St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

朝日新聞さん、今日の書評欄「漂流」を読んで-雑感

2009-07-27 02:52:01 | Weblog
今日の朝日さん、筒井先生の書評「漂流」について雑感。
A・シンクレアとJ・ロンドン。
先ず、後者から、“Call of the Wild”は高校で原書で読んだ記憶が。
氏にもう一作、野生から飼育へ、の作もあった気がする。
端的に、シートンから、J・アダムス、或いは、ファーブルへの転換と思う。夢を壊すようで申し訳ないが、行動学のローレンツは、シートンは動物を擬人化した点で後者2つと厳密に区別している。却って、「森のロルフ」、インディアンが良い。
J・アダムス2作は名作だ。大人の愛に満ちている。
「遥かなる子熊の森」も同じ系列。
近隣の喬木村は、椋鳩十先生の生地でご活躍の場所。記念館もある。氏の講演を小学5年の時に聞く。やはり、5年で全巻読破する。
主任神父様の農村はその隣。豊丘村。何処かで同じと思っている部分もある。
最近、動物文学より行動学を好む。思索社。
前者。未知。キリストの再臨。しかも、ハリウッドに。
だから今、「屋根の上のバイオリン弾き」を見返していた。二十歳でリバイバルを馬場の場末で見て、涙が止まらなかった記憶が蘇る。
作中、ユダヤ教の人々の中、自由思想を携えて移る若者がいる。(「初恋の来た道」をも連想)
彼らに準えたのか?父親の方なのか?
紹介では、共産主義者に。しかも、冒涜のパロディーとある。
「神と富とに仕えることが出来ない。」「すべてを貧しい人に施してわたしについて来なさい。」
コメントは控える。
むしろ、「地上に信仰を見出すだろうか?」「再臨に人々は悲しんだ。」、そして、黙示録。そして、マリア様の言葉、「浄めの時」。
作が何かの転換点となれば良い、と思った…。筈だが?
考えてみれば、キリスト教文学の、というか人間の営みの最高傑作の一つは、ドストエフスキー。既に書かれている。
氏の文学のすべての登場人物の中に、例えラスコールニコフ(だっけ?)といえども、キリストを見出すだろう。
20世紀にカトリックの作家、キリスト教をテーマに多くの作家が輩出した。
中には、共産主義から沈黙の後転じて、過剰とも云えるカトリックの信仰によって書き、まるで祈りのような文体だ、と評される「ジャンヌ・ダルク」のフランスの戯曲家もいる。(済みません名前が不詳です。周知と思う。)
19世紀、「彼方」のユイスマンは、後年、やはり過激とも云えるカトリック信仰で「大伽藍」を書く。そもそも、先輩のベルレーヌは晩年、信仰の詩しか書かない。そして、若い時の詩を否定し、寧ろ悔いている。
彼らに何が起こったか、をこそ知りたい。
そして、むしろ、聖フランシスコの「小さき花」中、「金銀青銅のキリスト」を皮切りに全作をこそ読み解きたい。