今日は、市内谷内地区の天照皇御祖(あまてらすすめみおや)神社の先祓い舞に午後3時から9時半までつき合いました
3時から地区の体育館で、衣装を着、そして練習でした。
その後、各屋々に帰って夕食、そして6時半に天照皇御祖神社に集合、神事、10の踊りの奉納が行われました。
谷内の先祓い舞の衣装は2種類ありました。上が小学生の衣装で、下が中学生の衣装です。天照皇御祖神社の宮司さんが、「中学生がゆたかを着たがって・・・・」と意味ありげに話してくれました
兄川舞や湯瀬の先祓い舞は刀を使いますが、谷内は刀がなく棒を使います。
踊りは男の子だけの踊りとあって、力強いものでした。
踊りの練習も見せて頂いたのですが、「声を出せ~!」「はい!」などとこれまでには見ていない気合いの入ったものでした。
実際の踊りでも、踊る人たちは声をしっかり出し、迫力のあるものでした
この地域の古老に「何故女の子は踊らないのですか」と聞いた所、「昔は女の子の踊る神楽があったからだと思います。優雅な良い踊りでしたよ」という答え、「その神楽はいつ終わったのですか」と問うと「50年程前」とのこと・・・。ちょっと?
この方は、「男の小・中学生がたくさんいるから男の子だけで」
とも話しました・・・ちょっと?
残念ながら12日の八幡平市安代地区の兄川舞が役員が亡くなったので中止ということで、見ることが出来なかったのですが、兄川舞を学んだ湯瀬地区と谷内地区の神社の踊りが「似ていて非なる」ものとなっていました。
刀を持つか否か、衣装を2種類とするか否か、女の子を参加させるか否か、同じ踊りを伝承しながらも何故このように違ってしまったのでしょうか。
私なりの仮説ですが、地区の踊りの形を変えていったのは地区の人々、地区のリーダーの考え方です。
その地区のリーダー考え方を決めてきたのは何だったのでしょうか。
今回、神社の宮司さんが、「中学生がゆたかを着たがって・・」と意味ありげに話してくれましたが、これがとても気になります。
中学生や中学生の親達の考え方と地区のリーダーの考えの接点上に踊りの姿が決まったきたのではではないでしょうか。
地域文化についての教育の大切さ、今に言う「ふるさと教育」
について考えてしまいました
元祖兄川舞のDVDは近々に届くとのこと、明日1日谷内の先祓い舞をしっかり見、そして地域の方々からたくさん話を聞き、私の意見も述べてみようと思います。
できるかな
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