夢音(ゆのん)~風のおるごーる~ atelier JUNON

~想いをかたちにするために~
天然木を使った、オルゴール作家

いろんな物に囲まれてると

2025-01-11 13:55:53 | つれづれ
作品作りにせいをだしてたら

母から悲壮な声で電話

「どーしたの?」

「あんたの仕事場を、知らない男の人たちが破壊してはるねん。どないしよ」

あらあら。警察でも呼ばれそうな気配。

一応見てもらってるのですけど

母は何度説明しても忘れてしまいますから

朝から同じ事を5回くらいは繰り返してます。

その度納得して電話切るのです。

私の工房だった所の組み立てた棚等を

私は全部外せなかったので

不用品処分と、棚の解体もしてもらってスッキリしてもらうのですけど

母は昔から

私が不用品をまとめると明くる日その中からいろんなものをもったいないもったいないとだしてしまい

いつまで経っても処分できない事態になったりしてました。

今回も母がいる日なのでちょっと心配してたら案の定

「使えるものをゴミにしてはるねん」

と、何回も何回も電話して来ます。

「それはもう使わないものなんよ」

と、いちいち説明しても

「あんた、バチ当たるよ。もったいない。残しときなさい」

いやいや、残せないよ。

そもそも残して誰が使うの?(笑)

その結果が母の一人暮らしとは到底思えない実家の有様です。

その不用品処分頼まれてますけど

私のは大したこと無くても

母の不用品処分は恐ろしい予算がかかるわけです。

普段から不要な物を少しずつ処分して生活していたらこんなにお金かからないのよと言った所で無駄でして。

私が小学校の時に使ってた水筒がまだ保管してあるんです。

他にも本当に昭和の遺物。

50年以上前の。(笑)

まだ使える。壊れてない。の一言。

捨てようよ

と、まとめてもまた袋から出して元の棚にしまう。

これは母が50代の頃からのせめぎ合いでしたが

喧嘩になるからもう言わないでいたら

なんとその処分費のお鉢がこちらに回ってくるという不条理。

私はどんなに集めてた漫画本とかでも

一定の期間過ぎたら

欲しい人がおられたら差し上げましたが

それ以外は古本屋さんに売ったりして一気に処分しました。

もう自分の中で消化したら要らないので。

思い出は物で残さず心の中に。



朝から大騒ぎして

私は作業の手を何度も止めなくてはならなくて。

何度言っても繰り返し。

ちょっとくたびれたお昼です。

仕方ないのですけど。

何もかもなくなってさっぱりしたら

また何か持ち出して来てそこに置こうとしないかそれが心配。

母は物で安心するタイプの人なので

いろんな物に囲まれてるときっと安心するのでしょう。

けれども不要な物はまた不要なものを引き付けてしまいます。

心もなかなか前向きにはなれないでしょう。

対して私はとても殺風景。

物が多いと整理整頓しにくいしどこにあるのかわからなくなるので嫌なんです。

ここにこれだけ。としておいたら

探さなくていいですから。

めんどくさがりなのかもしれませんね。



しかし今日この時間までで

こんなにスッキリしてくださいました。

よかった。

お願いしてないところまでサービスして色々処分してくださり

感謝しかありません。

ご紹介くださった警察関係の方は本当に親切な方で

ありがたい限りです。

床のコンパネも剥がしてもらった。

私の作った棚等も全て撤去。

ガランとしましたが

今の工房とは違い暗くて見えにくかったのですが

狭くても父が私のために作業できるようしてくれた場所でした。

ありがとうございます

と、言いました。

ここで頑張りました。

暑い夏にここで狭いのに

K先生とTさんが作業棚等を組んでくださいました。

忘れはしない。

サンダーバードの秘密基地みたいに

引っ張り出したり降ろしたりしたりしてました。

そのおかげで今があります

いろんな事が蘇りますが

私は言われた大切なことだけは忘れません。

要らない事はすぐに忘れますけど。

この場所は夏場涼しく

その代わり冬はストーブ付けても冷えました。

大屋根までは何メートルあるか。

大きな梁の通る大屋根の天窓から

光がスーッと差し込んで来てました。

100年以上の織屋町家です。



このあと

母の住む母屋の不用品を全て処分しますが

なかなか大変そうです。

しばらく大変。

頑張ります。


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一息ついても

2025-01-11 07:36:52 | つれづれ
長い休みになりましたが

体力も戻り始めました

車の運転すらやや疲れるくらいになってた自分が珍しいです

滅多に寝込まない自分が今回寝込みましたが

昨日電話でその事を話している最中に

これをしてこないととふと漏らすと

「明日にでも行ってこい❢」

と言われたり(笑)

