tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

『NOPE ノープ』…傾向と対策とか

2022-09-03 19:49:17 | 映画-な行

 2022年8月26日、日本で公開が始まった、『NOPE ノープ』。

 これまた、変わった作品だった。

 

 ジョーダン・ピール監督、2022年、アメリカ。131分。原題は『Nope』。(無理、とかヤバイとかイヤだの意)撮影監督は、ホイテ・ヴァン・ホイテマ(TENET、ダンケルク等)。

 

 ストレートに観ることも出来るけど、この作品のウィットとメッセージとセンスの在り方を、ほんのちょっとでも前情報で入れておくと、何かの足しにでもなるかもしれない。ということで、行こうか止めようか、お悩み中の方向けに傾向と対策を上げてみる。なんてったって、少しでも感想を言うとネタバレになってしまいそうな、この作品。

 公開中なのでネタバレなしで!

 (念の為ですが全て個人の主観です。)

 

<傾向>

 ホラー度28%、ミステリー度10%、スリラー度5%、サスペンス度5%、SF度40%、ヒューマン度10%、コメディ度3%、西部劇度5%

 

 色々混ざっている。

 「空に何かがいる」「見てはいけない」というのがホラー度とミステリー度、そしてSF度。

 サスペンス度は、主人公達がそこにどう対処していくのか。

 スリラー度は、登場人物の心の部分。

 ヒューマン度は、家族愛と人種問題、映画史的な何か、映画愛の部分。

 最後のコメディー度は、まずは、ホラーというのは大抵どこか笑っちゃうところがある、というお約束通りで絵的に可笑しい。あと微妙な間やストーリーの飛び具合とか。監督がコメディアンでもあることも関係しているかもしれない。とは言え、たったの3%。

 

 あらすじは基本的にネタバレになってしまうので控えます。敢えて言うなら、「過去と未来と現在の局地的邂逅」と言ったところ。いや全然分かんない言い方をお許しください。

 

<より楽しむための、対策>

1)事前に監督のジョーダン・ピールのことを検索してみる。

2)出来れば、ジョーダン・ピール監督の第一作目、『ゲット・アウト』(2017年/原題:Get Out)を観ておく。

3)出来れば、IMAXの大画面で観る。無理そうなら、出来るだけ音響の良さそうなスクリーンで観ること。

4)上映終了後、誰かと語り合いたい、もしくは疑問がフツフツと沸いている、何か怖い(笑)という場合は、家に帰ってYouTubeで「ノープ」と検索してみること。そこで仲間を発見すること。

 

 ちなみに、3)で大画面をおススメしているにも関わらず、自身は普通の小さめスクリーンで鑑賞した。(←ホラーは出来るならスマホくらいの画面で見たいタイプ)

 でもこの作品はIMAXカメラで撮られていること、またアメリカの広大な大地や空を映すシーンが多いので、大画面の迫力は捨てがたい。次見る時は、IMAXかな。もうストーリーは知ってるから安心だ!

 音響も結構重要。

 

 そして第一作目の『ゲット・アウト』。今作主演のダニエル・カルーヤが、こちらでも主演。

 『ゲット・アウト』は低予算映画ながら評判となり、第90回アカデミー賞脚本賞を受賞(ジョーダン・ピール)。作品賞、監督賞にもノミネートされ、ダニエル・カルーヤは、アカデミー賞とゴールデングローブ賞の主演男優賞にノミネートされた。(その後他の作品でアカデミー賞助演男優賞を受賞。)

 人種差別問題のメッセージ性は、こちらの方が強め。ピール監督のインテリ色は好みが分かれるところかもしれないが、ストーリー的にはこちらの方が分かりやすく、ピール監督への愛が沸きやすいかも?

 

 今作は結構ぶっ飛んでいて、いいですね。 

 では皆さま、グッドラック!

 

 

主たる登場人物達↓視線の先には何が…!?

