最近気が付いたんだけど、掃除というのはどうやら化学らしい。
これまでも重曹やクエン酸を買ってみたことはあったけれど、面倒になって、結局市販の薬剤を使っていた。
それが、汚れというのは酸性かアルカリ性で、酸性の汚れにはアルカリ性を、アルカリ性の汚れには酸性を使えばよく効くという。
と思ったら、何だか楽しくなってきて、手に取るものや目に見えるものを「これは酸性?アルカリ性?」なんて考えてみたりする。人間は、ビオレUによれば弱酸性らしい。生き物は弱酸性なんだろうか。なので人間の出す皮脂にはアルカリ性の重曹や、セキソ炭酸ソーダが効くらしい。酸性とアルカリ性が、中和して手を取り合って、なじむ様子がほほえましい。そして去って行くのだ。見方を変えて、酸性の皮脂汚れが悪、それを退治するのがアルカリ性、と思うと辟易する。
とはいえ、やっぱりこざっぱりした所に住みたいのである。
理想は、持ち物は過不足ない実用品のみ、あるべきものがあるべきところにあり(探したりしない)、物と言う物の上には塵一つ落ちていない。棚の上を指ですうっと撫でても、埃が寄ったりしない。
ぴかぴかである。ぴかぴかで、余計なものは一つもない、というのが理想。
でも自分でそうするのは難しい。たとえ一瞬出来たとしても、維持するのはまず無理だろう。物も塵も人間も、入って来ては、出て行って、そしてまた入ってくるのである。
重要なのは、なぜそうあるのか、ということだ。
それによって捉え方も違ってくる。
いくらぴかぴかの清潔できっちりゴージャスにしてあっても、場合によってはそれが窮屈や嫌味に感じられたりするかもしれない。
ホテルがぴかぴかの清潔でも嫌味に感じられないのは、「お客様に気持ち良く過ごしてもらおう」という前提を、こちらも了解しているからだ。じゃあ、自分の家をぴかぴかにする理由は。
自分自身や家族をもてなしたい、ということになる。
自分自身をもてなしたく、なくはないけれど。どちらかというと自分をもてなしたいところだけども。
この場合もてなすのも、もてなされるのも、自分である(ややこしい)。だから、もてなす自分ともてなされる自分が、適当なところで手を打つというか、そこそこなところでバランスを取るのである。だから私の場合、ぴかぴかにならない。
それでホテルだけれど、私は案外、埃が残っていたり蜘蛛の巣が張っていたりするホテルも嫌いではない。(程度によるけど)
多分、その場合は、それがそのホテルの趣き、趣向だと私の感覚が捉えるんだろう。だからむしろ、ホテル側の気配りが行き届いているとさえ言える。
そこの、そこに残った、埃のひとかたまりにさえ、綿密な心配りが行き届いているホテル。ありがとう、ホテル。ありがとう、コンシェルジュ。これも雰囲気ですね。
いや、さっさと埃取れ、て感じもするけど。
最悪なのは、心配りでない、ただのものぐさと悪意の埃ホテルに当たってしまった時だ。
その時にはさらにその先へ飛び、その、悪意と佇まいを世の中の見聞として、楽しんでしまうしかないんだろう。もちろん、二度と泊まらない。
これまでも重曹やクエン酸を買ってみたことはあったけれど、面倒になって、結局市販の薬剤を使っていた。
それが、汚れというのは酸性かアルカリ性で、酸性の汚れにはアルカリ性を、アルカリ性の汚れには酸性を使えばよく効くという。
と思ったら、何だか楽しくなってきて、手に取るものや目に見えるものを「これは酸性?アルカリ性?」なんて考えてみたりする。人間は、ビオレUによれば弱酸性らしい。生き物は弱酸性なんだろうか。なので人間の出す皮脂にはアルカリ性の重曹や、セキソ炭酸ソーダが効くらしい。酸性とアルカリ性が、中和して手を取り合って、なじむ様子がほほえましい。そして去って行くのだ。見方を変えて、酸性の皮脂汚れが悪、それを退治するのがアルカリ性、と思うと辟易する。
とはいえ、やっぱりこざっぱりした所に住みたいのである。
理想は、持ち物は過不足ない実用品のみ、あるべきものがあるべきところにあり(探したりしない)、物と言う物の上には塵一つ落ちていない。棚の上を指ですうっと撫でても、埃が寄ったりしない。
ぴかぴかである。ぴかぴかで、余計なものは一つもない、というのが理想。
でも自分でそうするのは難しい。たとえ一瞬出来たとしても、維持するのはまず無理だろう。物も塵も人間も、入って来ては、出て行って、そしてまた入ってくるのである。
重要なのは、なぜそうあるのか、ということだ。
それによって捉え方も違ってくる。
いくらぴかぴかの清潔できっちりゴージャスにしてあっても、場合によってはそれが窮屈や嫌味に感じられたりするかもしれない。
ホテルがぴかぴかの清潔でも嫌味に感じられないのは、「お客様に気持ち良く過ごしてもらおう」という前提を、こちらも了解しているからだ。じゃあ、自分の家をぴかぴかにする理由は。
自分自身や家族をもてなしたい、ということになる。
自分自身をもてなしたく、なくはないけれど。どちらかというと自分をもてなしたいところだけども。
この場合もてなすのも、もてなされるのも、自分である(ややこしい)。だから、もてなす自分ともてなされる自分が、適当なところで手を打つというか、そこそこなところでバランスを取るのである。だから私の場合、ぴかぴかにならない。
それでホテルだけれど、私は案外、埃が残っていたり蜘蛛の巣が張っていたりするホテルも嫌いではない。(程度によるけど)
多分、その場合は、それがそのホテルの趣き、趣向だと私の感覚が捉えるんだろう。だからむしろ、ホテル側の気配りが行き届いているとさえ言える。
そこの、そこに残った、埃のひとかたまりにさえ、綿密な心配りが行き届いているホテル。ありがとう、ホテル。ありがとう、コンシェルジュ。これも雰囲気ですね。
いや、さっさと埃取れ、て感じもするけど。
最悪なのは、心配りでない、ただのものぐさと悪意の埃ホテルに当たってしまった時だ。
その時にはさらにその先へ飛び、その、悪意と佇まいを世の中の見聞として、楽しんでしまうしかないんだろう。もちろん、二度と泊まらない。