夢音(ゆのん)~風のおるごーる~ atelier JUNON

~想いをかたちにするために~
天然木を使った、オルゴール作家

いいお天気でしたが地震

2025-01-14 06:14:26 | つれづれ
久しぶりに朝練に出かけた。

みんな

「おめでとう❢久しぶりだな」

と、すごく喜んでくださった。

嬉しい事ですね。

朝からざっと6800歩は確保。

1日パタパタしてたら10000歩は軽く越します。

健康の秘訣ですね。




今日もいろんな図案を立体に仕上げるための作業をしてました。

お正月に、できなかったことがたくさん残っていて

どうしようかなと想いながらもまずは第一弾動かなきゃどうにもなりません。

まずは一つずつですね。

一つずつしたら何とか形になってきます。

焦らずもとらず




焦りそうなくらいやりたいことたくさんあるんです。

でも

私は脳が暴走するらしくて

息子はそれにブレーキかけてくれてます。

「そこでまずは止まる❢」

おっとっと。

暴走したら次から次に色々出てきて手が付けられないくらいになるので

息子はとりあえずできることから一つずつ。と、制御してくれるのです。

ありがとう。




暴走抑える為に

今日は工作用紙渡されて

「ほい。ここに好きなだけ描いて見て」

溢れてくるいろんな物をかきとめておりました







くつろいでいたら地震。

めまいかと想うような嫌な揺れでした。

南の宮崎が震度5

いろんな皆さんからご心配のメールや電話が続きました。

ありがとうございます。

津波もなく大丈夫でした。

一応避難グッズは全て車の中に入れてあるのです。

いざと言う時は貴重品のみを持ち出し

車で山手にすぐに避難

と言う手はずです。

簡易トイレから水や少し食料、電池、懐中電灯、LEDカンテラなどなど。

冬場はそれに毛布を何枚か持ち出し出ればいいでしょう。

いざと言う時のために備えだけ車に入れているわけです。

もうすぐ阪神大震災から30年

あの日の地鳴りと凄まじい揺れは今でも思い出すと、恐ろしい。

子供たちをお腹の下に置いて必死でした

朝早く起きて用事をしようとしてたら

何とも言えない嫌な地鳴りみたいな音とその後の揺れ。

その頃マンション住まいしていた私は

経験したことのない揺れに驚きました。

京都であの揺れ。

テレビをつけると

大阪のスタジオからアナウンサーが絶叫してました。

どこが震源?近いよね

P波とS波の間隔がすごく短い一瞬のドーングラグラにびっくりしました。

その後マンションのコンクリートの至る所にひび割れができていて

近所の工場の床には地割れができてた。

そこは真下に断層なかったからその程度でしたが

もう少し南の黄檗断層の上の方々とか

長岡京の叔母の住む辺りは大阪に近く断層走っているから余計に揺れはきつかったようです。

お昼まではあまり情報入らず

昼のニュースで初めてヘリからの様子を見て震えました。

よく見知った神戸の街があんなふうになっていくのを目の当たりにして

私は涙が止まらなかった。

その時の事をふと思い出しました。

次男は赤ん坊でしたから覚えていない。

長女や長男は少しは覚えているのでしょうか?

ずっと続く余震に

不安だったのを思い出しました。

あのあとしばらく神戸の画商さんにお世話になりましたが

その方は空襲かと想ったと言われてました

家も家財も全て失くし

子供たちを連れて3日ほど何も食べなかったと言われてました。



東北、熊本、能登と続きました。

日本中どこが揺れても不思議じゃない日本列島

皆さんどうかお気をつけください



 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする