tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

『熱波』

2013-12-29 20:38:38 | 映画-な行
 プロの撮ったスナップ写真の連続のようだった。記憶と事実と嘘と幻想の間を、ゆらゆら揺れる。
 何とも切なくノスタルジックで、美しくて、ユーモラス。しかもそれのどれもが控え目ときてる。

 白黒の画面と、無声のせい?

 ノスタルジックかと思いきや、わりと「今」に重きが置かれている。(第一部と第二部に分かれている)第二部で、年老いた男の語る熱情と放蕩の地、植民地アフリカは、非常に凝って作られてはいるけれど、第一部の「今」に包括される、まさに植民地的な役割の物語でしかない。人が呼吸しているのは第一部の方で、そういう風に作られていると思う。それがまた、切ない。

 しかし暑さや寒さや色んなものが人を作っているんだなと、思った。人は分からない。
 もう一度観たい。

 ミゲル・ゴメス監督、2012年、ポルトガル・ドイツ・ブラジル・フランス合作。


     


『ゼロ・グラビティ』

2013-12-21 21:55:19 | 映画-さ行
 『ゼロ・グラビティ』を観に行った。IMAX、3Dにて。

 前評判通り、腰が抜けそうになった。

 いえ、腰が抜けそうになるという評判は、私の耳はキャッチしなかった。
 しかし、すごい!という評判は、じゃ何がすごいのかと言うと私の場合、腰が抜けそうになるという体幹にかかわる反応で現れたのであった。
 

 海を漂流する、野原を放浪する、山をさまよう、埋められる、投げられる、猛スピードで落ちる。

 どれも遠慮したい。
 今、宇宙も遠慮したい。

 アルフォンソ・キュアロン監督、2013年、米。
 登場するのがサンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーの二人だけというのも面白かった。(厳密には後何人か)


『リヴ&イングマール ある愛の風景』

2013-12-16 21:56:51 | 映画-ら行
 ノルウェー出身の女優、リヴ・ウルマンと、スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマン監督の、出会いから、40年以上にわたる交流と絆を描き出したドキュメンタリー。


 二人は結婚はせず、5年間一緒に暮らして、一人女の子をもうけた。二人が暮らしていたのは、スウェーデンの小さな島、フォーロー島だ。本土から東に90㎞、バルト海南部にあるゴットランド島の、北にある。

 ゴットランド島はスウェーデンで一番大きな島で、観光と農業の島、フォーロー島はその北端からフェリーに乗って行けるらしい。ベルイマン監督の『仮面(ペルソナ)』の撮影地で、1964年、その撮影のために二人は出会い、そのままここで5年間を過ごした。

 撮影スタッフと遊んだことを「皆が子供のようだった」と楽しそうに話し、また塀の作られた二人の家は牢獄のようだったと、リヴ・ウルマンは微笑みながら語る。
 小さな島は、聖地でもあり、牢獄でもあり、撮影地でもあり、ただの島でもあった。
 イングマールはそこに住み続け、リヴはニューヨークへ行った。

 ここで語られないことは沢山あるんだろうけれど(その後二人とも別の人と結婚しているのだし)、映し出される小さな島の佇まいと、静けさは、ここが二人にとっての特別な王国なのだという感じがする。

 
 始終微笑みながら、きめ細やかに感情や関係を語っていたリヴ・ウルマンが、ベルイマンが亡くなった時のことを語り、その後涙をこぼしたシーンが、印象的だった。しばらくして、「こんなにイングマールが恋しかったなんて」と、やっぱり微笑みながらカメラに言った。語り終わってしまったのだから、またベルイマンがふいっとどこかへ行ってしまったような気がしたんだろうか。

 ベルイマンの作品の中では、亡くなった息子はいつでもそばにいるとリヴが語るシーンがある。(このシーンも映画の中で使われていた。)


