青春切符ってある。JR。飯田線の場合、飯田近郊から名古屋圏(二川~大垣間)まで。
一方、建設中の三遠南信自動車道。青春切符で図らずも、今日、一周して来ました(巡礼でした)。
ほぼ朝一番の7:20下山駅発・22:45最終着。
豊橋まで、片道ほぼ4時間。トンネル・ウンザリの感じた余分の時間別として。そこから、浜松まで30分。やはり片道のみ、そして鈍行。
何年振りかの飯田線->東海道線。特に、東京方面とは。
200余のトンネルは今回、ウンザリしなかった。きっと、感受性が鈍っている。老いを感じた。
唯一、湯谷に懐かしさを覚えた。
「飯田線も昔は、弁当・お茶を売りに来たのに…。」
一抹の寂寥。でも、萌えるような濃い緑と煩い程の蝉の鳴声。(と言いたいが、快晴にも蝉は不在。したがって、羽のような透明の声ばかり)は相変わらずだった。
輻輳するが、長野県・岐阜県・愛知県・静岡県。何故か途中、“富山村”(一番日本で小さい村)。え、富山県も?とビックリするオマケも。まあ、東京神田富山房、文学序でに。
しこたま、予備校問題集を持っていって、専門書と併せて車中・喫茶で読む予定が、偶々寄った豊橋のb店で古本を買い込んだ。教育関係。何時ものパターンに嵌ってしまう。トホホです。
昼は名古屋コーチン・カツ弁。夜はy店(!)の鰻丼。少しすべるけど一応地のものを食べました。バチが当たる程の許す限りの贅沢でした。
旅一番の印象は、カトリック浜松教会。それと、バス亭から其処に行くまでの町並み。
秋田に行った時もそうだったけど、駅から大分乗る、バスで。小高い山、登る、そして。
浜松は分譲(貧しい比喩で済みません)の雰囲気がまだまだ残る、静かな極めて都会の田園風景。3・4年前巡礼した、瀬戸教会も10年程前はそんな雰囲気だったんじゃないかな?そう感じる。
建物は素晴らしい。環境・外観は、秋田の聖体奉仕会を彷彿とさせた。そして、お御堂の中は、別世界!まるで、富士見ベネディクト会の大掛かりなもの、それをそのままscale upした感じ。窓からの緑も鮮やかです。まるで、ステンド・グラス、そんな錯覚も。
祈りを捧げて、山口夫妻とお会いしました。
ブラジル・ペルー・フィリピンの信者さん達の数々の本当に大きな問題の解決に尽力されて来て、生活をそれに捧げていらっしゃる。
経済から始まり、家族そのものまでの、彼らのギリギリな苦しみの中で、公共の場担当者と、長年交渉をやって来られたとか。ああいった話し・こういった話し、様々な話しを伺うことが出来、大変有り難かったです。
庭では、将にそのブラジルの人達が明日のイベントのリハーサルに余念がありません。リオ雰囲気の音楽が流れて、中庭では、ダンスのオン・パレード。
一日も早い、浜松外国籍の信者さん達の解決をお祈り申し上げます。
帰り、自動車道の建設中かな。そんなところ、見掛けました。夕陽の中、周りの広大な田圃と相俟って東海を感じる。海も鉄橋付近で遠く見ました。
帰りは、窓外が漆黒の中、他の客不在の何時もの列車の中、疲れで座ると寝てしまうので、立ったまま、専門を読み耽りました。
そして、漆黒の闇とアンバランスに、耳元に、ウォークマンからのHayley Wenstraが何時迄も鳴り響いていました。
…古本・喫茶・カトリック。様々なところを訪れますが、終ってみるとパターンは、結局皆、同じです。
でも、今回、豊橋駅前モニュメントと、広い丘を取り巻く田園と閑静な住宅、遠く見えた夕陽の鉄橋、海と。あと、茶畑の風景の中に、土曜ママさんテニスを見掛けました。
浜松-飯田をJRで、将来結ぶ。当然、自動車道を伴走。
