベート・ライアン』が受賞。二分する形に。

 

 

 ※ちなみに1595年は、日本では文禄4年。豊臣秀吉が世で猛威を振るっていたようです。

 

 

脇を固める俳優さん達も注目↓個人的にジェフリー・ラッシュとジュディ・デンチが好き。もはや伝統芸。

 

 

 

 


『キングダム2 遙かなる大地へ』…ハッピーエンドの通奏低音

2022-07-17 22:32:25 | 映画-か行

『キングダム2 遙かなる大地へ』、佐藤信介監督、2022年、134分、日本。

山崎賢人、吉沢亮、清野菜名、小澤征悦、豊川悦司、岡本天音、高嶋政宏、渋川清彦、橋本環奈、大沢たかお。

 

今日は、日本マンガの実写映画。

7月15日の公開日、「初日舞台挨拶同時中継」付きの回を観てきた。

 

実際に出演者と監督が舞台挨拶をしているのは六本木のTOHOシネマズで、それを北海道から沖縄まで130以上の劇場で同時中継したらしい。

観た後だったのでテンションも高く、拍手をしたくなり、周りを見渡したら周りも、もぞもぞしていた。だがそこは、一丸となって日本人らしさを本領発揮。思い切って拍手をすれば良かったなと、少し後悔。

 

今回は主人公・信の初陣となる、「蛇甘平原の戦い」を舞台にしていた。

『キングダム』の舞台は中国、戦国時代。紀元前247年(秦の政王即位)頃から紀元前221年(秦の中華統一)頃。まだ連載中なので、終わりは分からないけど。

 

私は原作マンガは読んでおらず、アニメ派だ。サブスクで観ているけど、もうワクワクして観始めたら止まらない。貯めておいて、観て、上がっている最後の回まで観てしまうと、何とも言えない気持ちになる。

どんな気持ちかと言うと、「時をワープしたい」気持ちである。

 

「私は時をワープしたい。」 何ソレ。

 

さて、実写版の第一作目となる前回では、キャラクターのイメージがそっくりそのまま、生き生きと演じられていて、大げさでなく度肝を抜かれた。

私が一番注目していたのは、河了貂(かりょうてん)と、王騎(おうき)将軍。特徴的だし好きなキャラクターだけに、「誰が、どうやってやるの~!」とムンクの叫びよろしく目がまん丸くなっていた。

それが。

橋本環奈ちゃんと大沢たかおさんの登場には、喜びで腰が抜けるかと思った。だってアニメそのままだったんだもん。

主人公の山崎賢人さん始め、他のキャラクターも素晴らしかった。正に「肉と息づかいが付いて立体となった人物達」、要するに、アニメを実写化するってこういう事なのかも。

 

今回も、アニメではお馴染みのキャラクターが新しく沢山参戦。

続々と出てくるキャラクター達を、今後どの俳優さんがどう演じるのか、それがとても楽しみだ。既に錚々たるメンバーが名を連ねているので、今後も「あっ」と言わせる布陣で、驚かせてほしい。

日本俳優界総出でお願いしたいところ。

 

「羌かい」も登場し、迫力と細かい描写のアクションが見所の今作。う~ん、しびれる。

主人公の信のキャラクターもやっぱり魅力的。

後先考えず、その時のゴールに向かって突き進んで行く。奇跡のような展開も信じられる、強い眼差し。

山崎賢人さんがほんと適役。

そして大平原の夕日をバックに並ぶ、大将軍、ひょう公と王騎。

史実として私達が知っているハッピーエンドの通奏低音が、一緒に物語を作り上げているような感覚を味わわせてくれる。

 

 

まだまだ書きたいことは沢山あるけど、余り長くなってもアレなので、ここらでやめておきます。

 

ありがとう!最高!次作も楽しみです!時をワープしたい!(笑)

 

 

原作は、原泰久さんの漫画『キングダム』。

2006年9月号より「週刊ヤングジャンプ」にて連載中。

2012年6月より、テレビアニメの第一シリーズ放送開始。

2013年、第17回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞。

2019年4月に実写映画作品第一作目、公開。『キングダム』、佐藤信介監督、2019年、134分、日本。

 

