St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

「愛への道」より、祈り

2009-07-29 12:36:57 | Weblog
「愛への道」(ヨハネ・ザ・クロス)より、祈り
手紙319
「全く沈黙に包まれて、すべての徳を実行しつつ働き苦しむことによる以外には、進歩を続けることは不可能です。」
・神よ、わたしはあなたのの本質を求めず、一時の楽しみ・喜び・愛情を求めてしまいがちです。そのため、心は動揺し、不安になります。それらは、どんなに崇高であろうと、あなたの物ではありません。御言葉に忠実に生きること、御国の為に働くこと、そして御名によって苦しむこと。今日一日を正しい態度で生きたいと思います。わたしを助け導いてください。主イエス・キリストの御名によって、アーメン。
引用文献:「愛への道」(十字架の聖ヨハネ;カルメル修道会編;聖母文庫)

「写信州その1」岡谷の風景(2)

2009-07-28 13:45:45 | Weblog
 「写信州」長野県の風景を折に触れ掲載することにしました。極平凡な写真ですが、見て頂ければ幸いです。今回は、岡谷。チェナクルム=「司祭のマリア運動」が全国の教会で行われています。飯田から春日井教会が一番近い。次に近い岡谷などでもやっているそうです。春日井は第1土曜日・岡谷は第2土曜日なので、今週末など。近くのチェナクルムに参加してください。わたしは春日井に行きたい(初参加)のですが。会員になってますし。実は、飯田教会で、松井神父様の黙想会が有ります。そっちか松川のミサに与かります。



















写信州その1-岡谷(1)

2009-07-28 13:43:00 | Weblog
 信州の風景を掲載す?E海箸砲靴泙靴拭?br />「写信州」。平凡な写真ですが、拝見頂け?E藩④?E颪い任后茲困麓?E呂瓩任后2㎠良福?br />チェナク?E燹瓠峪丙廚離泪?E親亜廚換颪龍飢颪嚢圓?E?E討い泙后H單弔㎠藹嫺?E罎?E峩瓩ぁ,剖瓩げ㎠覆匹任發笋辰討い?E修Δ任后B茖嬰斃貌?E搬茖嘉斃貌?E覆里如∈桔ν莉桔6瓩離船Д淵?E爐忙臆辰靴討世気ぁ?E燭靴禄嫺?E罎帽圓④燭い里任垢♤2餔砲覆辰討泙垢掘造蓮單超飢颪如⊂尚羶隻稷佑量杼朮颪⇆④蠅泙后修辰舛樟離潺気僕燭㎠蠅泙后?br />

















「いいだのにんぎょうげき’09」あんない

2009-07-28 00:32:20 | アート・文化

 飯田人形劇フェスタ‘09 の案内だに

「うーんとな、今年もな、人形劇ちゅうもんをやるんな。」
「みんな知っとるら、もう何年になるかな。」
「「新たな一歩。飯田フェス始まるよ」ってゆうとるけん、もうだいぶなるわさ。」
「でんもよ、なんちゅっても、テーマっちゅうもんがあるだがや。それ何や。あん?」
「ん、「やっぱり人形劇、おもしろい」だら。」
「そうなんだに。」
「で、こんとしは、誰が来るんけのう?」
「わからんわ。そんなんプログラム見てんちょ。」
「ああ、あったわ。「いっこく堂さん」くるわ。「かわせみさん」くるわ。「沢さん」くるわ。」
「んだ。海外はどうかのお?」
「今年もいろいろくるに。スペインだら、台湾だら、アメリカだら、そんでな、韓国もくるわ。」
「地元はあるんか?」
「ある、ある。黒田だら、今田だら、他に似たのん、江戸操りだら、文楽だわ。」
「そんじゃあ、みんな見のがせんな。」
「うんや。みんな満員やあ。だけどなあ?」
「なんや?」
「今年も申し込んじまった。」
「何をや?」
「ほら、ボランティアやがね。」
「ひゃー、そりゃ、面白いがな?」
「そりゃそうや。生甲斐や。」

って、いう訳で、今年も、パンパカカン!8月の6・7・8・9って木から日まで、4日間劇を行います~。って来てね!


朝日新聞さん、今日の書評欄「漂流」を読んで-雑感

2009-07-27 02:52:01 | Weblog
今日の朝日さん、筒井先生の書評「漂流」について雑感。
A・シンクレアとJ・ロンドン。
先ず、後者から、“Call of the Wild”は高校で原書で読んだ記憶が。
氏にもう一作、野生から飼育へ、の作もあった気がする。
端的に、シートンから、J・アダムス、或いは、ファーブルへの転換と思う。夢を壊すようで申し訳ないが、行動学のローレンツは、シートンは動物を擬人化した点で後者2つと厳密に区別している。却って、「森のロルフ」、インディアンが良い。
J・アダムス2作は名作だ。大人の愛に満ちている。
「遥かなる子熊の森」も同じ系列。
近隣の喬木村は、椋鳩十先生の生地でご活躍の場所。記念館もある。氏の講演を小学5年の時に聞く。やはり、5年で全巻読破する。
主任神父様の農村はその隣。豊丘村。何処かで同じと思っている部分もある。
最近、動物文学より行動学を好む。思索社。
前者。未知。キリストの再臨。しかも、ハリウッドに。
だから今、「屋根の上のバイオリン弾き」を見返していた。二十歳でリバイバルを馬場の場末で見て、涙が止まらなかった記憶が蘇る。
作中、ユダヤ教の人々の中、自由思想を携えて移る若者がいる。(「初恋の来た道」をも連想)
彼らに準えたのか?父親の方なのか?
紹介では、共産主義者に。しかも、冒涜のパロディーとある。
「神と富とに仕えることが出来ない。」「すべてを貧しい人に施してわたしについて来なさい。」
コメントは控える。
むしろ、「地上に信仰を見出すだろうか?」「再臨に人々は悲しんだ。」、そして、黙示録。そして、マリア様の言葉、「浄めの時」。
作が何かの転換点となれば良い、と思った…。筈だが?
考えてみれば、キリスト教文学の、というか人間の営みの最高傑作の一つは、ドストエフスキー。既に書かれている。
氏の文学のすべての登場人物の中に、例えラスコールニコフ(だっけ?)といえども、キリストを見出すだろう。
20世紀にカトリックの作家、キリスト教をテーマに多くの作家が輩出した。
中には、共産主義から沈黙の後転じて、過剰とも云えるカトリックの信仰によって書き、まるで祈りのような文体だ、と評される「ジャンヌ・ダルク」のフランスの戯曲家もいる。(済みません名前が不詳です。周知と思う。)
19世紀、「彼方」のユイスマンは、後年、やはり過激とも云えるカトリック信仰で「大伽藍」を書く。そもそも、先輩のベルレーヌは晩年、信仰の詩しか書かない。そして、若い時の詩を否定し、寧ろ悔いている。
彼らに何が起こったか、をこそ知りたい。
そして、むしろ、聖フランシスコの「小さき花」中、「金銀青銅のキリスト」を皮切りに全作をこそ読み解きたい。