IMAXで観たい場面も沢山あった↓何このニョロニョロと、影。

 

 


『ナワリヌイ』_アレクセイ・ナワリヌイ、1976年生まれ。弁護士、政治家。

2022-07-01 00:04:43 | 映画-な行

 『ナワリヌイ』、ダニエル・ロアー監督、2022年、アメリカ、98分。

 サンダンス映画祭、観客賞/フェスティバル・フェイバリット賞。

 

 6月17日に公開されたドキュメンタリー映画、『ナワリヌイ』を観てきた。

 

 世情に詳しいわけでもない私でさえ知っている。あのナワリヌイ氏がどのように画面に登場するのか。

 2020年の毒殺未遂事件から撮り始めたというこの作品は、画面中央に座り、真っ直ぐにこちらを見ているナワリヌイ氏へのインタヴューを断続的に挟みながら、事件の真相を暴くスリリングな展開、そして再びロシアへ帰国し国土を踏むことなく連行されるナワリヌイ氏の姿、帰国するナワリヌイ氏を待ち続けて叫び、涙し、怒り、そして連行されるロシアの民衆の姿で終わる。

 それが、2021年1月。

 

 ナワリヌイ氏は言う。「自由な国を作るには、人々を束ねるしかない。」

 

 ナワリヌイ氏の家族も登場する。

 妻と娘と息子。緑あふれるドイツの郊外の町では、温かさとユーモアに溢れた家族の会話が撮影される。

 

 

 目の前の笑顔と今ここの幸せが、「自由」に担保されているということを、私達は何となく知っている。

 ナワリヌイ氏の明晰な思考と感覚は、どれだけの自由を捉え感じ取り、意識の中に構築しているのか。それは彼が「故郷」と呼び、危険を承知で「帰る権利がある」と言う、ロシアの国土と(少なくとも)同じだけはあるだろう。

 

 「何も怖くない」「恐れるな」

 SNSを駆使し、プーチン政権の汚職を暴くという「スキャンダリズム」を武器にするナワリヌイ氏は、聖人ではないし、ヒーローでもない。

 では何かと言うと、素朴な私達の、素朴な隣人である。

 だから私はこの作品を、観て良かったと思った。

 「作品」に付き物の誰かのフィルターがあるとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『ノマドランド』

2021-05-08 00:06:46 | 映画-な行

 クロエ・ジャオ監督、2020年、アメリカ。製作、主演、フランシス・マクドーマンド。

 第77回ベネチア国際映画祭金獅子賞、第45回トロント国際映画祭観客賞(最高賞)、第93回アカデミー賞作品/監督/主演女優賞。
 その他、ゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞、全米映画批評家協会賞など数々を受賞し、ネットで調べたら現時点で31の賞を受賞していた。凄いね。(「賞」っていう漢字が多すぎて、変な形に見えてきた。)


 観た後、じんわりと不思議な幸福感が味わえた。
 二人の俳優さん以外は皆、本当の「ノマド」で素人俳優だったことが驚きだった。リアルでドキュメンタリー風の作りだけど、最後は素敵な物語になってる感じ。素敵なっていうのもちょっと乱暴だけど。大自然の景色が気持ち良かった。

 孤独、過酷さ、SNSの使われ方、思い出や人との距離感。
 登場人物たちの温かさが印象的だった。

 主人公のファーンにはきっと、「開拓者」という遺伝子があるんだろう。複雑で様々な遺伝子の働きの中から、「開拓者の遺伝子」が遠い呼び声のように、彼女の体に郷愁という感情を呼び起こす。自由、誇り高き孤独、先駆者であること、冒険、そんなような精神の場所への郷愁。
 描かれる現代アメリカ社会から決して彼女は自由ではないし、そして社会やシステムと積極的に闘おうとしてるわけではない。むしろそれらを駆使し、組み込まれて生きている。誰だって当たり前にそうだけど。
 ただ、うっすらとした薄い雲の流れのように彼女の体内から漏れてくる、遺伝子の呼び声としか言いようのない何かとその働きが、画面を通して伝わってきた。正確には、何かの感情。小さくて遠いけれど、でも確かに手応えのある幸福感。


