
安息日となっていて 神に感謝して休むのが習わしみたいですが
自分はキリスト教じゃないと言う方も 暦上ではそのカテゴリーに
従っている訳で 歴史と言うものが如何に影響力を持っているのかを
考えさせられます
世界の宗教は星の数ほど有るので スーパーで食材を選ぶみたいに探せば
自分に合った宗教に巡り合えるかもしれません
ところで
私が気に入っているお話は かの孫悟空が自分の持つ力を自慢して
金斗雲に乗って地の果てまで飛んで行き 仏の持つ力を馬鹿にするシーンです
孫悟空は もう大分飛んだのでこれ位でいいかと思い そこにある大きな岩山に
孫悟空(青天大聖?)参上と大書して引き返します
帰ると仏に言います 地の果てまでひとっ飛び
いくら仏でもここまでは出来まい! すると仏が聞きます
その地の果てに何があった?
大きな岩山が有ったので 自分の名前を証拠に書いてきたワイ!と孫悟空が言うと
仏は笑いながら手のひらを広げて 親指にかかれた文字を見せて
お前が書いたと言うのは
この落書きか?
孫悟空は釈迦の手のひらから出ることさえ出来なかった というお話
皆さんもご存知の話ですが この意味は深いと思いますね
釈迦はおろか家族や友人の手のひらさえも出る事が出来ない自分が其処にいるからです
自慢したり高慢になったりは日常茶飯事で 人の気持ちを逆なでするような
言動や行動を平気で行っている自分が見えます。
生きている間は仏や神にはなることは出来ないし 人間なので当たり前なのですが
最後は仏に成れる資格だけは 皆さん持っているみたいです
早くなるか遅くなるかの違いだけ
ケチって生きるのも良いかもしれませんが
何も持っては行けませんので 勿論パスポートも要りません
ここで言うケチるとは 精神的な物ですので誤解のないように
私の住んでいるこの近辺では笑顔すらケチって しかめっ面の人が蔓延しています
せめて朗らかに歩けないのか すると友人がボケをかましました
笑うと歯が寒い!
私がつっ込んで 歯の無い人はどないやねん?
ベロが寒いがな!
ケッチやなー!
ホンマしょうもない!アホちゃうか! 朗らかに笑います。
写真は我輩の右手のひら サイモンフレッシャーユニバーシティの
グラディエーションリングが光る。