いやいや、来週まで待ってと。

私が寝込むなどこの10年ほとんどなかったので

びっくりでしたね。



昨日はその電話でイレギュラーな事を知り

一瞬パニックでしたが

しばらく夜まで混乱して

身の置所のないザワザワが来たのですけど

息子は冷静に私のザワザワが収まるのを待っていました。

同じ所をずーっと往復したりしてるのを見て

やめろとも言わず。

夜眠る前にようやく落ち着いて来て

そのイレギュラーにより

自分の、立てていた予定がめちゃくちゃになってしまってたのを頭の中で再構築完成して

ゾワゾワが消え

今度はそちらでシミュレーションの映像を結び始めましたので

やっと眠れました。

私の厄介な性格は

ひとつ予定決まると

そのシミュレーションが映像みたいに始まりますから

心と連動してその映像に従って動きが起こるので

理屈みたいにチャチャっと変更みたいな事が難しいのです

こりゃ勤め人ができないはずだねえと笑うと息子は

「雇う人は地獄だねえ。あなたは飼い犬にはなれない人だからね。」

と、大笑いしました。

まあ適材適所。

でも最近は自分で色々訓練していて

ゾワゾワしてシロクマ状態になると

うまくそれを吐き出し

再構築する方法を見つけましたから

よかった。

息子はそんな時は私にお茶いれたりするだけで何にも言わない。

夕方電話してきた方もどちらかと言うと私の形質にとても似ている方で

混乱を引き起こしながらも電話切ったと思えばまたかけてきて

切ったと思えばまたかけてくると言うとても情動的タイプ。

思ったことをその場で言わないと忘れるのだ。

息子はその様子をみていて

「世の中にこんなにタイプが似ている人がいるものなのだね。」

と笑った。

ひとしきり話すと落ち着くとか

そんなところも同じだと笑った。

「たまには左脳を働かせるのもいいと想うよ」

昨日その方と

「考えてるのはこういうことだろう?」と言われて

私が話すことを向こうがすぐさま映像化していることに気づいた。

見えてるのか。と思ったのです。

まあだから創作のことを例えば1日話していても全然疲れないのですけど

他の人なら疲れ果てるのだと息子は笑いました。

脳の形質は人それぞれ。

こちらの映像が見えるなら向こうの映像も見えるわけで

へんてこな駆け引きも出てきます

うーん。違うよそれ。

みたいに。

話は早いのだけどやりにくい時もあります。分かりすぎて。

こういうことだろうと図星言われて悔しく地団駄踏んだり。

先に言うなと想うわけですね。



でもまあその方がもたらした予定のイレギュラーで、私のザワザワが最高潮になったのを見て

息子はナッツを持ってきて

私は小袋に入ったナッツをポリポリかじりながらお茶を飲み

落ち着き

お風呂の中で

映像を再構築できました。

そのあと途端に眠くなりパタッと寝ました。

どこででもいつでもこんなときパタッと寝るのは脳が色々象を結んでくたびれたからですが

息子には

100かゼロみたいなところがあると、笑われました、



一番落ち着くのは創作作業をすることです

象を結んだ所で究極落ち着くかといえばそうでもなく

繰り返し繰り返しシミュレーションみたいな夢を見たりしますから

やみくもに動いて創作作業始める事が最適なんですね。

落ち着きます。

一部スケッチやり直しのところもあるけど

やってみなきゃわかんない❢

と、笑いました。

人の個性を羨んだり真似たりするのは砂漠を歩くようなもので

つまらない。

そこには何にも喜びがないので

それならば自分の個性を爆発させるほうがずーっと楽しい。

木は私の大好きな表現を助けてくれますけど

私は木に振り回されるのは嫌だ。

木を愛していても

それを自在に使い表現するのは私で

使われるのは嫌だ。

どんなに高価で素晴らしい木でも

それを生かすのは自分で

優れた木工家の方の理屈は参考にはして学ぶけれど表現にはあまり関係無いと想っている。

大切な事は学ぶけど表現の翼って多分それを凌駕するものだと勝手に思い込んでいる厚かましさなので

つける薬がない。

木工家の人は

木が自在に歌ったり

話しているのに気づいてない。

一緒に歌いましょって話す私は

木が優れた心を持っているからこそ

木の歌い方に助けられたり

一緒に歌うことができるのだけど

そんな事をすぐに笑い

半分も信じてはくれない。

でもそれはそれでよくて。



商材とか商品って平気で大きな声で言われる場所には

後ろ向きな私は心が離れる

生き物だってわかってくれる人は少なくて

呼吸もするし歌いもして

一緒に笑ったり泣いたりしてくれる木の生きてることに気づいた方々は

私が画廊に行くと駆けつけてくださり涙流されます。

歌ってる事にその方は気づかれたんですね。

私は時間が欲しいんです

例えば去年後半から立体展示とかしてみたくてしてみたくて

画廊の、決まり切った飾り方じゃなくて

物語を進めるならば面白い立体展示がしたいのです

平面展示の時代じゃないな。

でも今はとてもそれが許されない

これからどんどん人が展示するからあんたはいいと言われるなら程遠くなる

つまんない

でも待てよ。

と、私はいいことをひらめきました

私の立体展示を理解してくださる人が現れたらいいわけです。

よし。その人は現れる

そう信じました。

引き寄せの法則というのがあって

思念を集中させて想いをぐーっと

なんて漫画みたいなことを平気で考えちゃう私ですが。

でもまあきっと理解者は現れるなと信じて

私は作品づくりにせいをだし

立体展示のシミュレーションをしていればいいなと納得。

例えば福岡の友が個人的に試そうと言ってくれてる小さなスペースでそれをしてみてもいいわけだが

友のコンセプトがあるからぶっ飛んだ事はできない。



思いついた❢

風のあとりえは私の個人的スペースでした❢

ここでぶっ飛んだことをすればいいんだわ❢

画廊関係者各位は田舎なので滅多にここには来られません。(笑)

ならば夢の世界ここに作っちゃえ。

止める人もいないことだし。

棚に並べたり壁に飾ったりって決まり切ったのはやっぱり飽きる。



楽しくなりました。

さて

今年はまた

ワクワクですね。


相変わらず支離滅裂ですみません。

毎日毎日

心の中は創作と作品達が飛び回り動き回る世界なので

止まらないんです。




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