今日は。
早いもので、今年の後半が始まりましたね。先月29日は東京郊外の高尾山(512m)ハイキングの予定でしたが、大雨の為、残念ながら延期になりました。関東の梅雨明けに行く予定です。東京に住んでいて、未だ訪ねた事が無かったので・・。
巨人は交流戦の最終日にソフトバンクに負けて、優勝賞金5千万円をフイにし、ソフトバンクに上げてしまいました。後半戦になって、やっと上原投手と高橋投手が戻って来てくれましたね。2軍での調整は精神的には苦しかったでしょうが、肉体的には十分な休養になったと思いますので、今後は大車輪の活躍を期待します。その表れが、6月29日の対広島の3戦目です。高橋尚成投手が先発、好投し、9回1死1,3塁で高橋由伸選手が勝越し打、ラミレス選手が満塁アーチを放ち、6:1と突き放し、上原投手が9回を3人で抑えたのです。今日からヤクルト3連戦。貯金1から毎日積み上げて下さいね。
8月8日からの北京オリンピックも間近になり、代表選手も続々決定し、本番に向けての調整に励んでいる事でしょう。ベストの状態で望めるように頑張って下さい。
さて、小説執筆状況は『赤い笹舟』を原稿用紙400字詰めで320枚から250枚に短縮すべく、再構成中です。
最後に、『旅愁散文詩』の21作目をお贈り致します。
二十一. 神奈川県鎌倉市(伯母と鎌倉大仏)
昭和五十三年五月
(一) 糖尿を病みし伯母。亡くなった父の姉なり。今は逗子で療養中。
「やあ!今日は」「おお、徳ちゃん。遠い所、よく来てくれたね。
弟さんも一緒かね」「ええ、お加減の方は如何ですか?」「何、
どうってこたあねえだよ。ただ、甘い物はいけねえだどさ。食事も
多く摂ってはならねえど。ほら、この通りぴんぴんしてるで。大部
屋なもんで、他の患者さんとくっちゃべってるだよ」「これ、母さん
から伯母さんへって」と、包み紙を手渡した。「そう、そりゃあ良か
った。痛い所も無いなら、お医者さんの言う事を良く聞いて、早く
治って帰って来て下さい。父は生前、脳軟化症で全身が痛いって
言ってましたので・・」「そうだったわな。屋上に行ってみべえか。
見晴らしがいいだよ」 病人の後に付き、階段を上り、五階建て
のビルの屋上に出た。海風が三人の顔を心地好く過ぎっていた。
小高い山々に囲まれ、直ぐ近くの相模湾も見えた。畑多し。
宅地造成地にブルが一台動いている。世間話を暫しした。
「風が冷たいや。風を引くといけねえから、遅くならない内に帰った
方がええ」「大丈夫ですよ、未だ午後三時ですから」「ええ、ええ。
顔見ただけでよかばい。お父さんの分まで、お母さんを大事にして
頂戴ね」「はい、判りました」 病室に戻り、家政婦さんに
「よろしくお願いします」と挨拶した。病人に急かされて、部屋を
後にする。
(ニ) 未だ、時間が有ったので、帰り道鎌倉大仏に寄る事にした。小学
生の頃、皆で撮ったアルバムの写真を思い出した。バスに乗り、
近付く浄泉寺。過去との対面に胸わくわく。バスを降り、表示に
従って、枝振りの良い松の並木を大股で歩く。日はやや暮れて
きた。見えた。在った。大仏坐像が。青い格子状の高い門が閉ざ
されている。閉門十分後。残念至極。「身体の大きな大仏様よ。
貴方に良く似た、やや太り気味の伯母さんの病気が早く治ります
様にお願いします」 門越しに二人で手を合わせた。三日月の
弱き光が大仏をほんのりと照らしている。
(三) 約2年後、療養所で亡くなったとの知らせが届いた。天に召された
伯母よ。何時も大声、がらっぱち、せっかちだった。心の中を全て
出している様なあの明るさ、朗らかさ。愚痴や悩みを聞いた事が
無い(まあ、子供に話しても仕方無いだろうが・・)。傍目には映ら
なかった哀しみを胸に仕舞い込み、耐えてきていたのかも知れ
無いが・・。伯母の人生の幕は閉じられた。しかし、その幽体と
思い出は関係者の間で生き続けるであろう。しょぼくれた僕らを
見たら、何時もの様に怒鳴っておくれ・・。
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