夢音(ゆのん)~風のおるごーる~ atelier JUNON

~想いをかたちにするために~
天然木を使った、オルゴール作家

阪急電車もいいですよ〜

2024-05-07 21:02:59 | つれづれ


片方だけしか紹介してない

阪急電車はとてもエレガントなマルーンカラー。

このYouTubeのはじめに流れるメロディは

阪急乗ったことある人には胸がジュワ~。

何と言っても昔ベルばらとか見に宝塚もこの電車。

神戸も京都駅からJR乗るより阪急でいくのは身近でしたね。

おけいはんは何となく庶民的で

阪急はちょっとお洒落な感じです。

どっちも大好きですね。

しかし次に、画廊に参ります近鉄百貨店さんといえばやはり近鉄電車。

近鉄はちょっと独特です。

また今度ご紹介しまーす
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明日からは

2024-05-07 20:51:15 | つれづれ


今日荷物が佐川さんで届くはずが来なくて

メールでは本日中と書いてあるのに。

明日からまたまた大阪ですから

留守しますからまずいなと連絡しましたら

今朝一番に別府に、到達してなければ

国見には当日中配達できませーん。と。

ガクッ。😅そうだったのか

帰るまで預ってもらえることになりました。

やれやれ。

まあ仕方ない。

田舎あるある。



今日はヤマトさんで荷物出したけど

コンパクトひとつ忘れてて

まずいわ❢と、焦ってたら

夕方6時くらいにお向かいに配達にトラック停まった

チャンス❢と走っていき

お兄さんに渡して事なきを得ました。

やれやれ。

本当にスリルとサスペンスだわ~。と、妙な独り言をつぶやく。

この2日

めちゃくちゃよく眠りました。

よくこんなに眠れるなあと感心しました。

こんなによく眠る私ですから

朝慌てないように寝る前に準備完了しておかなきゃです。

冒頭のYouTubeにあるように

この前は梅田ですから

JR大阪駅、阪急電車、阪神電車、山陽電車の梅田駅でしたが

今度は「おけいはん」(京阪電車)です。

わかりやすいですよ~。この歌。

阪急は四条河原町から、烏丸、大宮、西院を介し、桂、長岡京方面から高槻茨木十三などを経て大阪梅田に行きます。
十三からは神戸線に接続しております。三宮方面に行けます

京阪は出町柳から祇園四条等を介し、淀から八幡(石清水八幡宮近く)くずは、枚方、寝屋川、守口を通り京橋や淀屋橋方面に。

私はなんば行く場合、ゆっくり座りたい時は出町柳から京阪に乗り淀屋橋から大阪メトロ御堂筋線に乗り換えなんばまで。

早く行きたい時は阪急で梅田まで特急でいき、御堂筋線に乗り換えなんばまで。

阪急は早い!

京阪は特急停まり過ぎなので遅い!

なんばからの帰りは淀屋橋からプレミアムカーで500円でゆっくり座って出町柳までのんびり帰るのが一番楽です。

阪急早いけどコミコミ。(笑)


京都の西側を南下するのは阪急電車

京都の東側を南下するのは京阪電車。

こういう事です。


電車や列車に乗るのは楽しいです。

JR九州の特別列車たくさんあるから

これからは休み取ってちょっとずつ乗ってみたいなと、想います。

それくらいの休みは取りましょう。

レストランみたいな列車もありますから。

ワクワクしちゃいますね~。

ナナツボシみたいな豪華列車

1人で乗るのはちょっと虚しいし。(笑)

そこそこの列車でいいな。


9日木曜日からは

守口京阪美術画廊です

私は会期中在廊いたしますので

是非お越しくださいませ。😀✌️

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若い力

2024-05-07 08:57:34 | つれづれ




先ほど投稿した

ロバのパン屋さんの歌

私の子供の頃はもうロバが引いてるわけではなく

軽トラだったと想います。

古紙交換の軽トラ並みのゆっくりしたスピードで走るから

後ろについついついて行ってしまったこともあります

気がつくと遠いところ。(笑)

どこだ?ここ?


そんな事もありましたね。

あの頃は京都もやっぱり

国見とおんなじで

時間はゆっくり流れてました。



日本の人口減って

色々不便になってきたら

またスローライフすればいいのよと

前きみちゃんが言いました。

「水道止まったら井戸から地下水汲み上げたらいいだけ。ここは地下水たっぷりあるのよ。空いた土地に野菜植えたらたくさん育つし。魚釣れるし」

鷹揚なみんなが大笑いする

トイレは確かにここはまだみんな汲み取りで

簡易水洗トイレ。

水道止まって焦ることも確かにないのかな。

電動ポンプ止まったら?と聞くと

「蓋あけて直接汲み上げなさい」

釣瓶作るか。滑車買って。(笑)