 私自身はどうだろう?ノマドライフに憧れはある。車一つで、今日はここ、明日はあっちへ、冬になれば暖かい土地へ。「さよなら」はない、「またどこかで」と言い、そしてまた必ずどこかの路上で会えるんだ、とは映画内での台詞。

 映画『ノマドランド』が、社会問題、社会現象を描き出す側面があるとしたら、約5億年前、海から地上へ上陸し始めた地球の生物たちの、環境問題を語らなければならなくなる。
 幸福感という感想を持つということは、『ノマドランド』が、ドキュメンタリー風でありつつ、非常に文学的な映画だと言うことかもしれない。


 幸せとは何か、というと難しいけど、人生の瞬間瞬間を繋いで行くと、確かに幸せのお釣りが来るのかもしれないなと思った。

 
 


『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』

2014-05-25 22:52:30 | 映画-な行
 美しさとこっけいさが、同時に現れて何とも心がおぼつかなかった。これは、人間らしいってことだろうか。

 白黒画面の美しさと、その上で繰り広げられる人間模様のこっけいさ。ハートウォーミングなんてお呼びじゃない。息子のデヴィッドが「いい景色も見れたしね。」と言う。これほどなあなあの言い草はないだろう。私は観客で良かったと思った。デヴィッドの言う「いい景色」は、私たち観客にはちっとも見えていなかった(多分)。違う景色を私たちは見ていて、心が揺さぶられていたのだ。
 ラストはね、私はもうウディは天に召されるしかないんじゃないかと思うんですよ。息子も多分、そう感じている。

 大胆だけど、ささやかで単純な親父の夢の辻褄を合わせた後、息子はどこへ行くんだろうと思う。しかし至福への旅は、アメリカン・ムーヴィーの中に続いている。輝ける、若さと策略と冒険が、そこには閉じ込められている。私たちはいつもそこへ一攫千金に帰るのだ。
 この映画を観た人は、心を残した故郷を通り一攫千金の夢へ向かう老ウディの心性と、そのドライでチープな一攫千金のからくりを、両手に持って受け入れる。
 画面の向こうのだだっ広そうなアメリカと、画面そのものの美しさが、すでに不思議な郷愁を帯びていた。
 面白かった。

 第66回カンヌ国際映画祭最優秀主演男優賞受賞(ブルース・ダン)。
 アレクサンダー・ペイン監督、2013年、アメリカ。


  

『ネイチャー』

2014-05-03 20:44:27 | 映画-な行
 BBC earth の『ネイチャー』3Dを観た。

 丁度アイザック・ディネーセンの『アフリカの日々』を読んでいる所だったので、草原のシーンなどは、本の中のシーンがよみがえって動き出したような感じがした。
 もっとも訳者の解説によれば、ディネーセン自身は「この本に、写真を入れることを拒み通した」という。著者の内部で変容し結晶したアフリカ像を、写真はとらえ得ない、ということらしい。写真というのは、当時著者が撮った写真だろうか。
 フィルムと文字では切り取り方がちがうし、浸透して行く方向がちがう、というのであれば何となく分かる気がする。そうであれば、ディネーセンの思いが描写したアフリカと、このドキュメンタリーの草原は別物ということになる。
 とは言うものの私にとっては、ディネーセンの文章に現れるアフリカと目の前の飛び出る草原は、かなり近しい。


 フラミンゴが楽しかった。火山の湖を埋めつくすようなフラミンゴの群れは、藻を食べて、赤くなる。赤くなると、今度はダンスが始まる。まだ白っぽいフラミンゴの間を、赤いフラミンゴの集団が、首を高く伸ばして練り歩く。上空から見たフラミンゴの群れは圧巻だ。

