tokyoonsen(件の映画と日々のこと)

主に映画鑑賞の記録を書いています。

『ジャッキー・コーガン』

2013-04-30 22:50:37 | 映画-さ行
 大画面と大音響でスカッとしたい、とアウトレットモールにあるシネコンへ。平日とは言え、GW中のアウトレットモールの駐車場は混んでいた。並んでいたので、もしや入れない?と思いきや、別の入り口の駐車場は案外と空いていた。ああ、良かった。


 『ジャッキー・コーガン』、アンドリュー・ドミニク監督、2012年、アメリカ。

 ジャッキー・コーガンが、けっこう変な人だったな。「何をやったかではなくて、何をやったと思われているかが重要なんだ。」なんて言う。殺し屋のくせに、ケア・マネージャーと言うか、社会福祉士の資格を持っているんじゃないかと思うような振る舞いをする。心の機微というか、人の世の成り立ちのようなものに心を砕くのだ。それが彼のビジネス・スタイル、とは言え。

 原作(ジョージ・V・ヒギンズ『Cogan's Trade』)は1974年のものなので、映画の中でマケインとオバマの選挙戦や、その後のオバマ大統領の演説が流れるのは、映画用の時代設定があるということだろう。
 こう言ってしまうと面白くもなくなっちゃうけど、国と個人の幻想を対比させているんだろうか。「アメリカっていうのは国じゃない、ビジネスだ。」というセリフで、ようやく繋がりかける。ジャッキー・コーガンっていう人は、きっとロマンチストなんだな。「ビジネスなんだ」という価値観に、体重を掛けていこうとするんだから。それが美学なのかしら。

 ジャッキー・コーガンは、何をやったと思われてるか。

 正直言って、今回(?)そう大したことはしてないように思われる。もうちょっと、うわーすごーい!に違いない、と思われるようなイメージ戦略をコーガン氏が考えていてくれれば、このタイトルで良かったと思うけれど、観た後では、原題の『Killing Them Softly』で良かったんじゃないかとか思うのだった。
 
 製作・主演のブラッド・ピットは、わりと思索的な作品が好きなよう。今回のこの映画のシブさを生かして、ジャッキー・コーガンが脇役的に出てくるシリーズを作ってくれたら、もっと好き。他を派手にしてね。ジャッキー・コーガン、やっぱり大して何もしないみたいな。

ジャッキー・コーガン

『宝島』(1950年)

2013-04-22 21:15:19 | 映画-た行

 先日、本屋の軒先のワゴン・セールに通りかかり、購入したDVD4本のうちの1本。バイロン・ハスキン監督、1950年、アメリカ。

 ロバート・ルイス・スチーブンソン作、『宝島』。子供の頃、読んだような、読まないような。
 でも知っているのである。
 いや知らないのである。

 「宝島」という島のことを誰が言いだしたのか。どうやらスチーブンソンさんが言いだしたようだ。大海賊フリント船長の宝が埋まっている。
 宝島を巡るお話は、そこいら中を巻き込んで、プラマイゼロにして行く装置のようで楽しい。世の中にはたくさん、「宝島」と名付けられたところがあると思うけど(雑誌もあるし)、これもすべて、スチーブンソンさんのおかげである。ぱちぱち。

 たいてい現実的で合理的で残酷な海賊の親分も、「宝島」という島のおかげでちょっとかわいらしい。

 ディズニーの初の実写映画ということ。

 

 


『チャップリンのカルメン』(生演奏付)

2013-04-20 21:32:29 | 映画-た行
 「アルテリッカしんゆり2013 プレイベント 無声映画と音楽の午後」で、『チャップリンのカルメン』を観てきた。1915年の作品。

 昭和音楽大学の学生さんたちが音楽をつけている。大画面で、生演奏付きということで、楽しみにしていた。
 ただ今日は久しぶりの雨。しかも寒い。春が来たと言ってもまだまだ油断はならないと思ってはいたけど、やっぱり5月にならないと行ったり来たり?寒がりなので、家の冬物をかきあつめ、着こんで出掛けた。

 デジタルリマスター版ということで、とてもきれいだった。
 途中で色合いが変わる。黒白から青白へ。カルメン役のエドナ・パーヴィアンスは、現実でもチャップリンのパートナーで、奥さんとのこと。ラストがとてもよかった。顔を見合わせた二人の笑顔は、幸福そのもの。こんな瞬間が見られるなんて、思っていなかった。
 もともとは悲劇の『カルメン』を喜劇にパロった作品なので、何かのメッセージがあるわけではなく、すがすがしくて印象的。
 音楽もまた、盛り上げてくれた。にしても、どうやったら、あんな動きが出来るんだろう?