 イングマール・ベルイマンは、2007年に89歳で亡くなっている。25歳年下のリヴ・ウルマンのインタヴューと、撮影風景などの映像や作品中の場面などで進んで行った。
 ディーラージ・アコルカール監督、2012年、ノルウェー・スウェーデン・イギリス・チェコ・インド合作。


 
     


『野菊の如き君なりき』

2013-12-14 22:16:53 | 映画-な行
 木下惠介監督、1955年。
 京橋のフィルム・センターで観る。「映画の教室」という特集。
 
 途中から、あちこちで、ずるずると鼻をすする音がしてくる。このような悲恋物には比較的耐性があるはずなんだけど、私ももうだめだ。溜まっていた涙がぷるっと膨らんで、鼻の脇をつーっと通る。

 映画の中の人たちが、本当においおいおいおい泣くので、こちらもたまらない。
 どんどんどんどん、もらい泣きをする。

 腹立たしいことに、みないい人に見える。おばあちゃんだけが、真実を語る。「あたしはね、あたしの人生の中で、死んだおじいさんと一緒になれたということだけが、本当に嬉しくて、本当にこの世に出てきて良かったと思えることなんだよ。後のことは全部同じ、あったってなくったって、どっちでもいいことばかりだよ」「お前たちもうちょっと、あの子の気持ちを考えてあげてもいいんじゃないかね、と言ってるんだ」「反対はしないけどね」

 後のことは、あったってなくったって、いいことばかり。おばあちゃんの真実だ。


 先日「西島秀俊さんが、笠智衆さんとかぶる」と言っていた人がいた。今日、そう思って見ていたら、確かに似ていた。表情とか台詞の喋り方の話だったと思うけれど、なんだか顔も似てる。伏せた目の辺りなど、そっくりに見えた。
 笠智衆さんの穏やかなお顔が、また泣ける。西島さんで泣いたことは、まだない。

 
 この後つづけて、「アメリカ無声映画選集」でエジソンとチャップリンとキートンを観た。


  木下惠介生誕100年 「野菊の如き君なりき」 [DVD]



中国インディペンデント映画祭2013

2013-12-09 22:28:47 | 日記
 5作品、観ることができた。

 ポン・タオ監督 『嫁ぐ死体』、リー・ルイジン監督 『白鶴に乗って』、チュウ・ジョンジョン監督 『マダム』、ウー・ウェングアン監督 『治療』、シュー・トン監督 『唐爺さん』。後ろの三つはドキュメンタリーだった。

 上映後のトークなどで聞きかじった話だけれど、中国では検閲があるので、今回の映画祭で上映された作品のほぼすべては、映画館での一般公開という意味では中国国内では上映されないらしい。普通には観ることが出来ない。なので監督たちは、外国の映画祭(今回のような)での上映を目指すか、もしくは検閲を通るために様々なシーンをカットした、国内用のものを作ることになる。
 唯一、子供が主人公で、子供を追ったストーリーの作品だけが、上映許可が下りたらしい。そういう傾向ということだ。イランと同じである。子供の映画は楽しいことが多いし、いい映画も沢山あって好きだけれど、誰だって、いつかは大人になるのだ。ならざるを得ない。大人になってみると、何もないなんてことがあっていいのだろうか。キョンシーや、時代がかった盗賊や貴族だけが大人ではない。(キョンシ―って大人とかあるのか分からないけど。)

 それで、TⅤで見る中国と言うと、漁船とかコピーネズミとかばかりでもう見飽きたようにも思うので、こういう映画も上映したら面白いんじゃないだろうか。もちろん、敬意を込めて。見方によっては(たとえば検閲元の中国政府から見れば)、経済発展と何の関係もなく、そして強く正しいばかりじゃない中国を出すなと、お怒りの面もあるかもしれないけれど、そこにはとても美しい景色があり、また出てくる人たちは、泣きもし笑いもし、美しい人たちばかりだからだ。それは、監督たちが一つ一つ丁寧に拾い上げ、大切にしている中国のはずだ。