 

 

 


『キーパー ある兵士の奇跡』…選択肢という希望

2022-07-09 23:25:44 | 映画-か行

dTVにて。昨日のブログで書いた『レボリューショナリー・ロード』のすぐ後に観た。

全く異なるジャンルの作品だけど、人間心理という面で、両作がとても興味深かった。

 

こちらはバート・トラウトマンという、サッカー選手としてイギリスの国民的英雄となった、あるドイツ人の半生を描く。実話を元にした物語。

1945年、捕虜となり、イギリスの収容所にいたナチス兵、トラウトマン。ある日地元のサッカーチームの監督にゴールキーパーとしてスカウトされる。1948年に釈放されるがそのままイギリスに残り、翌年、名門サッカーチーム「マンチェスター・シティFC」に入団する。並行する物語として、監督の娘、マーガレットとの恋愛、結婚が描かれている。

人々の憎しみと和解がテーマとなるが、トラウトマン、マーガレットという若い二人にフォーカスする事によって、時にユーモアを交えながら、しなやかで力強い生の軌跡が描かれる。

 

実は『レボリューショナリー・ロード』と『キーパー』は、同じ時代を舞台にしている。

 

『レボリューショナリー・ロード』の夫フランクは大戦の戦地から帰国した元兵士で、戦後の「パックス・アメリカーナ」を謳歌するアメリカが舞台だった。

片や『キーパー』は、戦中戦後の、我が身に戦争を経験した人々と爪痕の残る土地の話だ。

 

印象深かったのは、トラウトマンの台詞。

出会った頃のマーガレットに、あなたはあの恐ろしいナチスの兵士だと罵られる。マン・シティの入団会見でも、記者から「戦犯かどうか」と手厳しい質問が飛ぶ。

彼は「選択肢がなかった」「兵士として義務を果たしただけ」と弁明のように答える。

会見ではかぶせるように、他の記者から「調べたが、君は志願して入隊している」と問い質される。「戦争がどのようなものか、あの時はまだ知らなかった。前線に送られた時はもう遅かった。選ぶことは出来なかったんだ」と答えるが、「鉄十字勲章ももらっている」とさらに糾弾される。

 

入団会見の帰り道、「志願したって本当?真実が知りたい。妻として知る必要がある」と責めるマーガレットを、「真実って何だ。知る必要はない」と突き放すが、さらに畳みかける妻に、立ち止まり、ぶつける。

「君が犯した最悪の罪はなんだ?」 マーガレットは黙ってしまう。

「恥の記憶を人に話せるか?」

 

「最悪の罪」の影はその後の二人を左右してしまうのだが、ここでは置いておこう。

トラウトマンの言う「選択肢はなかった」という台詞は、その場しのぎの言い訳ではなく、本当なんだろうなと思った。そしてリアルだと思った。

 

志願したのだから自分で選択したとは言える。だがその時の彼には、目の前の社会、目の前の生活しかなかったのだ。(マン・シティのスカウトマン曰く、少年の年齢でもあった。)その中で最良の(と自身が判断した)選択肢が、志願兵になることだったんだろう。

ただ彼は前線を経験し、収容所を経験し、イギリスの人々と関わり合い、経験を重ねて行く中で、他の沢山の選択肢があることを知った。他の沢山の人生があることを知った。

その彼にとってみれば、当時の自分には「選択肢がなかった」という表現は、単なる言い逃れではなく、正直で「正確」な言葉なんだろうと感じた。

それが自分にとって「恥の記憶」であろうと。

 

 

選択肢というのは、希望なんだろうなと思う。

完璧な正義というのが難しいのと同じように、完璧な選択というのも難しい。私達は「より良い、とその時思った」選択をしているだけだ。

私達は日々色々なことを後悔しがちだが、今後悔するということは、実はその時より選択肢が増えている、と言っていいだろう。

選択した向こうに何が待っているかは分からないが、私達はいつもそこに希望を見い出そうとするし、幸い本能的に光の方角を選ぶ傾向にある。だから後悔することがあったとしても、自分のした選択を受け入れ、選択肢を知らなかった自分を許し、前に進んで行くしかない。次々に選択肢はやってくるのだから。