愛は寄生に似ている、とか

2013-04-19 23:18:57 | 日記
 今日の夜は、想田和弘監督の観察映画、『演劇1』『演劇2』で観察のターゲットになっていた、平田オリザさんのお芝居を観に行った。

 『この生は受け入れがたし』。
 東北のとある大学の、寄生虫研究室が舞台だった。お芝居に出てきた学者の奥さんは寄生虫を相当嫌がっていた。そこまで嫌かなあ。私はそんな嫌でもないけど。怖いもの見たさかもしれないけど。
 愛は寄生に似ている。
 平田オリザさんがそう言いたかったのかは分からないけど、観ているうちに、寄生の形は複雑すぎて愛おしいという気がしてきた。比べたら、共生という概念はわりとシンプルかもしれない。寄生は愛おしい、でも間違った宿主に寄生すると暴力になってしまう。とか。寄生虫はそういうことらしいです。

 映画を観ていたからか、こまばアゴラ劇場は初めてな気がしなかった。今日は昼間も人混みの中にいて、アゴラ劇場もぎゅうぎゅう詰め。帰りの電車も満員電車だったけど、あんまり疲れた気がしない。
 

『最初の人間』

2013-04-18 20:45:30 | 映画-さ行
 アルベール・カミュの未完小説の映画化ということ。

 アルジェリア出身のフランス人作家が、母を訪ねて、故郷のアルジェリアを訪れる。幼少期の回想と、紛争の激化しつつある現代(1958年)のアルジェリアが、境目も透明に、交互に映し出される。
 なにか粛々とした気分になる。ほぼ自伝と言われている小説が原作なので、映画全体が、カミュの心のうちを探っているようにも思える。

 曖昧で、引き裂かれて、宙吊りになっていて、未完。
 カミュの心境は分かりようがないし、ついでに監督の心境も分からないけど、画面のアルジェリアの太陽と、海と熱気の中では、それが普通のあり方にも思えてくる。そういう立ち方は、バランス感覚と、周囲の環境が(たとえば太陽)しっかりと支えてくれることが必要なのかも。見えない布団(?)みたいに。故郷とは、見えない布団である。なんだそりゃ。あと母もかな。

 新潮社から去年文庫本が出ているようなので、アルジェリアの(映画の中の)景色を思い浮かべながら、原作を読みたいと思った。たぶん、「最初の人間」が何を意味しているのか気になるから。曖昧でもいいけど。(ただ単に、ああいう景色が好きなのかもしれない。)
 ジャンニ・アメリオ監督、2011年、フランス・イタリア・アルジェリア。


 
 
 

『合衆国最後の日』

2013-04-13 20:14:30 | 映画-か行
 『カルフォルニア・ドールズ』に続いて、こちらも観に行く。
 面白かったし、好きだったので、劇場で買った『ロバート・オルドリッチ読本1』を読む。こちらはそんなに面白い気はしないけど。

 始まり方と終わり方が、とても格好よくて好きだった。

 77年に作られた映画で、舞台は81年の設定。単にこの頃の手法が好きなのかもしれないけど、あまり比較対象がないので(自分に)、分からない。
 オープニングにクレジットが入る。バックは、逆光の自由の女神を、斜め後ろから写した写真だった。動画ではない。向こうの波は動かないし、夕日も動かず。音楽と共に、気持ちよすぎて30分くらいこのままでいいんじゃないかと思った。

 ラストはカメラが引いていく。
 どんどんどんどん引いていく。芝生の上の真っ直ぐな道。距離感が、観ている私からどんどん人物を引き離して行く。合衆国は最後ではないんだなと、芝生の上の無機質な道を見ながら思った。


 『ロッキー』のポーリーン役、バート・ヤングが(ちょっと)活躍している。
 まくしたてているし、視線の焦点がコンマ以下で動いていてすごい。役柄の印象と違ってこの人は、歴史小説を出版しているらしい(読本より)。歴史好きなのか。

 1977年、アメリカ・西ドイツ。ロバート・アルドリッチ監督。

合衆国最後の日 Blu-ray



 

『ホーリー・モーターズ』

2013-04-11 21:18:17 | 映画-は行
 もう一回観たいな。
 一つ一つの場面は印象的で、えええ~、ほんとに~、という感じの出来事が続いて行くんだけど、全体として、何故あんなハード・ワークを(毎日)こなしているのか、それを知りたい。運転手のおばちゃんもね。疲れすぎです。わざと疲れを見せてるんでしょ。そして。

 主演のドニ・ラヴァンの筋肉が重そうだ。
 ドニ・ラヴァンを見ているだけで面白くて、主演に拠ってるところも大きいように思う。しかし劇場の壁に貼ってあったインタヴューによれば、監督は、主演がどこに住んでいるかも知らないらしい。文通はしてないんだな、と思った。なんてね。

 ラストは、何だったんだろう。単にやりたいだけという解釈しか思いつかない。それとも何か大切なオチなのか?