夏の大空に上がるロブのような、入道雲に紛れるストップ・モーション、ルポでした。
一方、建設中の三遠南信自動車道。青春切符で図らずも、今日、一周して来ました(巡礼でした)。
ほぼ朝一番の7:20下山駅発・22:45最終着。
豊橋まで、片道ほぼ4時間。トンネル・ウンザリの感じた余分の時間別として。そこから、浜松まで30分。やはり片道のみ、そして鈍行。
何年振りかの飯田線->東海道線。特に、東京方面とは。
200余のトンネルは今回、ウンザリしなかった。きっと、感受性が鈍っている。老いを感じた。
唯一、湯谷に懐かしさを覚えた。
「飯田線も昔は、弁当・お茶を売りに来たのに…。」
一抹の寂寥。でも、萌えるような濃い緑と煩い程の蝉の鳴声。(と言いたいが、快晴にも蝉は不在。したがって、羽のような透明の声ばかり)は相変わらずだった。
輻輳するが、長野県・岐阜県・愛知県・静岡県。何故か途中、“富山村”(一番日本で小さい村)。え、富山県も?とビックリするオマケも。まあ、東京神田富山房、文学序でに。
しこたま、予備校問題集を持っていって、専門書と併せて車中・喫茶で読む予定が、偶々寄った豊橋のb店で古本を買い込んだ。教育関係。何時ものパターンに嵌ってしまう。トホホです。
昼は名古屋コーチン・カツ弁。夜はy店(!)の鰻丼。少しすべるけど一応地のものを食べました。バチが当たる程の許す限りの贅沢でした。
旅一番の印象は、カトリック浜松教会。それと、バス亭から其処に行くまでの町並み。
秋田に行った時もそうだったけど、駅から大分乗る、バスで。小高い山、登る、そして。
浜松は分譲(貧しい比喩で済みません)の雰囲気がまだまだ残る、静かな極めて都会の田園風景。3・4年前巡礼した、瀬戸教会も10年程前はそんな雰囲気だったんじゃないかな?そう感じる。
建物は素晴らしい。環境・外観は、秋田の聖体奉仕会を彷彿とさせた。そして、お御堂の中は、別世界!まるで、富士見ベネディクト会の大掛かりなもの、それをそのままscale upした感じ。窓からの緑も鮮やかです。まるで、ステンド・グラス、そんな錯覚も。
祈りを捧げて、山口夫妻とお会いしました。
ブラジル・ペルー・フィリピンの信者さん達の数々の本当に大きな問題の解決に尽力されて来て、生活をそれに捧げていらっしゃる。
経済から始まり、家族そのものまでの、彼らのギリギリな苦しみの中で、公共の場担当者と、長年交渉をやって来られたとか。ああいった話し・こういった話し、様々な話しを伺うことが出来、大変有り難かったです。
庭では、将にそのブラジルの人達が明日のイベントのリハーサルに余念がありません。リオ雰囲気の音楽が流れて、中庭では、ダンスのオン・パレード。
一日も早い、浜松外国籍の信者さん達の解決をお祈り申し上げます。
帰り、自動車道の建設中かな。そんなところ、見掛けました。夕陽の中、周りの広大な田圃と相俟って東海を感じる。海も鉄橋付近で遠く見ました。
帰りは、窓外が漆黒の中、他の客不在の何時もの列車の中、疲れで座ると寝てしまうので、立ったまま、専門を読み耽りました。
そして、漆黒の闇とアンバランスに、耳元に、ウォークマンからのHayley Wenstraが何時迄も鳴り響いていました。
…古本・喫茶・カトリック。様々なところを訪れますが、終ってみるとパターンは、結局皆、同じです。
でも、今回、豊橋駅前モニュメントと、広い丘を取り巻く田園と閑静な住宅、遠く見えた夕陽の鉄橋、海と。あと、茶畑の風景の中に、土曜ママさんテニスを見掛けました。
浜松-飯田をJRで、将来結ぶ。当然、自動車道を伴走。
夏の大空に上がるロブのような、入道雲に紛れるストップ・モーション、ルポでした。