過去の自分に対して誠実であるというのは、そういうことなのかもしれないなと思う。

 

『レボリューショナリー・ロード』のエイプリルにも、あなたは無限の選択肢を持っている、と言ってあげたかった。エイプリルは自分で選択肢を狭め、失い、自分を追い詰めてしまったように、私には見えた。

一見満たされたような豊かさが原因だとか、片や切迫した自他との対峙が原因だとか言うつもりはない。ただ単純に、エイプリルに教えてあげたいと思った。そしてそのような、希望に満ちた物語にして欲しかったなと思った。

…それでは心理ホラーではなく、全然違う、別の物語になってしまうけど(汗)

 

 

『キーパー ある兵士の奇跡』、マルクス・H・ローゼンミュラー監督、2018年。英/独合作、119分。原題は『The Keeper』。

 

何だか長くなってしまったけど、繰り返し観たくなるような、印象深い映画だった。衣装や美術も含め、控えめな演出が心に残る。

トラウトマン役のデビッド・クロスの「外国人」も良かった。無口で、一つ引いたような位置を保っている。そして意志が強く、細やかな気遣いをする人柄が上手く伝わってきた。

まだ観ていないという方は、良かったらどうぞ!

 

 

 

 

 


『クライ・マッチョ』_時空を操る表現者

2022-01-18 20:25:49 | 映画-か行

 クリント・イーストウッド監督、2021年、米、104分。原題は『Cry Macho』。


 見終わった瞬間、「これは奇跡だ…」と目がまん丸になり、息がとまるかと思った。
 クリント・イーストウッドは品の良い魔法使いだと確信した。
 
 一つ一つのシーンが大切な大切なタカラモノだった。
 後半、全体の感触に馴染んだ頃思わず涙が滲んだけど、それはストーリーとは全く関係がない。

 その涙もラストシーンに至っては、未知の、新鮮な水で全身をすっかり洗われたかのような清涼感に変化していた。

 もうね、全てが詰まってるんですよ。

 全てって言うのは、俳優であるクリント・イーストウッド、40歳で映画を撮り始めたイーストウッド監督、映画そのもの、遊び、感情、人生、、etc.


 でも私が一番震えたのは、「時間」だった。
 少年と元ロデオ・カウボーイの老人という対比、場所の移動に伴う時間、というストーリー上の直線的な時間も勿論ある。
 そこに差し込まれる、スクリーンを超えた映画史的な時間。

 そしてそれらを難なく包み込むもの。もう「愛」としか言いようがないのだけど。映画への愛、人生への愛。
 過去も未来も全てがそこに、自然にあった。
 語ることなく、ただ品良く、ふわりと、ただあった。多分「永遠」を感じて、私は涙したのだと思う。
 
 永遠の愛、永遠の時間。そういうものがあるとすれば、クリント・イーストウッド監督はすでに時空を超えてそれらを体感し、一遍の小さな映画として差し出すことの出来る魔術師である。

 何というか、これ以上ない完璧な自由だった。
 ああ、そうなんだ、と思った。
 全部がここにあるんだ、永遠にここにあるんだ、と思った。映画って素晴らしい。
 
 もう何でもいいやと思った。

 クリント・イーストウッドは、自由だった。


 今もしクリント・イーストウッドが目の前に現れたら、私は顔をくしゃくしゃにして涙し、ありがとう、ありがとう、とひたすら繰り返すと思う。
 いや、大げさじゃなくて、本当に。
 もうこうなったら神である。


 こちらは御年91歳のイーストウッド監督50周年(俳優生活はもっと長い)、日本公開40作目という節目の作品。
 少年をメキシコからテキサスへ連れてく来るというロードムービー、西部劇。
 原作はN・リチャード・ナッシュの同名小説(1975)とのこと。

 今公開中の作品なので詳細は伏せるけど、映画館へ行ける人は映画館へ、行けない人はいつかどこかで、是非この作品をご覧ください。
 「マッチョ」とは、強さとは何か。
 そして自由を、クリント・イーストウッド監督の魔法が醸し出す、永遠の自由をお感じください!(笑)