 もしもう一回観ることがあれば、ラストの5分は観ずに、席を立とう。と言って、やっぱり観ちゃうんだろうけど。レオン・カラックス監督、2012年フランス・ドイツ。


『カルフォルニア・ドールズ』

2013-04-10 21:40:50 | 映画-か行
 何か面白いことはないかな。あった。『カルフォルニア・ドールズ』、ロバート・アルドリッチ監督、1981年アメリカ。

 この映画を観る限り(他のは観たことがない)、この監督は、最高の皮肉屋なんじゃないか。な感じがする。

 皮肉が皮肉すぎて、ストレートになりかかっている。
 だといいなあ。
 だといいなあ。
 なぜこの、半裸の流浪の天使たちと格言好きのマネージャーを描いたのか。泣けるじゃないか!泣けるじゃないか!それ以外に言うことが見つからない。(だからって二度言うなって)
 

『地雷を踏む勇気』 小田嶋隆

2013-04-08 21:08:48 | 
 小田嶋隆著、『地雷を踏む勇気』(技術評論社、2011年)を読んだ。ウェブマガジンの「日経ビジネスオンライン」で著者が連載しているコラムの原稿を、まとめたものということだった。

 三部に分かれていて、書かれた時期で言えば、1章目_震災の後、2章目_震災直後、3章目_震災前・と後、という印象だった。実際に日付を見れば前後してるし、章の中の並びも時系列順ではないけど。あくまで読んだ時の印象で。どうしてこういう章立てにしたのかは、書いてないので分からない。


 震災直後の辺りは、なかなか読み進められなかった。読むのがちょっと辛いというか。

 週刊のコラムが元になっているからか、なんだか生々しさがあったのかも。それは文面が感情的だとかそういう事ではなくて、とても理性的で丁寧で、著者自身の思考を追っている、分かりやすくて噛み砕かれた、私にも読みやすい文章なんだけど、…う~ん、たぶん私自身の問題なんだろう。

 震災の直後はずいぶんと、色々な「違い」が、際立って意識された。見解の違い、感覚の違い、状況の違い、立場の違い、国籍の違い、性別の違い。見解の違い、なんていうものじゃないな。やっぱりもっと感覚的な感じがする。何にしても、コラムの中にも出てきた、震災後のあらゆるメッセージ、たとえば「ひとつになろう日本」とは、ずいぶん違う方向だった。たまたま個人的な状況からそうだった、ということかもしれないけど。
 そんな意識を、自分では気づかないフリをして、知らんぷりして振舞っていた。過ごしていた。
 そういうことを、思い出すのかもしれない。

 震災の後は終わってないけど、震災直後は確実に終わっている。小田嶋さんのこの本も、震災の後、に照準は当てられてる。と思う。そう思うと、この章立てがそういう意味を持ってくる。

地雷を踏む勇気 ~人生のとるにたらない警句 (生きる技術!叢書)

『ハンガー・ゲーム』

2013-04-07 20:52:16 | 映画-は行
 DVDで観た。ゲイリー・ロス監督、2012年、アメリカ。

 一緒に観ていた旦那が、「これは続きがあるな。」と言う。なんと。その通りだ。その名も『ハンガー・ゲーム キャッチング・ファイアー』。2013年12月公開予定。タイトルから想像すると、どうやら火をキャッチするらしい。そのままだ。でもすごいぞ。それ以上分からん。

 主演のジェニファー・ローレンス。注目の若手女優ということだけど、ほんとうに目が惹きつけられる。『ウィンターズ・ボーン』の役柄も、今回のカットニス役も、狩りの上手な姉御役だ。情の深い彼女たち(役)は、守るものをはっきりと持っていた。狂気におちいらずに、正しい執着というのがあるんだとすれば、無口な彼女はぴったりだと思う。喋り始めれば狂気があふれ出てくるような気がして、その匂いもまた心地よい気がする。正しい狂気は行動する。正しい狂気?要するに、ジェニファー・ローレンスの説得力のことだけど。

 2月に公開されたらしい、『世界にひとつのプレイブック』を見逃してしまった。残念。またDVDで観よう。面白いのかな。