みんな呑気だ。

「お風呂入れなきゃ温泉行ってきたらいい。温泉が出なくなればドラム缶で薪でお湯沸かしなさい。」

何とな〜。😅たくましい

しかし高齢の皆さんいなくなったら

この集落も大変だ。

ポツンと一軒家となりかねませんね。

こんなにゆったりできる土地

本当は宝物。

不便と言うものは創意工夫を生む




先日も

25歳とか30代とか

若い皆さんの移住された方々に会う機会がありました。

ここは不思議なところで

関東やいろんなところから

若い人々が移住されてます

今話題の消滅自治体からも国東市は脱出したらしく

人のあたたかさや気候の優しさ

自然の豊かさと少し行けば町にも行けるという事で

芸術家の皆さんや、

若い農業される方、他にも様々な事業立ち上げられる若い皆さんが、移住されます

対岸の姫島にもITの会社ができて

若い方がリモートで仕事なさってるし

確かにいろんな支援があるし若い議員さん達が次々と誕生し

年寄りに任せてはおけないと青年部の皆さんも動きが活発だ。

今のところ自治体が元気です。

こういう若い皆さんの繋がりが深いのはとても心強い事で

テレビで議会の様子や様々な提案も見られますし

大都市と比べてピチピチしてますね。

過疎化や空き家の問題はあるが

その対策に若い皆さんが取り組まれたりすることでまた

新たな活用法もあると想います

急激に熊本のように発展すれば良さが消えてしまう恐れもありますから難しいです。

京都みたいに昔の面影が消えてしまうとさみしいし

いい塩梅で活性化してもらえたらとてもいいなと想いますね。



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ふるさと

2024-05-07 07:09:40 | つれづれ
昔に見たなだらかな山々

見晴らしの坂から見た

開けた南のほう

輝く大路小路

川の流れ

山に入れば熊も鹿も猪もいたし

たぬきよく出てきた

川の横をアオダイショウが黒光りしながら蛇行し川に入って行く

町の周りの北山東山西山は

文字通り山だった

蛍が飛び交う。

サワガニ達が走る

今はみんなゴルフ場や高級リゾートホテルに。

ホタルは姿を消しました。

櫟の林もいなくなり

カブトムシ達も姿を消しました



それでもふるさとは私の心に刻まれている



絵を描いて描いて

駆け回った景色

1人で遊んだ山の道

幼馴染が幼稚園から帰るのをじーっと待ってたあの頃の土の匂いや木々の青い匂い

道路に蝋石で描いた

存在したい世界

広がる世界

なぜか昨日のように覚えている

雨の降る前の水の匂い

その後ポツリポツリと大きな雨粒が

いたるところに水玉模様をつけるのを

傘もささずに見つめてた。

家に向かって強い雨の中一目散に走る走る

帰って飛び込み

ずぶ濡れで立ちすくむ

叱られるけど

雨を全身で感じられて良かったと想う



こんな子供を持つことは

親にとっては大変だったと想う(笑)



この前京都の裏道歩いてたら

音が聞こえて

あれ?、ロバのパン屋さんかなあ?

と、想いましたが違った。

とくし丸と言う移動スーパーでした。

ロバのパン屋さんってもう来ないのだなあ。とちょっとさみしくなったけど

高齢化で移動スーパーになるのは仕方ない。

でも道の向こうから

ロバのパン屋さんや

大八車を引きながらやってくる加茂の、振り売りのおばちゃん

この写真はリンクからお借りしました

読んでみてください

このような姿で野菜売りに来られるおばちゃんは

おやつに野菜をくれて

私は汚い手を服で拭いて受け取り

トマトやキュウリをほおばった。

ウロウロ行き場のない子を

地域のおじいちゃんおばあちゃん達は

よく面倒見てくれた。

上がりこみお味噌汁もらったり。

私はよその家によくあがり込み

ごはんよばれた子供でした

昔の京都の町家長屋は

そんなぬくもりがありました。

地域で子供を育ててくれるそんなうるさい町でした



今はそんな都大路やろーじ(路地)も幻の中に埋もれてしまった

それは仕方のないこと

この前家の周りにあちこちにある天皇の火葬墓や御陵の横を歩いてたら

高台から右大文字が見えた

後ろは左大文字。

そうだったなあ

舟形も見えたな。

思い出す。

マンションや背の高い建物もなく

町家の瓦屋根が美しく連なっておりました

高さ規制ありますがいつの頃からか一階をガレージと言う形にすれば高く建物建てられたりで

五山の送り火も街中から見るのは難しくなりました

今は人の溢れる渡月橋

幼馴染といっしょに嵐電に乗り

渡月橋近くで、川をせき止めたところで泳いだなあと思い出した。

街の変化は時代の変化

私の育った京都は

心の中に残ってる

それでいいと想いました。

それでも観音様にお参りにテクテク歩いた産寧坂

今は知らない世界になってますね

各地が、

思い出の中の景色とは違ったものになってきています

仕方ない。




国見に来た時

近所の人たちが顔を見に来られた

その日から私は

ゆのんちゃんとよばれた

昔の京都のような懐かしい人々の笑顔や

いろんな素敵なおせっかいがありました。

なぜか涙が出るくらい懐かしく

ここなら

絵を描いても蝋石使っても

そう

おるごーる作ってもいいんだなあと思えた。

私の心の中に残るふるさとの思い出が

景色は違うのになぜか重なった。

だからここにアトリエつくろうと思ったんでしょうね。



心の中のふるさとは

ちっとも色褪せない

私の育った京都の町は

ちっとも変わらないなあ。

幼馴染達と

白墨で輪を描いてケンパしたりゴム跳びしたり

色々遊んだ思い出は

多分心の中の一部屋にずーっと残るのだろうなあと

想いました。


国見の道の先のどこかの細ーいトンネルの向こうに

時々

昔の京都の町に

行き着くのじゃないかしら?

って想えるような

そんな不思議がここにはたくさんたくさんあるのです

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