実話を元にした物語。実際のストーリーも、オーストラリアのドキュメンタリー番組としてYouTubeに上がっているが、かなりの部分を忠実に踏襲しているようだ。
ドキュメンタリー番組のラストは(映画のラストとは異なり)、養母のスーもインドへ渡る。主人公のサルー、実母のファティマ、そしてスーの3人が抱き合って、語り合う様子が映されている。
あらすじは、5歳のサルーは、母、兄、妹と共に、インド中西部の村に暮らしている。ある日、兄の仕事に付いて(ドキュメンタリーでは落ちている小銭を拾いに)駅へ向かうが、疲れてベンチで寝てしまう。すぐに戻ってくる、と言った兄は戻って来ず、目が覚めたサルーは動揺して泊まっていた電車に乗り込む。電車は回送電車で、そのまま約1800km離れた大都市コルカタへ。サルーはそこで浮浪児となる。
映画の前半は、ほぼインドでの子供時代のシークエンス。サルーの家族、迷子になった日、コルカタでの生活、孤児院に入り里親に引き取られるまで、それぞれの経緯を描いている。
前半は、抑揚に飛んでいる。愛情に溢れた母、兄との関係(寛容で優しい兄は、サルーにとって父であり母でもあり、サルーの守り神、そしてアイドルだった)は微笑ましく、幼い記憶は詩的に表現されている。
コルカタの人混みに放り出された後、過酷な日々を生き抜いて行く。
余談だが、世界7番目に大きな国土を持つインドは、地域によって言語が全く違うそうだ。一応、公用語は英語・ヒンディー語となっている。未だに英語が使われる理由は、民族的アイデンティティの違いがあるため、現実的にどうしても第二言語でのコミュニケーションが必要となるからだ。
州公用語は18もあり、「一つの言語の方言」ではなく、構造も全く異なる別の言葉も多いそう。映画も言語ごとに作られ、いわゆる「ボリウッド」は北インドのヒンディー語圏の映画。
また今年ヒットした『RRR』は、テルグ語の「トリウッド」。『RRR』が「融和の映画」と言われるのは、作内の描写のみならず、ボリウッドの俳優を起用したり、最初から他言語の吹き替えを配給するシステム創造からも、そう評価されているそう。
ラージャマウリ監督以前は、ヒットした映画は、同じ脚本を使い、違う言語で撮り直していたそうだから驚く。「ゴジラ」のハリウッド版、を国内で幾つも作っているようなものだ。勿論俳優も違う。ゴジラは脚本は異なるので、ちょっと違うけど。ちなみにインドの観客は、字幕は嫌いだし、吹き替えは安っぽいと敬遠する傾向があるそうだ。(だとしたら国内の他言語、外国映画は観られないな。)
歴史的にもイスラム支配や英国の植民地になる等、インドは外部の干渉を多々受けてきたが、その理由の一つに、国内が一枚岩ではない(複数民族、複数言語)ことが挙げられている。
そんな、小さな島国に暮らす日本人には少し想像しがたいインドの言語事情だが、サルーも、コルカタで言葉が通じず困ってしまう。駅員にさえも、「お前は何を言っているのか分からない」と冷たくあしらわれ、雑踏の中でさまよい、兄や母を呼んで叫ぶ少年、いや幼児の姿は、とても切ない。
そしてサルーは、家に帰ることをあきらめる。
後半は、成長した20年後のサルー。オーストラリア人として幸せに暮らしている。ある日Google earthを友達に教わり、5年を掛けて、生まれ故郷の村を突き止める。
5歳のサルーは、自分の村の名前を間違えて覚えていたし、自分の名前さえも正確ではなかった。そんなおぼろげな記憶の中から、景色や時間感覚の思い出を繋ぎ合わせて、コルカタから故郷への道を辿って行く。
後半は心理描写がメインになる。
描かれるのは大人の世界で、前半とはがらりと色調が変わるので戸惑うが、登場人物達それぞれの思いが重層的に表され、ラストの再会シーンに厚みを加えた。
サルーの故郷への旅は、とても静かで内省的だ。再会シーンではやっぱり涙してしまった。
ただ、「Google earth で故郷を探す」というアイディアは、事実であり、またアイディアとして斬新でありこそすれ、どうも映画向きではないようだ。
5年(実際は6年)掛けて、広いインドの鉄道路線とその周囲を探って行くのだが、その様子は決してインパクトのある映像ではない。映像としては、力に欠けるように見えた。その為か、心理描写に時間が割かれるのだが、実際の動きや時間軸に沿った現実の変化に乏しく、前半と比べると失速したように思えた。
印象的なのは、実母ファティマさんの言葉。サルーが必ず戻って来ると信じ村を出なかった彼女は、ドキュメンタリーで、育ての親のスーにこんなことを言っていた。
「気遣い、ケアし、サルーに愛情を注いでくれる人がいますようにと祈っていました。あなたがそれをしてくれた。本当にありがとう。」
何だろう。心にじんと染みる言葉だった。
また養父母が衝動的なエゴで行動したのではなく、養子を迎えることが、十分に思索的な選択だったというのも幸運だったと思う。
その後、どうなったのか。
サルーはインドの母に新しい家を買い、二人の妹(映画では一人になっていたけど、実際は二人いた)に、十分な教育が受けられるように援助をする。そして、オーストラリアとインドを行き来し、二人の母との新しい人生を生きている。と、ドキュメンタリーでは締められていた。
この映画では再会するところで終わっていたけど、ちゃんとその後の彼らを描写した方が良かったんじゃないか。
と思ってしまった。
『LION ライオン~25年目のただいま』、ガース・デイヴィス監督、2016年、豪。119分。原題は、『Lion』。デブ・パテル、ルーニー・マーラ、ニコール・キッドマン、サニー・パワール。
第89回アカデミー賞、作品賞/助演男優賞(パテル)/助演女優賞(キッドマン)/脚色賞/撮影賞/作曲賞、ノミネート。第74回ゴールデングローブ賞、最優秀作品賞(ドラマ部門)/最優秀助演男優賞/最優秀助演女優賞/最優秀作曲賞、ノミネート。
幼少期のサルー役、サニー・パワール↓演技未経験と言うけど、自然で生き生きとした存在感に目を引きつけられた。
養母を演じるのは、ニコール・キッドマン↓ショートヘアも素敵。
実際のサルーの書いた本(原作)↓