 そしてナイルワニ。「このワニたちは、一年以上食事をしていません。」って…、大丈夫なんだ。
 それからワニがヌーの群れに襲いかかり、喰らいついて水の中に引きずり込む。
 この映画の撮影期間は、たしか五百何十日だったけど、ワニたちと一緒に、撮影クルーは日一日、一年以上、水を飲みにヌーの群れがやって来るのを待っていたんだろうか。


 野生動物は、生きるために生きているようだ。種の保存のためとも言うんだろう。水を飲み、栄養をとり、眠る。生殖をし、子育てをする。命を長らえさせること、それのみのために生がある。
 人はそれではいけないんだろうか。人も、生きるために生きるんでいいんじゃないかとも時には思う。食べて寝て、それができれば万々歳。しかしそれは人に言わせれば、怠惰ということになる。
 
 生きるために生きるのが、簡単になったからだろう。もちろん社会にもよるし、野生動物に比べればということだけど。

 簡単になったとはどういうことだろうか。
 
 社会のシステムにかろうじてついて行けさえすれば、今の日本で食べ物を手に入れ、安全な場所で眠ることはそう難しくはない。ひどく簡単なのだ。

 お釈迦様ならぬ、何者かのてのひらに乗ってさえいれば。欲望と自我を何者かにゆだねきるか、もしくは殺すことができれば、日々を過ごすのはわりと簡単そうに見える。ただしその何者かは、自分ではないことだけは確かだ。

 怠惰とは何か。
 システムに乗ることが怠惰なのか、乗らないことが怠惰なのか。

 システムを作るという選択肢は、野生の世界には無さそうに見える。


 『ネイチャー』(原題は『Enchanted Kingdom 3D』)、2013年、イギリス。パトリック・モリス、ニール・ナイチンゲール監督。

       
 

『熱波』

2013-12-29 20:38:38 | 映画-な行
 プロの撮ったスナップ写真の連続のようだった。記憶と事実と嘘と幻想の間を、ゆらゆら揺れる。
 何とも切なくノスタルジックで、美しくて、ユーモラス。しかもそれのどれもが控え目ときてる。

 白黒の画面と、無声のせい?

 ノスタルジックかと思いきや、わりと「今」に重きが置かれている。(第一部と第二部に分かれている)第二部で、年老いた男の語る熱情と放蕩の地、植民地アフリカは、非常に凝って作られてはいるけれど、第一部の「今」に包括される、まさに植民地的な役割の物語でしかない。人が呼吸しているのは第一部の方で、そういう風に作られていると思う。それがまた、切ない。

 しかし暑さや寒さや色んなものが人を作っているんだなと、思った。人は分からない。
 もう一度観たい。

 ミゲル・ゴメス監督、2012年、ポルトガル・ドイツ・ブラジル・フランス合作。


     


『野菊の如き君なりき』

2013-12-14 22:16:53 | 映画-な行
 木下惠介監督、1955年。
 京橋のフィルム・センターで観る。「映画の教室」という特集。
 
 途中から、あちこちで、ずるずると鼻をすする音がしてくる。このような悲恋物には比較的耐性があるはずなんだけど、私ももうだめだ。溜まっていた涙がぷるっと膨らんで、鼻の脇をつーっと通る。

 映画の中の人たちが、本当においおいおいおい泣くので、こちらもたまらない。
 どんどんどんどん、もらい泣きをする。

 腹立たしいことに、みないい人に見える。おばあちゃんだけが、真実を語る。「あたしはね、あたしの人生の中で、死んだおじいさんと一緒になれたということだけが、本当に嬉しくて、本当にこの世に出てきて良かったと思えることなんだよ。後のことは全部同じ、あったってなくったって、どっちでもいいことばかりだよ」「お前たちもうちょっと、あの子の気持ちを考えてあげてもいいんじゃないかね、と言ってるんだ」「反対はしないけどね」

 後のことは、あったってなくったって、いいことばかり。おばあちゃんの真実だ。


 先日「西島秀俊さんが、笠智衆さんとかぶる」と言っていた人がいた。今日、そう思って見ていたら、確かに似ていた。表情とか台詞の喋り方の話だったと思うけれど、なんだか顔も似てる。伏せた目の辺りなど、そっくりに見えた。
 笠智衆さんの穏やかなお顔が、また泣ける。西島さんで泣いたことは、まだない。

 
 この後つづけて、「アメリカ無声映画選集」でエジソンとチャップリンとキートンを観た。


  木下惠介生誕100年 「野菊の如き君なりき」 [DVD]



『日本の悲劇』

2013-09-11 21:39:29 | 映画-な行
 劇場を丸ごと使うような映画だった。
 カメラの位置はたぶん五ヵ所だったと思う。観ているうちに、自分がその家に浮遊している、埃のようなものな気がしてきた。

 登場するのは仲代達矢演じる父親と、北村一輝演じるヨシオ(息子)の、ほぼ二人。ものすごいことになっていた。

 生きて行くことがつづいて行くのが悲しかった。そこに希望が混じっているのが、悲しく感じる。なんだろう、これは。とりかえしのつかない過ぎ去ったものと、そこに強制的に混じり込む希望に、胸をえぐられた。それが現在だった。

 小林政広監督、2012年。ユーロスペースにて。

   

『ニックス・ムービー -水上の稲妻』

2013-06-21 10:38:24 | 映画-な行
 予告で、ニコラス・レイ監督の特集がありますというのを見て、観に行くことに。

 『理由なき反抗』以外にニコラス・レイのことはまったく知らないけど、予告に出てきたおじさん(おじいさん?)がやたらと面白い。

 何だろう、この悲壮感というか大げさ感というか。
 予告は、長編遺作の『We Can't Go Home Again』と、妻のスーザン・レイによるドキュメンタリー、『あまり期待するな』だった。

 あまり期待するな、とは、NY大学の教授をしていたニコラス・レイが学生に言った、「教師にあまり期待するな」という言葉から取ったらしい。こうゆう身もふたもないというか、卑屈というか、妙に醒めたというか、そんな言葉にがつんときた。しかもなぜか堂々としてる。
 なので、タイトルを聞いただけで、感嘆と共に笑ってしまう。他には、ブコウスキーの「勝手に生きろ!」とか、「塵に訊け!」ジョン・ファンテ、とかね。どうして!がつくんだろうか。期待するな、にはついてませんけども。

 とにかく、このおじさんは面白い。(と思う。)

 『ニックス・ムービー -水上の稲妻』(1980年)は、どうだったかと言うと、こちらはニコラス・レイと、若き友人ヴィム・ヴェンダースの共同監督で、ニコラス・レイを撮ったドキュメンタリーだ。癌の闘病中で、死の間際のニコラス・レイ。そのニコラス・レイを主人公にして、フィクションとノン・フィクションが入り混じる。

 撮影がしばらく進んだ頃、ニコラス・レイが、突然、ヴィム・ヴェンダースにキャラクター設定を提案する。

 「音楽家で、第一線からは遠のいていて、…うんぬんかんぬん」

 ヴィム・ヴェンダース、「どうして音楽家なんだ?それは君とは違うよね?君に、君自身として、出てもらいたいんだ。そうだよね?」

 「分かった。」

 
 当時34歳のヴィム・ヴェンダースに一刀両断される、ニコラス・レイ67歳。

 こうゆうシーンが印象的で面白いと言うのも、ちょっとどうなのかなとも思うけれど。
 ニコラス・レイに、ねじれたユーモアを感じて、惹きつけられるのかも。

  ニックス・ムービー 水上の稲妻 デジタルニューマスター版 [DVD]